"カンガルー日和" 2026年8月3日

雨
@little_rain
2026年8月3日
カンガルー日和
私は、ある小さな地方都市の直売所にあるバングラディシュ料理屋で、ソフトクリームを片手に持ち帰りのビリヤニを待っていた。 レジ横のスピーカーで脂の乗ったおじさんが暑苦しい異国の歌謡曲を熱唱しているせいで、ただでさえ声の小さい店員さんが何を言っているのか余計聴き取れない。 「ソ…(ポソポソポソ)…ですか」「え…?すみません、もう一度」というやり取りを3往復くらいして、ようやくビリヤニの前にソフトクリームを先に提供して良いか?という確認を聴きとった。 盛り付けるだけと思って注文したビリヤニは、梱包に思いのほか手間がかかるようで、先に受け取ったソフトクリームが垂れないよう、適宜舐めながら待つ。 引き続きおじさんは熱唱しているが、スピーカーの電波か電源が不安定なのか途切れ途切れだ。 「歌うなら歌う、歌わないなら歌わない、どっちかにせい」という、苛立ちまでには至らない微妙な気分で待ち続ける。言うまでもなく、おじさんに罪は無い。 疲労を感じ始めたその瞬間、唐突に、ぱちりとあれ程忌み嫌っていた『カンガルー日和』の主人公と自分が重なった。 『カンガルー日和』とは高校の現代文で読まされた村上春樹の短編で、主人公の男とパートナーがカンガルーの赤ちゃんを観に行く話だ。主人公がパートナーと動物園に行くというのにいちいち電車の中で新聞を広げたり、すべての行動が鼻に付くのが印象的だった。 男は動物園でチョコレートアイスクリームを買いに行くのだが、授業で確か「この場面は何の比喩でしょう」というような設問があった。 当時の私は「なぁ〜にがボブ・ディランが僕に歌ってくれているだ、チョコレートアイスクリームはウンコの比喩だろ」と口に出して毒づいていた。 だが、中年に近付いた私は、村上春樹が何故そのような表現をしたか、少し分かった気がする。 誰もが抗い難い、肉体の衰え。 夜は目がしょぼしょぼするから、新聞は昼間に読んでおきたい。 アイスクリームを買い求めたくなるような日に、野外でアイスクリームを待つ時間は10年前よりずっと長く感じるだろう。 ボブ・ディランがボクに歌ってくれているという妄想の意図は、オシャレでもキザでもなく、そういった肉体の苦痛を少しでも紛らわせようとする自己防衛的な反応を表していたのかもしれない。 脂っこい異国のおじさんが、あの日わたしに歌ってくれたように。 村上春樹は好まないが(わが家では「やれやれ、やれやれ」などと嘯くと村上春樹が二人いると言う。3回なら三人だ、想像するだけで暑苦しい)、短編集の挿絵が佐々木マキだといまさっき知り、これは手元に置かなければと考えている。
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