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雨
雨
@little_rain
推理小説/SF/中国語/旅行記など
  • 2026年8月15日
    牧師館の殺人 ミス・マープル (クリスティー文庫)
    牧師館の殺人 ミス・マープル (クリスティー文庫)
  • 2026年8月12日
    呼びにゆく 佐藤みさ子句集
    言葉だけ立ちふさがってくれたのは
  • 2026年8月12日
    三島由紀夫レター教室
  • 2026年8月12日
    働く!くよくよ犬 2 (コミックエッセイ)
    描線が個性的なキャラクターが好き チェゴシムとか
  • 2026年8月8日
    山並み大図鑑
    山並み大図鑑
  • 2026年8月8日
    風に散る煙 下
    風に散る煙 下
    人間の欲望や感情の機微にあまり興味が無いので、フィデルマシリーズは短編集の方が好きだということが分かった わたしは物語を通して異世界の風景を垣間見ることが好きなのだ ただ、最後に開かれる彼女の掌は美しかった
  • 2026年8月8日
    風に散る煙 上
    風に散る煙 上
    ケルト研究者でもある作者による解説が充実しているのがこのシリーズの魅力の一つだが、この巻は遂に英語話者向けのケルト語発音講座がついている
  • 2026年8月3日
    灯台へ
    灯台へ
    ある夏の別荘の思い出。 おせっかいおばさんと、すぐヘソを曲げるその夫と、8人の子供たち、別荘に招待されたクセの強い周辺の人々の内面がひたすら綴られる。 こう書くと殺人事件でも起こらない限りどう考えても面白く無いのだが、差し挟まれるスカイ島の自然や古びた別荘の巧みな描写に誘われて読み進めてしまう。 灯台の光が、海を、ベッドの上を撫でていく、ただそれだけで。 読了してまず思ったのは、内心あるいは表立ってバカにしている女という生き物に認められたくて、慰められたくて仕方ない男の姿に見覚えがあり過ぎることだ。 バカにしている相手に認められて何が嬉しいのか、ご立派なお考えをお持ちの殿方同士で大いに讃え合えばよいではないか。 瑣末なことで揺らぐ父親の機嫌に場を支配されることを憎む子どもの内心、遠回しにあの手この手で同情を引き出そうとする男の惨めさ、ご機嫌取りの圧力に屈して嘘笑いをする女、強靭な意思で何も与えない女。 前時代の遺物と言うには、まだ早そうだ。 この本を読む随分前に、自分が書き付けたメモを思い出した。 家父長制のカビ臭いお座布に寝かせられた大きな赤ちゃんとして顔色を伺われてご機嫌取りされ続ける人生って、誰も本音で話してくれないし、尊敬なんてされてなくて、個人として全く尊重されてないと思うのだけど、それで虚しくならないのだろうか。 私は「扱われてる」と感じた時点で不愉快だけど。
  • 2026年8月3日
    カンガルー日和
    私は、ある小さな地方都市の直売所にあるバングラディシュ料理屋で、ソフトクリームを片手に持ち帰りのビリヤニを待っていた。 レジ横のスピーカーで脂の乗ったおじさんが暑苦しい異国の歌謡曲を熱唱しているせいで、ただでさえ声の小さい店員さんが何を言っているのか余計聴き取れない。 「ソ…(ポソポソポソ)…ですか」「え…?すみません、もう一度」というやり取りを3往復くらいして、ようやくビリヤニの前にソフトクリームを先に提供して良いか?という確認を聴きとった。 盛り付けるだけと思って注文したビリヤニは、梱包に思いのほか手間がかかるようで、先に受け取ったソフトクリームが垂れないよう、適宜舐めながら待つ。 引き続きおじさんは熱唱しているが、スピーカーの電波か電源が不安定なのか途切れ途切れだ。 「歌うなら歌う、歌わないなら歌わない、どっちかにせい」という、苛立ちまでには至らない微妙な気分で待ち続ける。言うまでもなく、おじさんに罪は無い。 疲労を感じ始めたその瞬間、唐突に、ぱちりとあれ程忌み嫌っていた『カンガルー日和』の主人公と自分が重なった。 『カンガルー日和』とは高校の現代文で読まされた村上春樹の短編で、主人公の男とパートナーがカンガルーの赤ちゃんを観に行く話だ。主人公がパートナーと動物園に行くというのにいちいち電車の中で新聞を広げたり、すべての行動が鼻に付くのが印象的だった。 男は動物園でチョコレートアイスクリームを買いに行くのだが、授業で確か「この場面は何の比喩でしょう」というような設問があった。 当時の私は「なぁ〜にがボブ・ディランが僕に歌ってくれているだ、チョコレートアイスクリームはウンコの比喩だろ」と口に出して毒づいていた。 だが、中年に近付いた私は、村上春樹が何故そのような表現をしたか、少し分かった気がする。 誰もが抗い難い、肉体の衰え。 夜は目がしょぼしょぼするから、新聞は昼間に読んでおきたい。 アイスクリームを買い求めたくなるような日に、野外でアイスクリームを待つ時間は10年前よりずっと長く感じるだろう。 ボブ・ディランがボクに歌ってくれているという妄想の意図は、オシャレでもキザでもなく、そういった肉体の苦痛を少しでも紛らわせようとする自己防衛的な反応を表していたのかもしれない。 脂っこい異国のおじさんが、あの日わたしに歌ってくれたように。 村上春樹は好まないが(わが家では「やれやれ、やれやれ」などと嘯くと村上春樹が二人いると言う。3回なら三人だ、想像するだけで暑苦しい)、短編集の挿絵が佐々木マキだといまさっき知り、これは手元に置かなければと考えている。
  • 2026年7月26日
    昏き聖母 下
    昏き聖母 下
    本を読むときは、大抵環境音を流すか無音だ。 と言っても、近頃は昼夜問わず強制的に聞かされる虫の鳴き声を聞き流しながらだが。 それでも、たまに音楽が合う本がある。 カレルチャペックのスペイン旅行記を読んだときは、スペインはイビザ島に実在する「cafe del mer(海沿いのカフェの意)」というカフェバーを発祥とするチルアウト音楽のプレイリストを聴きながら読み進めた。 海に沈みゆく夕陽を思わせる音楽は、鮮やかで様々な表情を見せるスペインの街を探索するにはよく馴染んだ。 一方、暗鬱な讃美歌が印象的なこの作品は、読み進めていくうちに、ケルト音楽やケルト・カトリックの賛美歌を聴きながら読んでみたくなり、サブスクリプションのプレイリストを検索した(celt、celt catholicなどのワードで検索すると出てくる)。 アイルランドの山間地帯を駆ける騎馬のリズムや、修道院に響く賛美歌のイメージが立体的になり、楽しい読書体験となった。
  • 2026年7月21日
    昏き聖母 上
    昏き聖母 上
    書店で見つけたので、フィデルマシリーズ長編に初挑戦 シリーズ後半だし全然分かんなかったらどうしようかと思ったが、最初に著者による解説があり杞憂であった
  • 2026年7月21日
    中世ネコのくらし 装飾写本でたどる
    中世ネコのくらし 装飾写本でたどる
  • 2026年7月20日
  • 2026年7月20日
    かたちと進化の謎 生物の進化を「数理の目」でよみとく
    「本書で例示する生物は貝類が中心で、アンモナイトは出てくるものの、恐竜も三葉虫も存在しない」古生物学に関わる人々のため息が聞こえてくるような一文に苦笑した 古生物がどうしてそのような形になったのかという推論、の前提となる分析・モデル化が主な内容である 算数レベルで数字が苦手な人間でも読み進められるよう、丁寧な図説があるのでなんとかついていけている(気がする) 「規則的なパターンを目にすると、人はその背後に物理・化学的な形成メカニズムを想定したくなるものだ」 ここでちょっとついていけない人が出てくるかと思った それは筆者のようなごく一部の物好きだろう、主語がデカ過ぎる デカいと言えば、管理を任されている古い家にデカい貝がある 植木鉢に、サザエなどの貝殻が置いてあることはよくあることだ ポアロの短編にも、食べ終えたオイスターの殻を花壇に挿す描写があった 貝殻の成分が溶け出して植物の栄養になるからだ そういう類のものではない 自転車のサドルくらいの大きさの巻き貝が、軒下に、無造作にゴロンと置いてあるのだ 何十年も、おそらくわたしが生まれるよりずっと前からそこに在ったのかもしれない この本を読み始めて、植木に水遣りをしてる時にふと気付いたのだ 「この貝、デカくね?」 ここは山裾の寒村である、海はおろか、車屋にタイヤ交換に行ったら「人恋しくなったらいつでも降りておいで」と言われるような土地である 人恋しくなることは、多分ないが気持ちだけ受け取っておいた GoogleMapの口コミで「あまりにも商売っ気が無さ過ぎて心配になる」と書かれていた 他人の心配をしている場合ではない また謎のディスカウントが発生していた アットホームが過ぎる 貝の話に戻ろう、土産にするには荷が重過ぎるし、食用の貝にも見えない 持て余している それ以外には何も分からない 日進月歩の解析古生物学が、かたちと進化の謎を解き明かす日にも、きっとただ、転がっている
  • 2026年7月20日
    すべての原付の光
  • 2026年7月11日
    沈黙 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 2026年7月11日
    ヘンゼルとグレーテル
    ヘンゼルとグレーテル
    最近、夕方になると涼しい風が西の山から吹き下ろしてきて、読書中に意識まで持っていってしまう なので、短くてよく知っている、そして気になっていた絵本を買った モーリス・センダックの絵が良い 多くの子どもが初めて出会う怪物は、いまだにこの人の描くかいじゅうかもしれない 哀れで恐ろしいかいじゅう 異形を描かせたら、そりゃ外れることは無いだろう うっかり買い物中にカバーが少し破れてしまって「まぁ、絵本はカバーと本体の絵が同じことが多いから」と気にかけなかったが、よそ様の感想コメントを眺めていたら「カバー裏を見ろ」とのこと ……読後に見ることをおすすめする
  • 2026年7月3日
    かたちと進化の謎 生物の進化を「数理の目」でよみとく
    相貌失認というほどではないが、人間の顔を覚えることが得意ではない 散髪した後に「見知らぬ男がこちらを見ている」と怪訝に思ったら相手も怪訝な顔をした よくよく見ると、コンビニの大きな鏡に映った自分自身だった というくらい、不得手である すこし前、読書家は人の顔を覚えるのが苦手な傾向があるというネット記事を斜め読みした 平たく言うと、読書で使うリソースが人間の顔を認識するリソースを食い潰しているらしい なるほど、と思った そしてこれが私の結論である
    かたちと進化の謎 生物の進化を「数理の目」でよみとく
  • 2026年6月25日
    別冊太陽222 菱田春草
    ここ数年、なにかと黒猫と縁があるので暇を見て読み進めた ある時期の実験的な画風を「朦朧体」という蔑称でこき下ろす批評(というか、外野からするとほとんど難癖)で食えない時期もあったらしい 印象派とか、保守的な表現の正統性を保つために新しい表現をなじるのは、どこの国も同じ(そして不毛)だなぁと思うが、その批評をした人物が大して名を残していないのも、また共通している 菱田春草は立ち止まらなかった、古典の題材や技法を引用しつつ新しい表現を追求していた だからこそ、黒猫に辿り着いたのだろう
  • 2026年6月21日
    園芸家12カ月
    園芸家12カ月
    故あって親戚の家を預かっている ここは田舎だ、そこそこ田舎だ アポイントメントという概念が希薄で、時間すらあってないようなものだ 誰も彼も「御免下さい」と言いながら、表玄関も勝手口もお構い無しにガラガラと開けて入ってくる 御免で済むのだ、此処は 「御免」があればまだ良い方で、敷地内で知らないおじいさんを発見することがしばしばある (親戚にとっては)馴染みの植木屋などの業者がそろそろ頃合いだからと下見に来るのだ、無言で 住所も曖昧だ、同じ名字が多過ぎるからお互い「屋号」で呼び合うが、ソトからすると意味が分からない たまに隣家に荷物が届く 勘定も曖昧だ、客から金を取ることに抵抗があるらしく、タクシーの運転手は申し訳無さそうにタイマーを止め、車屋は勝手にディスカウントしてくれる そんなんでやってけるのか、と思うが此処は百年は時が止まっているから昨今の時勢は百年後に反映されるのだろう 富山の薬売りが未だに立ち寄る家である そんな家にはやはり畑がある 親戚は「もう今年は畑はやらない!」と毎年宣言しながら、押し付けられた種や苗を植え付けたり、自分でも春になるといそいそと苗を買い込むのである そして家を預かった私には「ペットの世話と竹林のタケノコだけ折ってくれればいい」と言い置いていった そんなわけはない、まず竹林というのが曲者で水路脇の斜面という危険地帯にあるのだ 毎日汗だくでタケノコを破壊し、そして翌日には素知らぬ顔でまたタケノコが生えてくる 牧歌的に思うかもしれないが、親戚は放置したタケノコに小屋を破壊されている 生きるか死ぬかである、キノコとタケノコだったら圧倒的にタケノコに脅威を感じている キノコに家屋を破壊されたことは、今のところない そして話は『園芸家12カ月』に繋がる 元々私の愛読書だが、今日また開いたのには訳がある 「8月の園芸家」なる章がある、園芸家の庭の留守を預かったらどうなるか……という内容である 先週は、親戚から「玉ねぎの写真を送って!」と頼まれた 写真を送ると「もう収穫時期だから採っておいて」と事も無げに言う 3畝あるのだ、玉ねぎが 親の敵のように、植えられていた やっとのことで抜き終えると「蔵の前の風通しの良くて雨が当たらない場所で乾燥させて欲しい」と言うので、数え切れない親の敵を、快適な場所に移動させる まぁこれくらいならと思っていたら、今日は「放置していた畑の野菜の写真を送って欲しい」 と言う 結果的にメロンの剪定をし、トマトの支柱を立て、雨で倒れたハウスを立て直すことになった そして家に戻れば3匹の気難しい動物(人間ではない)が待っていて、スネには竹林整備で打撲したアザが広がっている 青紫、緑、黄色、赤……人間って、こんなにカラフルになるんだと感心する 今日中に来ると言った車屋が夕になっても来ないので、風呂に入れない 確かに今日はまだ終わっていない そんな日だった
    園芸家12カ月
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