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@bunkobonsuki
2026年8月4日
「夫婦」不在社会
三宅香帆
近年の創作において、「シングルマザー」はキーワードだ。「夫」という存在を喪失した家庭を描き、親子間の絆を回復する物語は消費者の胸を打つ。
本著が問うのは「なぜ『夫』『父』不在の物語が作られるのか」である。この問いは現代社会における男女間、親子間で起きている不和の問題につながる。
思えば、「女性」「母」と「男性」「夫」は意味の変容過程にかなりの差がある。前者が何度も更新していったのに対し、後者はほとんど意味を変えていない。
「女性的」という言葉は、ある時代では農業の担い手であり、ある時代では子どもの庇護者という意味があった。時代がその時の女性に求める資質を決定していたからだ。
対して「男性的」という言葉は、未だ昔ながらの家父長制的な意味を含む。それは権力を持った、金を稼ぐ、高圧的な存在である。もはや実現しようがない時代においてなお、意味が更新されていないのである。
本著のタイトル「『夫婦』不在社会」における「(夫の)不在」を私なりに解決するとすれば、それは「夫」「父親」「男性」といった人物像の更新をするべきではないかと考える。
では、人物像の更新は何によって為されるべきか?
それこそ、文学の役割なのではないか。自由に世界を作り、物語を述べられる文学にこそ、その権利があるのでは。
