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@bunkobonsuki
文庫本を中心に読んでいます。 noteでも本の感想文を書いておりますので、もし良かったら参考に。
  • 2026年5月26日
    リトル・ピープルの時代
    「ビッグ・ブラザーとはウルトラマンであり、リトル・ピープルとは仮面ライダーである。」 なんのこっちゃと思う一文である。しかし、本書を要約するとこの一文に収まる。 ビッグ・ブラザー(国民を管理する巨大権力)が力を失った時代において、リトルピープル(各地に点在する小さな主体)が出現した。本書は、日本のポップカルチャーを取り上げて時代の変遷を論じる。その代表がウルトラマンと仮面ライダーなのである。 本書では扱われていなかったが、HIPHOPの歴史にも導入できそうな視点だと感じた。HIPHOPの誕生は1970年代末期に誕生しており、ちょうどリトル・ピープルが勃興した時代である。 HIPHOPとはバビロン(自分たちを抑圧する権力)=ビッグ・ブラザーに反抗する反骨精神で語られることが多い。これは少し不思議なことだ。リトル・ピープルの時代において、なぜビッグ・ブラザーを滅ぼす物語が作られたのか。 今もなお、HIPHOPではバビロン=ビッグ・ブラザーを非難する音楽が作られ続けている。リトル・ピープルの時代において、ある意味ビッグ・ブラザーは希求されているのかもしれない。
  • 2026年5月25日
    滅びの鐘 (創元推理文庫)
    「『復讐はいけない』なんて、綺麗事。復讐した方が気持ちがいい」 こんな言説をたびたび耳にする。 憎しみを断つには相手を滅ぼさんとするのが一番であると。確かに一理ある。 『滅びの鐘』はそんな憎しみの連鎖と断絶をテーマにした作品である。架空の世界で民族浄化が行われ、親を殺された主人公は敵を討つべく戦いに身を投じる。 本作はファンタジーであることが効いていると思った。魔法が存在する世界では、個人の復讐も大規模な殺戮へと変貌する。 たとえ最初は個人間の諍いだったとしても、やがて民族同士の対立に軸が移ってしまう。「なぜ、人は個人を憎み続けられないのだろう」と思ってしまう。 はじめの言説に戻る。 「復讐した方が気持ちいい」は、その先を考えなければ正当である。本作はその先を見せてくれる。血生臭い闘争と、融和までの道のりを。
  • 2026年5月22日
    叡智の覇者
    叡智の覇者
    『水使いの森』『幻影の戦』の先に待つ、火ノ国の運命とは——シリーズ三部作のトリを飾るのが、『叡智の覇者』だ。最後というだけあり、ボリュームも三部作最長。『幻影の戦』で登場しなかった人物も躍り出てくる、まさに集大成。 冒険活劇、政治劇と作品によって作風を変えてきた本シリーズ。本作は"科学劇"というべきか。ファンタジーにおける魔法の仕組みは、物語の展開を帰るキーとして機能する。 『叡智の覇者』では、「そもそもその仕組みはどうしてなり得るのか」を説明する。その世界における魔法を自明のものとして見るのではなく、科学の対象として研究する姿勢は、現実とは違う世界でありながら読者に強い共感を呼ぶ。
  • 2026年5月18日
    幻影の戦
    幻影の戦
    前作の『水使いの森』が少女の冒険活劇とするならば、本作は姉妹の政治劇だ。国を統べるラクスミィ(ミイア)・アラーニャ姉妹は国の要所を巡ってカラマーハ帝家と戦争することになる。 作者が作品ごとにジャンル・作風を変えることはあるが、同じシリーズでここまで大胆に変化させるのは珍しい。それでいてシナリオに前作との齟齬が見られない。自然に話がつながっていく。 表紙の女性について語りたい。 はじめ、私は表紙の女性をタータ(ミイアの師匠)だと思っていた。ところが話が進むにつれて彼女がミイアだと気がついた。 成長し、逞しくなった主人公。その姿は師匠にそっくりだ。
  • 2026年5月18日
    水使いの森
    水使いの森
    一国の王女・ミイアは国を案じて旅に出る。 旅先で出会ったのは水を操る術を持つ存在・タータやその仲間たち。国を出た少女は、自分が知らない世界を旅して力を得、成長していく。 王道の冒険活劇でありながら、全編に淫靡な空気が底流している異色作だと感じた。本作には水蜘蛛族という種族が登場するのだが、読み進めていくにつれて彼らの習慣が性行為の暗喩にしか見えなくなった。 自分の煩悩ゆえか、それとも意図的なのか分からないが、読み終えた時は「いいのか!?これを全年齢に頒布して!?」と訝しんだ。
  • 2026年5月16日
    屍者の帝国
    屍者の帝国
    夭逝した小説家が残した断片。盟友の作家が物語を引き継ぎ、完成させる・・・・・・。 これは本書のあらすじではない。現実に起きた、奇跡の話である。 日本のSFに一石を投じた伊藤計劃は、若くして亡くなった。 死後、残された作品には未完成のものがあった。それが『屍者の帝国』である。 『屍者の帝国』は、死者を部分的に生き返らせる技術が発達した近代の異世界が舞台である。そこで主人公は謎に出会い、各地を巡って解決に至る。 ——伊藤計劃が甦ったようだ。円城塔は本作を書くにあたって徹底的に彼の文体を模倣したそうだが、その結実は読んでいて恐ろしさすら覚えた。文体も、物語の構成も、提示される思想も、すべてがかつて存在した作家そのものなのである。 物語も制作背景も「死者を部分的に甦らせる」という点で一致している。前者は脳機能の再現として、後者は作品として。眼光紙背的な読み方になってしまうが、それでも、円城塔がどんな気持ちでこの作品を書いたのか、想像してしまう。
  • 2026年5月12日
    ハーモニー
    ハーモニー
    伊藤計劃はすごい作家だ。 自身が死へと向かっていく中で、「死なない世界」を否定してみせたのだから。 本作『ハーモニー』は、伊藤計劃の遺作である。グロテスクな世界を描いた『虐殺器官』とは正反対の、死から可能な限り遠ざかった世界が舞台だ。人々は体内に埋め込まれたデバイス「WatchMe」で健康状態をモニタリングし、互いを慈しみながら生きている。 ネタバレをすると、本作のラストで人類はさらに幸福な状態を達成する。表向きは喜怒哀楽があるように見えて、内面は常に恍惚とした気分でいられる理想郷に到達するのだ。 どうやって実現したのか? 人類から意識を消し去ったのである。 これはただの妄想なのだが、あの世界はまた"意識"を取り戻すのではないかと思う。物語の中でも、"意識"を後天的に獲得した人物がいる。 主人公はその人物の言動を反芻し、真似してきた。私には、それが理想郷のその後を示唆しているように思えてならない。
  • 2026年5月11日
    学ぶことは、とびこえること
    学ぶことは、とびこえること
    人種、性別、言語、文化。 著者が経験したことをもとに、差別について論じた一冊。 題名に「フェミニズム」とついているので女性差別をメインに扱っていると思いきや(実際そうなのだが)他の差別にも触れている。 差別の原因をひとつの事柄に求めるのではなく、複合的に捉えるのが本書の肝といえよう。著者は黒人であり、女性であり、黒人文化で育った者であり、差別を受ける要因がその都度異なっていた。 黒人差別の原因は人種によるもの——単純な構図を、当事者たる著者が丁寧に打ち砕き、差別の垣根を飛び越える。
  • 2026年5月9日
    「日本語」の文学が生まれた場所
    文学フリマ42で購入した一冊。 500ページを超える大作論考で、日本語で書かれた文学を取り扱う。日本で、中国で、朝鮮で・・・・・・。東アジアに点在する日本語の文章を拾い集めながら、文学史を再構成する。 この本を読むと、日本がアメリカに英語化教育を強いられた世界を想像して胸が痛くなった。日本は朝鮮や台湾で皇民化教育(日本語で書くこと)を実施した。 日本が朝鮮や中国と対立しがちなのは、単に歴史的に禍根があるだけではなく、日本が皇民化教育で土着の言語を破壊しようとした歴史があったからではないか。 もしも日本がアメリカから言語の鞍替えを強制されていたら、日米の関係は今より相当悪化していただろう。
  • 2026年5月4日
    NEXUS 情報の人類史 下
    NEXUS 情報の人類史 下
    NEXUS(つながり)としての情報を解き明かす本書の下巻では、著者が語る対象が変わる。人間から人工知能、アルゴリズムについて紙幅が割かれるのだ。 人工知能と人間は対比される関係として見られがちだ。冷酷な前者と情熱的な後者、というふうに。しかし、下巻ではアルゴリズムや人工知能が情熱をも理解し、理解した上で冷酷なことをすると提示される。 なぜ、アルゴリズムはそんなことをするのか? それは定められた目的に"合理的に"進むからである。「エンゲージメントを最大化しろ」という目的を与えられれば、仮想敵を作り出して人々を憎悪に駆り立て、団結させる。それは感情を理解しなければできないことだ。
  • 2026年5月4日
    NEXUS 情報の人類史 上
    NEXUS 情報の人類史 上
    情報とは何か? 一見すると自明のように思えるこの問いを、著者が歴史を通じて解き明かす。情報とは真実を表すものではなく、真実だと"信じる"ためのツールなのだ——情報の見方をガラリと変える、ユヴァル・ノア・ハラリの情報観を詰め込んだ著作。 上巻の本書では、情報という概念が歴史上でどのように作用してきたか説明される。序盤では魔女狩りを例に「情報によってつながり、つながりによって現実を変えていく」様子が綴られる。 本を読みながら、「魔女狩りと金稼ぎは似ている」と思った。魔女も金も現実には存在しない概念なのに、皆が信じているからこそ他の幻想とは違う生々しさを帯びているのだ。 そして、生々しさを帯びた幻想はしばしば人を不幸へ誘う。魔女狩りは多くの無辜の民を犠牲にしたし、金のために不正や悪行をする人々は後を絶たない。
  • 2026年5月1日
    虐殺器官
    虐殺器官
    気軽に虐殺や戦争が起きている昨今の世界情勢を顧みて、かつて読んだ本を引っ張り出したい気持ちに駆られる。 『虐殺器官』は、「なぜ虐殺が起きるのか」をテーマにした小説である。それは単なる物語というより、ニーチェの『ツァラトゥストラ』のような「思索を物語のように語る」作品である。 主人公は虐殺の謎に迫るにつれ、人間は生来虐殺を肯定する機能があると知る。それは虐殺の文法と呼ばれる、人間を虐殺へ駆り立てるコードである。 本作で語られる虐殺の文法が現実にあるかどうかは分からない。しかしながら、現実を見ると、「突如として人々が虐殺を始めた」としか思えない。 本作は創作を超えて予言の域に到達してしまった。ある意味で幸福で、不幸な傑作。
  • 2026年4月30日
    文学は何の役に立つのか?
    古典、漢文、文学など国語に関する科目は、不要論にさらされる宿命にある。「それが何の役に立つんですか?」という問題提起がつきまとう。 その問いに小説家・平野啓一郎が答える。 講演で、評論で、あるいは弔辞で。 本書に弔辞が付されているのは、タイトルへの答えだと私は思っている。人は事物や現象に対して言葉でもって対処することがある。人が亡くなったとき、ただ滂沱の涙を流すのみならず、なぜ別れの言葉を告げるのか。 文学が役に立つのは、言葉でもって物事に決着をつけるときである。弔辞は一種の決着である。
  • 2026年4月26日
    砂漠と異人たち
    『遅いインターネット』の続編の舞台は、まさかの砂漠であった。そしてこの話の次は庭である。インターネット→砂漠→庭と、著者の表現はパンジージャンプのごとく跳躍して戻ってくる。 本書では砂漠を追い求めた著者が、T.E.ロレンス、村上春樹、吉本隆明の人生・思想を通じて「事物を愛すること」を説く。この並びがどうして繋がるのか読んだ後も不思議に思う。が、確かに繋がるのだ。 私は、著者の「事物を愛する」思想に触れて、本との向き合い方について考えた。本の歴史を紐解くと、本はそれ自体が崇拝され、愛されるモノであった。デジタル化によって情報としての側面が強調された今では、本そのものを愛する方が稀であろう。 本そのものを愛すること。つまり集め、保存ことは、単に情報を取り込む以上の営みであると信じる。
  • 2026年4月23日
    回復する人間
    回復する人間
    『回復する人間』は、心身に重篤な傷を負った者たちの物語だ。事故の被害者である彼らは、同時に加害者の側面も持つ。ハン・ガンは加害者の側面を惜しげもなく露わにするのだが、私は彼らに憎しみを持たなかった。 読者の作家に対する態度は、はじめて読む作品で決まる。私にとって、ハン・ガンの小説を読むのはこれがはじめて。どうやら私はハン・ガンを好きになれるらしい。
  • 2026年4月22日
    透明な迷宮
    透明な迷宮
    「透明な迷宮」は、男女が他者から「愛し合え」と命じられることから始まる。本編を読むと、性的かつプラトニックな愛という矛盾した概念を実現している。 文章はもちろん、その発想に私は敬意を表したい。本作は作家・平野啓一郎の提唱する「分人主義」がもっとも色濃く現れた作品だと思う。
  • 2026年4月19日
    本が生まれるいちばん側で
    小説家、芸人、ライター、インフルエンサー、いろんな書き手がいる。だが、本書の表紙を見た時はさすがに驚いた。書き手が印刷会社なのである。 「藤原印刷」は、「写真集といえば藤原」と言われるほど技術力のある印刷会社である。本書では、藤原印刷の代表者・藤原隆充氏と弟・章次氏のお二人が「印刷とはなにか」を語ってくれる。 語るのは言葉だけではない。 本書の作りはかなり複雑である。章によってページの色味が違ったり、特定の文だけ色味が薄かったりする。印刷という作業が単に刷るだけではないことを物語る。
    本が生まれるいちばん側で
  • 2026年4月15日
    考察する若者たち
    「考察」という言葉が変化している。論文で書くような「◯◯の一考察」と、動画サイトにあふれる「◯◯考察動画」では言葉のノリが違う。なんとなく考察の語義が多様化している気がしていたところ、本書に出会った。  現代における「考察」とは、答えを探すことである——こんなことを著者は書いている。これを読んで不思議な気がした。VUCAをはじめ、「現代社会は変化が激しく、答えのない世界である」などという言説は溢れている。  そんな言説を浴びた現代人が、創作においては答えを希求する。なんだか面白い。意地悪な発想だが、考察的知性の人々に川端康成の『雪国』を読ませたい。あのラストに答えを提示しようとすると、一生を堂々巡りで終えそうな気がする。
  • 2026年4月14日
    庭の話
    庭の話
    正直に書くと、本書をSNSで紹介するのにためらいがあった。本書にはSNSで繰り広げられる「承認欲求を満たすゲーム(敵を作り誹謗する振る舞い、いいねをもらうために何かを投稿する)」を批判する内容が含まれている。SNSでこうした本を取り上げるのは、承認欲求ゲームを実行している感じがした。 ただ、それでも本書を紹介せずにはいられない。会社、村、電子空間におけるコミュニティ——しばしば懐古され、理想郷に仕立て上げられる"共同体"という概念を手厳しく批判した上で、共同体を離れた<庭>という概念を提唱する。現実の庭の話として、また比喩として、共同体を超える在り方を提示してくれる。 まだ本書を読まれていない方に先に書いておくと、<庭>はすべてを解決するわけではない。著者自身が本文中にそう書いている。しかし、息苦しい世界を生きる糸口を手繰りよせることはできる。
  • 2026年4月12日
    ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
    イングランドの都市・ブライトンに住む著者が、家族との対話の日々を綴った名著。本書のタイトルを目に、耳にした人は多いだろう。 私は本書をサッカーの文脈で語りたいと思う。 スポーツのリーグは、国の様相を反映している。イングランドにおける代表的なスポーツリーグといえば、サッカーのプレミアリーグである。外国人選手を呼び込むことで世界一のリーグの地位を得たこのリーグは、同時に外国人によって支えられているという側面もあった。 本書で語られるのもそういうことだ。 イングランドが外国人や移民によって支えられ、労働において脅かされ、格差が生じる。外から来た者たちによる繁栄と、自国民のアイデンティティの揺らぎ、それがプレミアリーグの様相とリンクするように見えた。 余談だが、本書の舞台となる2018年はワールドカップが開催された年でもある。イングランド代表は3位決定戦に敗れ、4位となった。 3位決定戦で戦ったベルギー代表は、プレミアリーグに所属する選手が多いチームだった。あの試合は、イングランドという土地の課題を端的に表現していたのかもしれない。
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