
阿久津隆
@akttkc
2026年7月27日
八月の光
ウィリアム・フォークナー
読んでる
ハインズ老人が「淫乱と憎しみだ! 淫乱と憎しみの種だ!」と叫んでいて、老夫婦はそのあとバイロン・バンチに連れられてハイタワーの部屋にやってきた。
p.478
「お話しなさい」とハイタワーが言う。「なんとか話してみてごらん」
「あの、それというのが私―」ふたたびその声は止まる―まだ高まりもせぬうちに、そのざらついた音に自分も驚いたかのように薄れ去る。まるでこの三語が自動防止装置であって彼女の声はどうしてもそれを通過できないといったふうであり、彼女がいまそのまわりをぐるりと避けてゆくのが目に見えるようだ。「あれが歩けるようになる前から、一度も会ってませんのです」と彼女は言う。「この三十年、一度も会ってないんです。自分の足で歩いて自分の名を言えるあの子には、一度も―」
「淫乱と憎しみだ!」男のほうがだしぬけに言う。その声は高く、鋭く、強い。「淫乱と憎しみの印だ!」それから彼はやめる。彼は夢遊状態からその言葉をまったく意外な予言者めいた突然さで叫び、それっきりである。
それっきりである、で笑っちゃった。そのあと老人がまた口を挟み、しかし今度は怒鳴らない。
p.479
「そう。老ドック・ハインズがその子を連れてった。神様が老ドック・ハインズに機会を与えてくださる、だから老ドック・ハインズも神様に機会を与える。それだから小ちゃな子の口をかりて神様はその御心を行わせられた。小ちゃな子供たちが彼に向って、彼と神様とに聞えるように黒ん坊! 黒ん坊! と叫んでるのは、これは神様の御心を示しとる。それで老ドック・ハインズは神様に言ったよ、『でもこれじゃあ足りんです。子供たちなんぞは、お互いを罵るにも黒ん坊なんかよりもっと悪い言葉を使います』、すると神様が言われたよ、『おまえは待って見張っとりなさい、なぜならわたしはこの世の堕落や淫乱ばかりを罰する時間がないでな。わたしはあの子に目じるしをつけておいたが、今度はそれを悟らせてやろう。わたしはおまえに見張ってもらって、わたしの意志を守ってもらう。これを扱って監督するのはおまえの役だぞ』」。彼の声は止む。言葉尻を下げずにぱたりと止む。その止り方はまるで誰か音楽を聞いてもいない者がレコードから針をあげるときそっくりだ。
話を聞かされるハイタワーがバイロンに向かって、「こりゃ何だね? こりゃ何だね?」と言っていてまた笑った。いったい何を聞かされてるんだ、という気持ちだろう。