
ジクロロ
@jirowcrew
2026年8月5日

フーコー
ジル・ドゥルーズ,
Gilles Deleuze,
宇野邦一
買った
思考は、それが発生してくる外、思考のなかに「考えられないもの」として住まっている外をのぞけば、何もその内側に見出すことができないのだ。
この意志の決断(フィアット)。これがあらかじめどんな命令も無効にしてしまう。しかしフーコーは、異様な、最後の相貌が現われるのを予感する。もし外が、どんな外部世界よりもさらに遠くにあり、しかもどんな内部世界より近くにあるとすれば、それは思考が、思考に固有の<思考されないもの>として外を発見しながら、自分自身に影響する、ということのしるしではないか。
(p.223)
盲点の発生、それは、視点という条件をおのずと受け入れている、その徴ではないか。
量子力学的な記述に、頭がついていかない。が、そこに面白さが、「つい」に感じられる。
ドゥルーズもフーコーも、自分にとってはただの憧れであって、本は持っていてもひとつとして読み通した試しがない。二人とも「外」すぎて、読んでいる途中で、言葉が身体化するよりも先にいつも重力を失い、場所を失い、熱死してしまう。
そもそも読みはじめの頁が、その日の親指の指紋と湿り気次第という次第。
だけどこの本なら読めそうな気がする。
その理由を思考する。
思うに、二つの盲点(ドゥルーズならこれを「盲線」と呼ぶのかもしれない)があれば、その2点を元手に読者だけのクリアな透視図を描ける、ということなのかもしれない。
「異様な、最後の相貌」、自分もまたこれを見たいと願う。二つの異なる眼球を斜に並べて。
これもまた、これまでにない稀有な読書体験。



