じょるじゅ。 "性的であるとはどのようなこと..." 2026年8月7日

性的であるとはどのようなことか (光文社新書)
難波先生のご著書をすべて読んでみたい!ということで、今回はこちらを拝読いたしました。 面と向かって議論したり、考えたりすることが憚られるものの、大きな問題を引き起こす「性的快感」や「性的興奮」について、新たな視点で捉えようという内容になります。 本書を拝読し、(いつものことで恐縮ですが)少し脱線するものの、私が小説をあまり読まなくなったのは、小中学校時代にあった読書の時間に読んだ本のせいかも…?と思いました。 というのも、私が小中学生の頃は『世界の中心で愛を叫ぶ』や『いま、会いにゆきます』などが映画化され大ヒットした時でした。当時は本好きではなかったため、読書用の本を探しに本屋さんへ行った際、安直に「まぁ、なんか人気あるし」と映画も見ていないのに買って読んだところ、突然挿入される性描写に「えっ」と驚くとともに、(これらの作品が好きな方々には本当に申し訳ないのですが)行為そのものに対しての不快感と合わさって、「話の本筋に関係あるのコレ?」「漫画とかアニメはR18とか規制されるのに小説ならいいのかい」という違和感が強く残ったのです。 その後、国語の教科書に載っていた短編から気になって読み出した村上春樹作品や、気になって購入した歴史小説でも同様の現象に苛まれ、「小説は不意にそういう描写が出てくるかも知れない」という警戒心から、距離を置くようになったところはあると思いました。 そう考えると、文字のように自分で想像する必要があるものは良くて、パッと視覚的に入ってきてしまうものは悪い、ということになるのでしょうか…?確かに、視覚情報って強烈ですからね。広告がバッシングの的にされやすいというのは、そういうのも関係あるのかも知れません(あと、広告というものに対して、最近はあまりいいイメージがないのも関係しているような…?)。 ただ、「恥ずかしさ」という意味では、自分の感情が揺さぶられるというのに加え、その本を読んでいるときに誰かに見られて「この人、こういうのが好きなのか」という目で見られるのが「恥ずかしい」と感じる方が強いように思いました。人目を気にする文化圏で育っているからでしょうか。 また、「えっちさ」を2つに分けるという点で、個人的には「崩れのえっちさ」の方に共感しました。「崩れのえっちさ」というと、永井荷風の『濹東綺譚』を思い出します。 また、個人的に興味を持っているので、九鬼周造の『「いき」の構造』を取り上げていただいていたのは嬉しかったです。 普段、自分自身が何に対して「えっちさ」を感じるかについて、あまり考えたことがなかったので、これを機に何に対して心が動かされるのか、自分の感じ方に意識を向けてみようと感じました。 生活に密接…というか、生活の一部であるのに見逃されがちな点に優しい眼差しを向けられる難波先生のご著書、これからも楽しみにしております。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved