みみみ "関ヶ原 下" 2026年8月7日

みみみ
みみみ
@kmkdnrd
2026年8月7日
関ヶ原 下
関ヶ原 下
司馬遼太郎
西軍かっこいいぜ〜!たまらんかっこよさだった!!島左近、大谷吉継、蒲生郷舎が半端なかった!!!!!とくに左近!!! と、いう気持ちがめちゃくちゃ大きくて、関ヶ原といえば西軍のかっこよさ!の記憶がわたしは先走っていたんだな。だから石田三成もずっとかっこよかったはず!と期待して下巻を読んだんだけど、三成のかっこよさは負けを確信してからだった。上巻の三成はずっとかっこよくてかわいかったけど、下巻の三成は敗戦直後からが本領発揮であった。島左近はちなみに上中下巻ずーーーーーーっとかっこよかったです。あんなのみんな好きになっちゃうぜ。 下巻の三成はまあとにかく迂闊で視野が狭くて頭がかたくて都合の良い解釈で勝ちを確信し希望的観測で思い込んでばかりで不安になるとうろたえ体調の悪さに苦しみそれでも諦めずボロ雑巾のようになっても本懐を遂げようとする人であった。ちょう等身大の人間じゃん!!くう〜!そこも三成の良いところだよ!!と三成ど贔屓のわたしは思ってしまうんだけど、でもそうだよねえ、誰もが自分の計画は絶対うまくいくと盲目的に信じてしまう一面があって、別のことであれば多角的に見ることができたとしても信じたいことに関しては一面からしか見ることができず、突然心配になったりどうしたら良いかわからなくなったりして、いてもたってもいられず誰かにお願いするのも不安で自分が動くことを止められず、でも願いを捨てられず最後まで足掻いてしまう、なんて、誰でもあるよね!そりゃ石田三成ですらそうなんだから私がそうなっちゃうのも当たり前だよね!!!!と思うなどした。 ワタワタする三成に対して泰然とする家康、という対比が合戦が始まるまでは多かったけど、いざ合戦が始まると家康もじっとしてられないし感情的になっていたなあ。だからといって、家康だってそうなんだから私がそうなるのはもっとあたりまえだよな!とは思わないのが、三成贔屓だからこそだよな〜〜〜くそ〜家康め〜〜〜、と思いつつ読んだ。 合戦のシーンは関ヶ原に行ったことを思い出しつつ読めたのがよかったな。やはり寺社城郭古戦場などには積極的に赴いた方が楽しい。あのひろーーーい場所、そしてあの山、あそこで大きな合戦があったのだよなあ。しみじみ。 結局三成の人徳のなさ(というか、言葉選びの悪さ、「異常な」潔癖さ)が合戦時の島津の動きを決めたし、前段階からの準備の周到さが動かない西軍のもろもろに繋がったんだよね。言葉には気をつけよう。そして準備を怠らずに何事にも取り組もう。 でも西軍はやっぱり運もなかったと思うよ、三成は運とかじゃないっていうけどさ。吉川広家の毛利家に対する評価とか、運とも言えるでしょ。毛利家当主が人柄がいいだけじゃなく器も大きければ違ってた、し、そのように吉川広家が見極めてなければこれもまた違ってた。そういうのもやっぱり運とひとつだとおもいますよ。西軍派として動かない吉川広家は好きじゃないんだけど、でも毛利を冷静に見て値踏みしてどうしたら1番良いのか考えて動かないことを心に遂げてやりとげるあたり、素晴らしくもあった。毛利のことをもっとちゃんと学んだら好きになれそうな気もするよな。 下巻の三成の、この戦はだめだ!が、俺は負けない!義があるからだ!それは一度の敗戦で失われるものではない!だから死なない!逃げます!から斬首まで、めちゃくちゃかっこよかったんだよなーー!もちろん、鬼のように戦い、三成のその話を聞いて色々思うところはあっても、理解しましたじゃあ殿が落ち延びられるように最期まで全力を尽くします、っていって言葉の通りにすんごい戦いをして死ぬ左近はかっこいいんだけど、それとは別の戦い方をする三成もすんごかったよね!本当にあれは確かにある種の狂気なんだろうとおもう。島津の退却を見てあれは手を出さぬ方が良いと福島正則が判断したけど、それに近いものがあるのではないかと思ったな。 で、だよ、その「義」を掲げている三成がさ、かつての領民に助けてもらってるところでさ、「俺も俺は義だと言ってはいるが、利をもって諸侯を西軍にひきよせたし、仮に今回の戦で勝ったとして、自分自身が利に傾かず潔くいられるか自信がない。かつての執権のような立場でふるまうにちがいない(これは必要なことだと信じているがごく一部の仲間を除き、世間はこれを利であり天下を奪ったと考えるだろう)。全ては利だ。俺は利に敗れたのだ」というの半端ない!!!どちゃくそに熱い!!!!! 家康め裏切ったものどもめ東軍についたやつらめお前らみんな不義で利にばかり目が行ってるんだよ!て思っていた人が!敗戦後も生きて義を通すのだと言っていた人が!そういうことを考えるところが尊いよ!!!そして死を覚悟して生活を捨て助けてくれたかつての領民に「だというのに命をかけて俺をこうして匿ってくれるお前の心はどうなっているんだ!」て叫び出しそうになってるの、たまらんでしょ!!!!! それはあなたが領民を愛していたからこそ、彼に生まれた義があればこその行動なのでは!!?!?と、思ってしまうよね。そんな単純なものではないかもしれないけど、でも三成がしんどいときに救ったり顔覚えてたりしたっていう、これまで蒔いてきたたくさんの優しい気持ちが三成を助けるという形で「義」を体現したんだと思うよわたしは!!最後の官兵衛の「三成が家康におもねることがなかったからこそ、世の姿は崩れることなく、正義も失われなかった」ということば、何よりの手向だと感じました!!!ありがとう! 善意は巡るなあ。そして後ろ暗いことをするとそれも罪の意識として未来の自分を縛ることになるんだなあ。と、三成と金吾のことを思い考えるのであった。ある面では病的な正義感が三成にあったからこそ敗戦後に匿ってくれる人がいたのだという事実、または、「柿は食わない」のところで三成の言葉を群衆が聞いてくれたこと、そういうことが次の世代のなにかに繋がっていくし今後にも繋がっていくんだよね。こうやっていろいろな気持ちは形を変えて長い時間受け継がれてきたんだろうなあ。だから歴史というのはかけがえのないものなんだろうな。彼らの生き抜いた未来に生きている我々は彼らのおもいを真摯に受け止めねばならないし、更なる未来に繋げなければいけないと思う。 とにかく、十年以上ぶりに読んだ関ヶ原、記憶の通り西軍はかっこよくて、記憶よりも三成は情けなくてかわいくて等身大の部分もあってそれでもやっぱり普通じゃない気高さと「利害の世に異常な正義感を持ってひとり立っている」「狂人」なところがあって、めちゃくちゃかっこよかった。やはりバチバチに嫌味と皮肉をいって奉行として動いている三成は最高だよ。捕まってからガンガンに言いたい放題言ってるところめちゃくちゃスカッとしましたよ!殿!というきもち、いち西軍派の人間として。そして、守るべきものがある人は強い。 読んでよかったな。先人たちのことを考えると、我々は昨日よりも少しだけでも背筋を伸ばして恥ずかしくない生き方をしなければならないな、と思えるね。そしてそれを強要してはいけないのだ。三成の姿からこれもまた学んだのでありました。 八本目の槍から始まったわたしの2026夏の三成フェア終了!さみしいな!
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