

みみみ
@kmkdnrd
本から何かを得たい!というよりわーっと読んであー面白かった!と思うために読んでいる
- 2026年8月15日
春はまだか今村翔吾読み終わった時代小説の方も読もうと思って手を出したくらましやシリーズ。 歴史小説よりもスラスラ読めるし、イクサガミほど重たくない、気がする。 あと2冊買ってあるから読むけど、わたしは時代小説じゃなく歴史小説が好きなんだな、と気づいた。 もちろん面白かったし、ドキドキハラハラもあったし、たぶんこれはくらやましやのみなさんがやばいことにはならず春ちゃんも幸せになるであろう!というある意味信じて読めるのも良かった。 でも、かっこいい技とか大立ち回りとかそういうのを読みたいんじゃなく、歴史上の人物のお話をわたしは読みたいんだな、たぶん。 面白かったし歴史に興味持ってもらえそうだし子供らが読むとめちゃくちゃいいなと思う。 - 2026年8月14日
乱読御免今村翔吾読み終わった本を軸にしたエッセイ。 そもそも今村翔吾という作家が好きなので発売日に買って読んだ。 何冊か読みたいなと思う本があったので本屋さんで見てみようー。 サンタクロースの話、おとうとの話、雄太の話、おばあちゃんの話が印象的だった。 さまざまな気持ちは善悪どちらであっても大きな影響を与えているんだよなあとか、人と人の繋がりの大切さとか、なんだかしみじみしたというか、なんというか。 子どもの頃の経験が、というところでは、あーそーだなわたしも子どものころのアレコレが価値観つくってんなと改めて思うなどした。 最後で紹介されていた『21世紀を生きる君たちへ』、めちゃくちゃ好きで職場に置いているんだけど、誰も手に取ってくれないからたぶんわたししか読んでない、けど、すごく好きなんだよなーーー! 教科書で読んだ記憶はないんだけど、せっかく置いてあるんだからみんな読んだ方がいい。 わたしも「「未来」という町角に、私はもういない。」のところすきだ。 かつて生きた人々の未来に私たちは生きていて、わたしたちの未来を現在として生きる人々がいるのだよなあ!!!とワクワクしちゃうのであった、いつものように。 - 2026年8月14日
戦国武将を推理する今村翔吾読み終わった前書きの「彼らは間違いなく生きていた。」からのながれがどちゃどちゃに良い。そういうことを考えるのが好きなんだよ〜!!フー!!!と思いつつ読んだ。 有名武将がたくさん出てきていて、ふむふむ、と彼らの話をいろいろ解説してもらう本。割と有名な話も出てくる。 こう考えていたんじゃないかと思ってます、と書いてくれてるから、なるほどねえ!と素直に思いながら楽しく読めた。 石田三成の章を読むために読み始めたんだけど、なぞにその三成の章を読むときは緊張したりして、いやーーー、石田三成がすきだなーー! 「理の人でありながら情義を重んじる人間らしさ」とか「生きてこそ、という思い、命を大切にする姿勢」とかそういう文章が出てくるたびに、いちいちクウ〜〜〜!であった!! 三成三部作の三作目、楽しみにしてます。三部作と言わず何十作もお願いします。 今村作品は繋がっている、という話も出てきたので、今後はそのつもりで読むのも楽しいな。 2026夏の石田三成フェア開催中だったからその時代のものを6冊ほど読み返したり買って読んだりしてたんだけど、そう言われると別の本も読み返したくなっちゃうな〜。 茜唄読み直すつもりだったけど、真田丸見てるから先に『幸村を討て』を読んでもいいなあ。 - 2026年8月13日
塞王の楯 下今村翔吾読み終わった下巻!!! はちゃめちゃに面白い!!上巻からさらにスピードアップしてめっっっっちゃくちゃおもしろい! 一気に読んでしまった〜! 2度目であってもほんっっっとにおもしろいよ! 「人は愚か」に尽きるだろ、と上巻読み終えて思ってたんだけど、下巻で「人が人である限り争いは絶えないのかも、でもそれを是としたら人は人でなくなる」って出てきてた! そーだね、人は愚か、人がいる限り争いは終わらない、で考えるのを終えたらどこにもなににも繋がらないね。 「楯と矛は、人の愚かさを示し同じ過ちをおこさないためにあるのではないか」とそのあと続くんだけど、ウオオオなるほどなあー!すごい。 生きている以上ぶつかることは避けられない、でも過分な力や抑える力は、愚かさとその繰り返しを防ぐためにあるのかー!!! 楯と矛、どっちがいうこともわかる、と思うのは、楯も矛も誰かや何かを守るため、ということが根底にあるからだもんねえ。 だからこそ争いの後に愚かさをしらしめ、繰り返してはならないのだと感じることができるのかもしれないなあ。もちろんはじめから争いなんてない方がいいんだけど、ゼロにするなんて無理だからこそ争い方ってものがあるぞ、というか。 でもそのために立花宗茂や匡介や彦九郎が汚名を着る、というのもまた違うとも思うよね。 彦九郎にはそれを立花宗茂が言っていたけど、それは立花宗茂にも同じことが言えるのではないのかな。「殿」と言う立場だからこそ、背負わねばならない責任があるから、それは仕方ないのかもしれないけども。 本文にもあった通り、人の心がそもそも矛盾しているのだよねえ。何が正しくて何が間違っているかなんて決められないんだよなあ。 それこそ、それぞれの立場で考えなくてはならない、想像力を持て、という小学生のときから人々がずっと言われていることに繋がっていくのかも。 大人は取り繕うのがうまいから上手にぶつからないようにしているだけで、人付き合いでイライラすることは珍しいことじゃなくて、だからこそどちらかが一方的に正しいわけでも間違っているわけでもない、という視点を忘れてはいけないんだよね、きっと。 簡単なことではないけど!!! 彦九郎の葛藤も良かった。 武器の改良を重ねる意味が明確にあって、それは人のためになると信じているのに、その人々からは嫌われてしまう、というままならさ。 そこに父の死ものっかって、もう!!!なんだよね。立花宗茂の存在は本当に救いになっただろうなあ。 匡介も彦九郎も同じタイミングで戦いを続けられなくなった、ということを匡介は「必然」といったけど、彦九郎はどう思ったかな。 やっぱり信頼できる「殿」の存在というのはすごい。大津の人々にとっての京極高次、石田三成にとっての豊臣家、徳川家臣団にとっての家康、みたいに。 現代に殿様はいないけど、顧客でも同僚でもなく、そういう上司に出会えたら幸せだろうなー。その存在があればちょっとの無理も乗り越えられちゃうもんね。それが客のため同僚のために繋がるし。 飛田屋も国友衆も、依頼されたのだから最後までやり切る、というシーンがやはりめちゃくちゃ好きだった! 毎度毎度同じことを言うけど、「仕事だから」と矜持を持って果敢に行動するシーンがとにかくはちゃめちゃに刺さる。ウオー!!! 残業が伸びていくだけで「人が働いていい時間じゃない!!!」「時間内で終えられるわけがない仕事量で理解できない!!!!」とわたしは騒ぎたくなるのに、彼らは命をかけて仕事をするんだよね!誰かのために! で、それがたぶん彼らを彼らたらしめているんだろうな、というのも熱い!たまらん!!!言葉にならん! 知恵を絞って限界を超えて最善を尽くすの、かっこいいよ!もーほんとに!! 穴太衆は依頼者のために働くから、西軍と対峙したあと次は西軍と一緒に戦う、となるんだけど、なんか不思議だな。 穴太衆へのリスペクトから「いちど話をしたかった」は事実だと思うんだけど、その穴太衆の技術があったからこそたくさんの犠牲も出たわけで、となるとまた矛楯の話に繋がってしまうんだけど、まあそれはそれとしてああしてすぐに気持ちを切り替えられるものなんだなあ。というか。 そういう時代だから、とも言えるのかもしれないなあ。乱世だし。武田が滅びたから織田に上杉に北条につくといい徳川と合戦をして結局徳川の下についてさいごには徳川と大合戦を繰り広げる真田、てのもそれに近いのかなあ。うーーーーん。わからん。そこにはいろんな思いが渦巻いていると思うんだけど、うーん。 時代も感覚も全く違うわたしには一生わからないのかもしれない、けど、知りたいなーー 1回目に読んだ時は京極高次いいな〜!横山殿かっこいいなー!!とぼんやり思ってた気がするんだけど、今回はなによりも玲次のかっっっっこよさがほんとに刺さった。あんなのみんな好きになっちゃうぜ〜〜。立花宗茂はもちろんいつもかっこいい。戦国武将伝でもよかったもんね。 はーおもしろかった!めちゃくちゃ熱かった!なんかもっと言いたいことがあった気がするけどもうわからん! 大津城、見てみたかったな。 - 2026年8月13日
塞王の楯 上今村翔吾読み終わった2026夏の石田三成フェアの余波。 2度目だけどやっぱり面白いな〜! 前回読んだときはちゃんと感想を残さなかったけど、多分思ったことは同じじゃなかったかな。 楯と矛、匡介と彦九郎のどっちのいうこともわかる!ということと、守るために武力を持つことの是非、というのがテーマのひとつでは、ということ。 核の傘の是非ともいえるのかも。 彦九郎の言う「一度だけ圧倒的な力を持つ武器を使用して強大さを示す。そうすればその力が抑止力となり戦は起こらない」というの、まさに核の傘の話だ。 その前に彦九郎は「そんなものを使うほど人は馬鹿ではない。泰平をつくるのは使われない砲だ」というけれど、匡介が指摘して彦九郎もその指摘に堂々と答えた通り、それには一度使って示すという大前提がある。 世界は2度核兵器を人間の上に落としているけれど、果たして学んでいるかな。81年たってその非道さを忘れていないかな。日本人だからこう強く思うけど、きっと世界は同じ熱意ではそう思っていないから、核をちらつかせる国が出てくるのではないのか。そもそも1度であっても民間人の頭上でそんなものを炸裂させるなよ。 とは強く思うんだけど、それは現代の話でこの本とは別の話だな。うーん。核の傘の必要性もどっちががいいともわからないし、どっちの意見もわかる気がするし、でも被爆国である日本が核を持つことの是非とはまた違う話なのでは、とおもう。あー頭よければそういうのも筋道立ててきちんと考えられんのかな!頭良くなりたかったな! 彦九郎は匡介に「だというのにお前らが強い楯を作るから戦が終わらない」ということを言うのだよね。 源斎も匡介もそれはそうかも、壊れない石垣を作ることで強い鉄砲が生まれ、だからこそ戦が長引きたくさんの犠牲者が出たのかも、と悩むんだけど、そうか??? それは武器を作る側の傲慢さからくる主張では?攻められれば守るのは当然では?攻める方が悪いのでは???源斎の言う通り「人は愚か」が全てだろ、とわたしは単純だから思ってしまうんだよな。 でも実際は攻める側にも攻める理由がおそらくあって、そう単純な話ではないんだよね。 家を守らねば、家族を生かさねば、とか、そういうところから始まっているよね戦の歴史を思い出すと。 もちろん自分たちが権力を保持したいからということもあるけれど、なんにせよ、何かしらそれぞれが譲れないものを守るために戦というのは始まっていた、気がする。 と、なると、より良い武器より良い石垣を求める人の思いは、その是非は別として、生まれてきて当然の考えのように思うし、だからといって人の命を奪っていいものではないと(今よりずっと人の命が簡単に奪われていた戦国の世であっても)思うし、うーーーーむむずかしいな。 で、その難しい話よりわたしがウオオオとなったのは、相変わらず「繋がっていく」という話についてであった。 飛田屋にしろ国友衆にしろ、思いは繋がっていく。 彦九郎も「俺の技術が礎になってもかまわん」といっていた。 なかでもわたしは「互いに支え合って一つのものを造るということ、目立った功績の裏には目立たずとも礎となる者がいること、ふと石垣と人は似ているのかもしれないと思った」でいっっっっちばんクウ〜〜〜!!!!!となったよね! 歴史の教科書に載らない人たちのこと、彼らが必死に生きたから今につながっているのだということ、まさにじゃん!という興奮。 何を読んでも同じようなことを考えている。 でも本当にそうなんだよねー自分ひとりでいろんなことができるようになった気になっちゃうけど、いまのわたしがアレコレできるようになったという現在地点に至るまでに、たくさんの直接的な力添えと学びや気づきを与えてくれる他者がいたのだよなあ。 で、その他者にもおなじようにサポートしてくれる他者がいて……と繋がってきているのだ。 歴史とは尊い!!!!人の営みのつながり!!!!! と、興奮しつつ思うのは、やっぱり1度であっても誰かや何かを犠牲にするようなものは使ってはいけないよ、彦九郎。そこにはたくさんのひとのおもいがこもっているんだから。でも攻撃せねばならぬほどの窮地に陥ってしまう、ということも事実としてきっとあるのだよね。むむむ。 もう一個響いたのは、積方と荷方の話で出てきた、知らないと傲慢になるということ。 みんなそれぞれの仕事を必死にやっていても、相手の仕事っぷりをしらないと「もっとちゃんとやれよ」とか「おせーよ」とか思ってしまう、てやつ。 あーーーー耳が痛い!でも思っちゃいがちですねわたしはね!! それを素直に認めて自分を変えられる匡介は立派だ。 わたしも視野を広く持って自分の価値観だけで物事をはからず寛容でありたいなあ。難しいなあ。 あと、玲次がいちいちかっこよかったです。 匡介と仲良くなってからはかわいかったしね。 なんにせよ下巻が楽しみ!!! - 2026年8月7日
関ヶ原 下司馬遼太郎読み終わった西軍かっこいいぜ〜!たまらんかっこよさだった!!島左近、大谷吉継、蒲生郷舎が半端なかった!!!!!とくに左近!!! と、いう気持ちがめちゃくちゃ大きくて、関ヶ原といえば西軍のかっこよさ!の記憶がわたしは先走っていたんだな。だから石田三成もずっとかっこよかったはず!と期待して下巻を読んだんだけど、三成のかっこよさは負けを確信してからだった。上巻の三成はずっとかっこよくてかわいかったけど、下巻の三成は敗戦直後からが本領発揮であった。島左近はちなみに上中下巻ずーーーーーーっとかっこよかったです。あんなのみんな好きになっちゃうぜ。 下巻の三成はまあとにかく迂闊で視野が狭くて頭がかたくて都合の良い解釈で勝ちを確信し希望的観測で思い込んでばかりで不安になるとうろたえ体調の悪さに苦しみそれでも諦めずボロ雑巾のようになっても本懐を遂げようとする人であった。ちょう等身大の人間じゃん!!くう〜!そこも三成の良いところだよ!!と三成ど贔屓のわたしは思ってしまうんだけど、でもそうだよねえ、誰もが自分の計画は絶対うまくいくと盲目的に信じてしまう一面があって、別のことであれば多角的に見ることができたとしても信じたいことに関しては一面からしか見ることができず、突然心配になったりどうしたら良いかわからなくなったりして、いてもたってもいられず誰かにお願いするのも不安で自分が動くことを止められず、でも願いを捨てられず最後まで足掻いてしまう、なんて、誰でもあるよね!そりゃ石田三成ですらそうなんだから私がそうなっちゃうのも当たり前だよね!!!!と思うなどした。 ワタワタする三成に対して泰然とする家康、という対比が合戦が始まるまでは多かったけど、いざ合戦が始まると家康もじっとしてられないし感情的になっていたなあ。だからといって、家康だってそうなんだから私がそうなるのはもっとあたりまえだよな!とは思わないのが、三成贔屓だからこそだよな〜〜〜くそ〜家康め〜〜〜、と思いつつ読んだ。 合戦のシーンは関ヶ原に行ったことを思い出しつつ読めたのがよかったな。やはり寺社城郭古戦場などには積極的に赴いた方が楽しい。あのひろーーーい場所、そしてあの山、あそこで大きな合戦があったのだよなあ。しみじみ。 結局三成の人徳のなさ(というか、言葉選びの悪さ、「異常な」潔癖さ)が合戦時の島津の動きを決めたし、前段階からの準備の周到さが動かない西軍のもろもろに繋がったんだよね。言葉には気をつけよう。そして準備を怠らずに何事にも取り組もう。 でも西軍はやっぱり運もなかったと思うよ、三成は運とかじゃないっていうけどさ。吉川広家の毛利家に対する評価とか、運とも言えるでしょ。毛利家当主が人柄がいいだけじゃなく器も大きければ違ってた、し、そのように吉川広家が見極めてなければこれもまた違ってた。そういうのもやっぱり運とひとつだとおもいますよ。西軍派として動かない吉川広家は好きじゃないんだけど、でも毛利を冷静に見て値踏みしてどうしたら1番良いのか考えて動かないことを心に遂げてやりとげるあたり、素晴らしくもあった。毛利のことをもっとちゃんと学んだら好きになれそうな気もするよな。 下巻の三成の、この戦はだめだ!が、俺は負けない!義があるからだ!それは一度の敗戦で失われるものではない!だから死なない!逃げます!から斬首まで、めちゃくちゃかっこよかったんだよなーー!もちろん、鬼のように戦い、三成のその話を聞いて色々思うところはあっても、理解しましたじゃあ殿が落ち延びられるように最期まで全力を尽くします、っていって言葉の通りにすんごい戦いをして死ぬ左近はかっこいいんだけど、それとは別の戦い方をする三成もすんごかったよね!本当にあれは確かにある種の狂気なんだろうとおもう。島津の退却を見てあれは手を出さぬ方が良いと福島正則が判断したけど、それに近いものがあるのではないかと思ったな。 で、だよ、その「義」を掲げている三成がさ、かつての領民に助けてもらってるところでさ、「俺も俺は義だと言ってはいるが、利をもって諸侯を西軍にひきよせたし、仮に今回の戦で勝ったとして、自分自身が利に傾かず潔くいられるか自信がない。かつての執権のような立場でふるまうにちがいない(これは必要なことだと信じているがごく一部の仲間を除き、世間はこれを利であり天下を奪ったと考えるだろう)。全ては利だ。俺は利に敗れたのだ」というの半端ない!!!どちゃくそに熱い!!!!! 家康め裏切ったものどもめ東軍についたやつらめお前らみんな不義で利にばかり目が行ってるんだよ!て思っていた人が!敗戦後も生きて義を通すのだと言っていた人が!そういうことを考えるところが尊いよ!!!そして死を覚悟して生活を捨て助けてくれたかつての領民に「だというのに命をかけて俺をこうして匿ってくれるお前の心はどうなっているんだ!」て叫び出しそうになってるの、たまらんでしょ!!!!! それはあなたが領民を愛していたからこそ、彼に生まれた義があればこその行動なのでは!!?!?と、思ってしまうよね。そんな単純なものではないかもしれないけど、でも三成がしんどいときに救ったり顔覚えてたりしたっていう、これまで蒔いてきたたくさんの優しい気持ちが三成を助けるという形で「義」を体現したんだと思うよわたしは!!最後の官兵衛の「三成が家康におもねることがなかったからこそ、世の姿は崩れることなく、正義も失われなかった」ということば、何よりの手向だと感じました!!!ありがとう! 善意は巡るなあ。そして後ろ暗いことをするとそれも罪の意識として未来の自分を縛ることになるんだなあ。と、三成と金吾のことを思い考えるのであった。ある面では病的な正義感が三成にあったからこそ敗戦後に匿ってくれる人がいたのだという事実、または、「柿は食わない」のところで三成の言葉を群衆が聞いてくれたこと、そういうことが次の世代のなにかに繋がっていくし今後にも繋がっていくんだよね。こうやっていろいろな気持ちは形を変えて長い時間受け継がれてきたんだろうなあ。だから歴史というのはかけがえのないものなんだろうな。彼らの生き抜いた未来に生きている我々は彼らのおもいを真摯に受け止めねばならないし、更なる未来に繋げなければいけないと思う。 とにかく、十年以上ぶりに読んだ関ヶ原、記憶の通り西軍はかっこよくて、記憶よりも三成は情けなくてかわいくて等身大の部分もあってそれでもやっぱり普通じゃない気高さと「利害の世に異常な正義感を持ってひとり立っている」「狂人」なところがあって、めちゃくちゃかっこよかった。やはりバチバチに嫌味と皮肉をいって奉行として動いている三成は最高だよ。捕まってからガンガンに言いたい放題言ってるところめちゃくちゃスカッとしましたよ!殿!というきもち、いち西軍派の人間として。そして、守るべきものがある人は強い。 読んでよかったな。先人たちのことを考えると、我々は昨日よりも少しだけでも背筋を伸ばして恥ずかしくない生き方をしなければならないな、と思えるね。そしてそれを強要してはいけないのだ。三成の姿からこれもまた学んだのでありました。 八本目の槍から始まったわたしの2026夏の三成フェア終了!さみしいな! - 2026年8月2日
関ヶ原 中司馬遼太郎読み終わったやっぱり中はちょっとだれる。人々の紹介が多くて西軍の出番が少ないからかな。はやく下をよみたい。 とにかく家康はすごい!という瞬間が多いんだよな。数の上では西だし豊臣への恩を思い出されたら怖い、と誰もがいいつつ、でも勝つのもこの後の世を動かすのも家康だろうとみんな思ってる。再び乱世になるという意味で違う考え持ってるのは官兵衛と昌幸だけ。 三成ですら正面からぶつかったら負けると思っている(でも合戦をしなきゃ意味がないから合戦をする、という三成が素敵であった。それを「嘴が黄色い」と評価する左近もかっこよかった) とにかく家康は強すぎるとわかっているから上杉と手を組んだし、島左近も暗殺をすすめるし、大谷吉継も「俺の命も今年限りだ」っていうんだよなあ。必ず勝つという意識はもちろんあるんだけど、そもそものスタートとして徳川家康はとにかくどの部分を切り取っても強大である、という意識があって、だからこそそれぞれの決断が熱いんだよね。そしてわたしはとにかく絶対的に西軍贔屓なので、そういう状況でありながら決して驕らない家康を普通の感覚じゃないなあ!と思えても、家康を好きにはなれないのであった。実際家康はすごい。それ以外の言葉がない。でも家康さあ!て思っちゃうんだよね。秀吉との約束やぶって何もかも奪っちゃったじゃん!て。 死ぬ覚悟で、というシーンが多かったな。伏見城にしろ、島左近や大谷吉継にしろ。なんとなく西軍に入ったメンバーはその後のことを考えて東と通じているけど、戦のど真ん中にいるメンバーは死ぬことをわかっていて、「殿の命令に従うため」「友のため」「主君のため」「義のため」とかで命を落とす覚悟で行動して、そして実際に死んでいくんだよなあ。わたしは「その後のことを考えて東に通じる」ほうが余程理解できるんだけど、譲れないもののために命をかけるというのはどういうことなんだろう。負けるだろうと思う側について、負ける覚悟ができているのに、勝つつもりで動くんだよねえ。覚悟とは?負けるとわかっていても行動しなくてはいけない理由と自分を納得させている思いとは?とか思ってしまう。 勝つつもりで動くのは行動を起こす以上は当たり前のことではあるのかもしれないけど、なんだかやっぱり今の我々の感覚とは大きく違うように思うんだよなあ。時代や置かれた状況が違うとこうも人は変わるものなのか。「第一志望はそこで良いし受かるつもりで寝る間も惜しんで勉強してね。同時に落ちるつもりで第二志望や滑り止め調べてちゃんと受けてね」ってのと一緒?命がかかってないだけで人生の方向性が変わるから同じ?でも受験は自分のためだけど、彼らは自分のためではなく何か別のもののために命をかけているんだよなあ。勝つつもりだけど誰かのために死ぬ覚悟。わからん。 そして話していて出てきたんだけど、そうか、「別のもののために命をかける」の「べつのもの」ってのを「守りたいもの」と言い換えるとわかりやすいのか。守りたいものがあるから覚悟が決まるのだよね。だから勝つつもりで動かないと意味がないのだね。守りたいものがあるから。主君や友や義を守りたいから。負けることはわかっていたとしても守りたいものがあるから覚悟を決めてるのか。負けるとわかっていても、動かないことには守りたいものを守れないのならやるしかない。命をかけてでも守りたいものとは?という問いなら今にもきちんとつながるね。家族、友達、恋人、ひとによっては仕事や宝物や気持ち、そういう失えないもののためになら覚悟決まりますってのはわかる。ような気もする。けど、その守りたいもの、自分はどうありたいかのライン、ってのはどう決まっていくのか。たくさんの人々との関係とかいろんなことがそのラインを作っていくんだろうけど、やっぱりそれは時代も大きく関係してると思うんだよなあ。うーむ。価値観の違いと平たくまとめてしまうのは平たくなりすぎるよね。三成は義を守るためにたくさんの人の命を奪ってしまう覚悟も同時にあるのよね、それよりも三成の守りたいもののほうが大きいのかあ。むむむーむ、むーむむ。 昔、歴史学者の誰かが「関ヶ原で石田三成が勝っていたら日本人のメンタルはこうではなかった」という話をしていて、その詳しい内容は全然覚えてないんだけど、関ヶ原の勝敗が歴史をどう変えたんだろう。人の意識もなにか変わったんだろうか。 だからこそ、今回は左近の「この戦、誰かが起こさなければ、日本に正義というものが未来永劫なくなってしまう」という内容の言葉がめちゃくちゃ良かったな!!!これは物語だけど、豊臣から天下を継ごうとした(西軍派としては天下を騙し取ろうとした、といいたくなるけども)家康がいなければ泰平の世は訪れず様々な文化や意識も育たなかったけれど、三成が家康を許せないと行動を起こさなければ正義というものは失われていたのだよ!!!たまらん〜〜〜〜〜!!!!! あとは「力あっての法であり正義、だからこそ19万石しか持たない石田三成ではだめだ」てきなところの確かにそうかもしんないけどあんまりだよという話と、山内一豊の三成評(彼が悪役を引き受けたのだというところ)と、ガラシャを殺すことで永久に自分のものにしようとする細川忠興&愛とはそういうものなのか?とおもう家臣(この人も主人の命でガラシャを殺して、殺す以上己も死ぬのだと覚悟をしていたな)と、誰もが豊臣の命であれば動くと信じている三成が印象的でしたね! でも、上巻の「利害の世に、異常な正義感をもってひとり立っている。」ほど素晴らしい瞬間はなかった。 島左近と三成の関係がめちゃくちゃいいのは変わらずだけど、大谷吉継と三成の友情もめちゃくちゃ良い〜!下巻が余計に楽しみになる!中巻では三成がわりと穏やかでけっこうのんびりしてるから、下巻になって戦の中で激烈に考え行動する三成をほんとうに早く読みたい。左近や吉継を思いやる三成もめちゃくちゃ良かったし、領民のこと仲間のことを大切にすふ三成も大好きなんだけど、やっぱり全力で頭を動かし自分の全てをつかって働く三成がよみたい!うずうずするね!!! - 2026年7月29日
関ヶ原 上司馬遼太郎読み終わったこの表紙じゃない古い方の関ヶ原を引っ張り出してきて数年ぶりに読んだ。かっこいい石田三成を読みたくて! 読みながら思い出したけど、石田三成はあたりまえにかっこいいんだけど、それよりもなによりも島左近!本当にかっこいい!誰だって自分の給料の半分出して雇いたくなっちゃうよ!下巻では島左近だけじゃなく西軍がまとめてめちゃくちゃかっこよかった記憶があるからこの後も楽しみだぞー! 読み直していてとにかく強く思ったのが、家康むかつくな〜〜〜とうことであった。わたしは圧倒的三成贔屓なので色眼鏡で見ている自覚はあるけど、とにかく家康嫌だわ〜〜本多正信は老獪でかっこいいね、とおもうのにな。でもわたしは当たり前に家康に騙されるし、まんまと使われて命を落とすことになるのだろうなあ。それからなぜか昔から黒田長政にめちゃくちゃ敵対心をもってしまう。長政も家康くらい嫌だわ〜。 お目当ての三成はもちろんかっこいい、けど、上巻では可愛いほうが勝るかも。島左近と話してる時の言葉遣いとか、初芽ところころしてるときの感じとか、めちゃくちゃ可愛いよ!ふだん伶俐な奉行さまが、自分の前ではあんなに無防備にあんなにかわいい口調で話してくれたら、三成傘下はみんな殿のこと好きになっちゃうって!関ヶ原では三成の役人としての仕事ぶりはそれほど描かれていないけど、有能で頭がかたくて可愛い人だったんだろな〜〜と思うよねえ。司馬遼太郎の三成は、なんかそういう「私だけが殿のことをわかってる」と思わせる。チラチラと見え隠れする隙が魅力な感じがするなあ。少なくとも上巻においては。 とはいえ、家康のところに転がり込んできたときの三成と本多正信の嫌味の応酬とか黒装束で乗り込んできて嫌なこと言って、地の文で「ほとんど異常である」とかいわれてるところは痺れるかっこよさだった。それそれ!他者からどう見られたとしても自らの信念を堂々と通すあたりが好きなんだよ!というきもち。でもそこを家康が上回ってくるからいやなんだよね。ほんと、上巻の三成はまだ家康の掌の上で踊らされている。 しかしあれだけ愛される秀吉というのはすごい人物だったんだなあ。秀吉が衰えていく姿を見て思わず吐いたり、粛々と仕事をしたあとボロボロ泣いたり、そういう三成が魅力的だったのとあわせて、利家が三成のことは嫌いでも秀頼を守るために三成の力を頼るのとか、そもそもは秀吉への愛があるから出てくるものだよね。秀吉が死に際したときの周囲の状況や死後の扱われ方は寂しかったし、国を支配下においても最期は「かえすがえすも秀頼のことを頼む」て泣きながら何度もお願いして死んでいくのも切なかったけど、そんな秀吉を心底愛していた人たちはたくさんいたんだよねえ。家康が憎いぜ。そして三成のことをもっと信じてやってよ小姓メンバーズ……と思ってしまうのであった。拗れちゃうとなかなか難しいのはわかるけどさ。けどきみらずっと一緒にいて、ほんとに佐吉の何を見てきたんじゃい、と、思っちゃう。価値観が全く違っていて、働く場も違っていて、もうどうにもならない距離ができてしまっていたのかな。切ないな。 で、三成の価値観ってのが、「利害の世に、異常な正義感をもってひとり立っている」てやつなんだよね。この一文めちゃくちゃ興奮した!!!そしてそれは「三成のきらびやかな欠点」なんだよ、たまらん!!!!だからたとえ好機であっても信頼する島左近のアイデアであっても、暗殺なんてものは三成にとってあってはならないものなのだよ!くうー! そうあることはなかなかできることじゃないよなあーしかも三成には絶対に成し遂げたい思いがあって、絶対に許せない家康という存在があって、それじゃ勝てませんよっていってくれる島左近もいるのに、それでも三成はその信念を曲げることはできないんだよね。信念なのか、覚悟なのか、あたまのかたさなのか、頑固さなのか、誇りなのか、わたしにはわからないけども!たまんないよ!!本当に石田三成はかっこいい!!!そしてそのあり方を当然自分にも求めているところもいい。 これ、やっぱりわたしたちにもどこか似たところがあると思うんだよね。その一種の頭の硬さというか、自分の物差しでしか測れない瞬間というか。わたしはすぐに「仕事なんだからやってあたりまえ」「お金をもらっている上に、他者の人生に関わるのだから手を抜くべきではない」「他人の時間を自分の準備不足や不注意で奪うべきではない」とかおもって結構真面目にやっちゃうんだけど、それを自分一人で完結しておけばいいのに、周りの全然きちんとやらずに忘れてばっかりで好きなことしかやらない仕事が遅すぎる人に対しても、なんでやんないの!?!?そんなもん当たり前にやるべきでしょ!!!!てイライラしてるからよくないんだよね。おこがましいですし、レベルも全然違いますけども、三成もそういうことならそれはまあ嫌われますよ、と思うのであった。 でもそういう自分の中の芯、軸かな、というものは大切にしたいなとも思う。でも強要しちゃいけないね。わたしもされたくないし、価値観は色々だもんね。 とにかく本当に、ああいう時代に利害ではなく正義で動こうと考える三成はめちゃくちゃ眩しくてかっこいいよ。そりゃ頭おかしーなって周囲には思われても仕方ないかもしれないけど。だからわたしは強要しちゃダメだと自分に言い聞かせつつ、同時にちゃんとやらない奴にめちゃくちゃイライラしながらも、しっかりやるべきだと思ったことは、自分はきちんとやり抜きたいと考えちゃうんだよな。三成イズム、ある部分では大事にしたい。 はーーー石田三成は素敵だな!!! 下巻がたのしみ!中巻もよむぞー! - 2026年7月26日
戦国武将伝 西日本編今村翔吾読み終わったやっぱり短編はさらーーーっと気負えず読める。そしておもしろかった。 石田三成めあてで読んだけど滋賀県の石田三成のエピソードは『五葉のまつり』と同じものだった。が、まあとにかく各所に出てくる石田三成がやっぱりかっこいい。加藤清正のところででてきた賢しい佐吉の話もよかったけど、加藤嘉明の妻の語る「石田様は優しい方」の言葉も大変によかったな。で、加藤嘉明が妻と一緒に領民のために生きていくっていうの、『八本目の槍』を読んでいたからこそ感慨深いよねーーーー穏やかな時間を生きているようで安心した。三成も安心していると思うよね。 好きだったのは、北畠具教・謝名利山・島津義弘・立花宗茂だな。島津と立花はかわいいね!!!という、きもちで、北畠と謝名はまんまわたしの好きな、最期まで誰かのために戦う、憎まれ役を引き受けて信念を貫いて死ぬ、という話だった。 そういう思いや覚悟がどこから生まれるのか、さらにそれをどうして貫くことができるのか。ほんと漠然とすごいなあ信じられないなあとぼんやり思うだけなんだけど、基本的なところは今と変わらないんだよね。もちろん立花のところであった「殿様たるもの些事を気にせずドンと構えているもの(だから濡れたら困るものだからって雨に濡れないように家の中に入れたりするな)」てのは今は価値観が変わっている気がするけど、家族や仲間を大切に思う気持ちとかそのあたりはずっと変わらずあるんだよね。やっぱり環境と周囲の人間が覚悟を作っていくのかなあ。蜂須賀の話にもあったように先代や先先代への劣等感はあっただろうし、周囲がそれをいかに上手に育てたか、絶対的で尊敬に値する殿と仰ぐ人物に会えたか、というのも大きいよね。とはいえ、やっぱり本人が周囲からのそういう気持ちや願いをいかに受け止めどう育てたかによって生まれる覚悟もかわるんだろうとおもうんだけど、その受け止め方育て方の違いってのはどこから生まれるんだろうか。 わたしがたとえ戦国の世に生まれていたとしても、確固たる覚悟みたいなものはできなかったんじゃないかと思っちゃうもんな。まあそりゃ大名格じゃないからね、わたしはね。でも百姓は百姓の誇りがあったと思うんだけど、だから秀吉のゴボウの話とかになるんじゃないかと思うけど。揺るがない意志、というのはどこからうまれるんだろうなあ。今を生きるわたしは「仕事なんだからやって当たり前だろ」ておもっていやでもなんでも絶対やるし手を抜いてる人にはイライラするけどそれはちょっと違うと思うんだよなあ。 うーん時代が違えば価値観はもちろんかわるけど、実際は昔も今も本当に変わらないのかもね。わたしたちも500年後には想像を交えて語られるようになって「確固たる覚悟」を持つ人々になっているのかも。つまり、戦国大名たちにもたくさんの葛藤や迷いがあったということだよね、あたりまえだけど!!!!!くうーーーー!覚悟とは!!!彼らの抱えた様々な思いはどこに繋がっていってどこに残っているんだろう!!ほんとうに彼らの生きた未来に私が今生きてんの!?!?信じられない!!!と、めちゃくちゃ興奮するよな、こういう時代の話を読むと。 - 2026年7月20日
戦国武将伝 東日本編今村翔吾読み終わった短編だからめちゃくちゃ読みやすい。毎日ちょっとずつ読んでたらあっという間に終わる、けど、物足りなさはやっぱりちょっとあるよな。 やっぱり真田はかっっっっこいいなー!!! てのと、 信玄と謙信の関係が熱いね!!!! てのと、 優しく寛大な人々は素敵だね!!!ひかれるね!! というのが大まかな感想だ。 前田の話に出てきた丹羽さまとか北信愛とか、人の気持ちを考えて動けるのはすごい。わたしもそうなりたいけどなかなかそうはなれないのであった。 伊達政宗はかわいかった。そして頭がいい。五葉のまつりでは奉行方からみてたから、この本の政宗側からの話はかわいさがまさっててよかったな。 まあなんにせよとにかくとにかく真田昌幸はかっこいい。信幸も素晴らしい。真田を残す者と意思を貫いて戦いの中で死ぬものと、ということを考えるとクゥーーとなるよなあ。言葉にならない!乱世だからこそそうだったのか、今の時代でも状況が違っても似たような場面になったら人々はそのような覚悟を決めるのか。そういうの考えるとたまらなくなるね!歴史は面白い。 やっぱり豊臣政権とか織田の強大さってのはすごくみんなに影響を与えていたんだなあ、当然だけど。乱世というのは大変だ。領民は自分たちの思いの及ばないところで領主の決めたことに従うしかなくて、それは今も大きく見たらそうかも知んないけどでもそれは戦国の世との比ではなくて、そうなると目の前のことをひとつひとつしっかりと愚直に取り組むしかないからこそ、領民に目を向けてくれる殿様方の話が魅力的なんだろうなあ。 そして、ちょびちょび出てくる石田三成に毎度毎度フー!となった。西たのしみだなーー滋賀県の章が! - 2026年7月14日
五葉のまつり今村翔吾読み終わった2回目でもやっぱりはちゃめちゃに面白い安土桃山時代のお仕事小説!!!最高〜!みんな覚悟と矜持を持って働いている。わたしもそうありたい。仕事をする人は全員読んだほうがいい。仕事への姿勢を五奉行から学ぼう。 1回目に読んだときは気づかなかったことがたくさんあったな。八本目の槍とも塞王の楯とも繋がっていたんだね!というウオオオがあった!登場人物が被っているだけじゃなくエピソードも重なっていたんだねえ。全体的に八本目の槍ほど悲しくなかったな。 まあとにかく三成がかっっっっこいい。八本目の槍の三成よりも人間味がめちゃくちゃある。八本目の槍を読んで他者の語るかっっっこいい三成を読んだ後に、怒ったり笑ったり疲れたり年齢を感じたりする三成の姿を本人の思いを知りながら読むのたまらないよ。八本目の槍のときも三成はすごくすごく優しいけど、七本槍が見た三成の姿にしか触れられないのに対して五葉のまつりでは三成の考えに触れられるのが良い。そしてかっこいい。あの三成が八本目の槍のラストで黒田長政に悟られぬように演技して福島正則と会話するのか〜!とおもうとさらにたまらん。 この本においても三成は常にかっこいいんだけど、政宗との会話のなかで不意に敬語をやめる瞬間がゾクゾクしてめちゃよかったね。たまんないね。 大谷吉継もかっこよかったな〜〜〜!!!大谷吉継がかっこよくないわけないんだけど、優しく穏やかで頭が良くていい男すぎる。その大谷吉継と話す三成がやはりたまらないのであった。わたしはとにかく石田三成が好きなのである。あの2人は仕事仲間ではなく友人なんだよね。かわいいな。 なんだろうな、三成にも親がいて同僚がいて部下がいて友がいて妻がいて、っての想像できるのがよかったな。どうしても三成というと「義の人」とか「関ヶ原の人」とかになっちゃうんだけど、三成にも我々みたいにフツーの時間も流れてたんだよなあと思える感じが好きだ。 わたしも他者をサポートする仕事をしているから、喜ぶみんなを外から見てヤレヤレって思いながら「こっちの苦労も知らないでさあ!」て同僚とニヤニヤしながら話す感じとか、きみらは楽しむだけだけどこっちは準備も片付けも全部でほんと大変なんだよ!てのとか、わかるよわかるよ〜!とおこがましくもおもってしまった。きっとどんな仕事も形は違っても同じような点があって、だからこそ感謝と配慮を忘れちゃいけないんだよなあ。わたしは「どんだけ嫌いでも私情を挟まず粛々と」と三成みたいに立派には振る舞えてないけど、でも「ただただ喜んでもらうために」「これは仕事なのだからやるしかない、それ以外の選択肢はない」てきなところに、そうだよね仕事ってそういうもんだよね!!!て思ったな。色々やらない職場のあいつらにこの本を読め!!!と強制的に読ませたい。「政とは諦めぬことではないのか」とか「人の想いが大きなしくじりにも大きな成功にもつながる」とか、くうーーーー!!!そうですね仕事めちゃくちゃ嫌だけど頑張るよ三成見ててね三成に見られても恥じない仕事をするから!!!という気持ちにその瞬間だけはなれるというか。ほんとうに、仕事をする人は読んだほうがいい。 三成はめちゃくちゃいい上司で、ちゃんと部下を見てくれてるし覚えていてくれるしそれを言葉にしてくれるし、そりゃ下奉行のみんなも頑張れるよね!三成が「秀吉に喜んで欲しいだけ」と思うように、下奉行のみんなも「三成のために」という思いがあったと思うよ。三成の思いはきっとそういう形でずっと繋がっていくんだろうなあ。 醍醐の桜の章で佐吉の話が出てきたときはわくわくしたな。石田村に行ってフラフラ歩き回ったことを思い出した。たまんなかった。みんなが秀吉のことだいすきなこと伝わってくるのも、互いへのリスペクトはあるけど今後の時の流れによってバラバラになるんだろうなという静かな覚悟があるところも、めちゃよかったーー。 でも話としては大瓜畑遊びの章の前田玄以のさいごの秀吉へのお願いの場面と三成と大谷吉継の友情シーン、太閤検地の章の長束正家を信じることにしたあたりと三成と大谷吉継の友情シーン、がすきだった。とにかく石田三成と大谷吉継が良い。 三成関連の小説は三部作で!という話をなにかで聞いたので楽しみ!! つぎは関ヶ原をもう一度読むか、もう一回茜唄読もうかと思ったけど、今村翔吾の三成を読みたいから戦国武将伝をよもう。勿体無いから東からよむ。 - 2026年6月28日
八本目の槍今村翔吾読み終わったもう一度読んでも一気読み。2回目でもとにかく石田三成がかっこいいよーーー最高ーー石田三成が好きな人が書いた石田三成が好きな人のための本!て感じ。本当に三成がこの本のようなことを考えていたかどうかは別として(もしかしたらそういう最新研究があるのかもしれないけどわたしは知らない)、あれだけ頭のいい人で先が見えていて、なんて出来過ぎだよ!という指摘もあるかもしれないけどかっこいい。とにかくもう最初から最後まで三成がかっこいい。そして助右衛門がかっこいい。 最後一世一代の演技でケラケラ笑う三成良かったなー!三成は常にいいんだけども。自分の本懐をとげるためには苦手(そう)なことにも果敢に挑むところがとにかくかっこいい。たぶん演技なんて得意じゃないだろうけど市松に伝えたいことがあればやりきるし、臆病な面があっても想いを伝えるためにはつかみかかる(でも手は震える)んだよなあ。あーーかっこいい。たまんない。 「家」の話が出てきたけども、「夢を語り合える仲間」とか「こんな時間がいつまでも続きますように」とか、信頼できる友というのは大きな力になるんだよねえ。裏切りがあたりまえにある時代、今以上にそうだったのかもしれない。文化祭や体育祭を全力で頑張ったからこそ乗り越えられる壁がある、部活で頑張る仲間の姿を応援したからこそ自分も頑張ろうと思える、だから全力でやろうよなんてことを仕事でよく言うんだけども、なんかそこに繋がるよね!?!?と生意気にも思ってしまった。相手が考えていることがわからなくても、一時的には敵味方にわかれても、その人自身を信じているからこそ出てくる言葉や行動がたくさんあってたまんなかったんだよなーー!だから、実は家康に通じていた、早く本気になってほしい、PTSD(多分)で苦しむ仲間をサポートする、殴られる、罵倒しろと言う、真意を伝えようとする、あれもこれもそれもどれもぜんぶ根底に信頼があるから、「家」を信じているからってかんじがして、もーーーーーーーー好きだとしかいえない。気持ちが言葉にならない!だからこそ甚内が裏切ったと思い込んで怒ったり、助右衛門が敵方でありながら戦えることに喜んだり、市松のそのあたりがむちゃくちゃよかったんだよな。 そういえば誇りのために死ぬとか死を覚悟したからこそ力以上のものを出すとか、そういう歴史の中で出てくるエピソード、今を生きるわたしにいまいち理解できないんだけど、助右衛門のところで「異様なまでの自尊心」という言葉が出てきていたな。戦国時代はなんかそうかもなあ、とわたしは深く考えられないからそう言われるとぼんやり思うんだけど、幕末でもよくでてくるそういう話も、異様な自尊心から出た誇りのために腹を切ることができるのかなあ。時代が変わるとまた変わっていくのか、どうなんだろう。 三成は戦のない世を作るために命をかけてできる限りの策を練って準備をしたからこそ最後まで諦めず活路を見出そうとして、戦の中で腹をきらずに首を刎ねられたのかな。ああいうふうに頭や力のある人が死んで時代を別の人物が作っていくっていうのはなんなんだろう。わたしはどうしても元々三成寄りだからそんなことを思っちゃうけど、家康は家康で目指したい世があってものすごく頭がいいんだよね。志々雄さんがいってた「時代が選んだ」ってのを思い出しちゃうけど、やっぱりいろんなものが家康の方が上だったのか、そのいろんなもののなかにはもちろん運もあるんだろうけど。で、わたしがしらないだけでたくさんのものすごく力のある人たちが歴史の中にはいて、彼らは彼らの考えで動いていたんだよなあ。と思うとウオオオとなる。そのなかの一部の人たちだけが教科書に載ってるんだよねえ。やはり敗者がいたからこその今だということを忘れるなよ……と思ってしまう。 権平が凡庸だと気付いてしまったからこそ頑張れなくなるっていうの、わかるなあ。自分は特別ではないと悟ったからこそ、偉大な仲間を通して自分を大きく見せようとするのとか、誰にでもあることでは??そこを指摘されて不貞腐れることなくきちんと立ち直れるのがすごい。権平は凡庸ではないよ。わたしはきっとそんなにまっすぐ生きられないもの。 あーなんかもっとたくさん思ったことがあったはずなのになあ!!! しかしこの本の三成は誰よりも友を信じていた人だったんだろうなあ。いつかわかってくれるという思いで様々なものを託している。でもわかんないならそれはそれでいいとも思ってそう。だからこそ誰よりも優しいんだよねーーそう評価されてたもんね七本槍にも。ほんと、「解っている」とか「辛かったろう」とか「悔しくなかったと思うか」とか、言われたら泣いちゃうよ。なんだろうなあ、この本の三成は「不器用な人」ではないよなあ。「できない、ではなく、嫌いだ」のあたりもそうだけど、あえてはっきり言っているのだよなあ。かっこいいなーー。質問するときっちり説明してくれることも、自分の中で善悪を判断すべき線がしっかりとあってそれが揺るがないとこも、だからといって他者を理解しないわけでもないことも、なにもかもかっこいい。ほんと、石田三成を好きになるしかないし、言葉がまとまらないのも仕方ないよね。 わたしも石田三成のようでありたい。けど、いろいろとグラグラの平々凡々で中の中だから、またこの本を読んで、かっこいー!!そうありたい!!!と己を少しだけ正すことしかできないだろうな。 - 2026年6月27日
読み終わったどうしても大東亜戦争というと教科書の中のこと、大きな戦災のあったまちでの出来事、被害の悲惨さ、あたりばかりに意識が行きがちで、その当時どんなことを子供達が考えてどんな空気感だったのかなかなか伝わらないなって思ってたんだけど、それがよく伝わってくる本。 戦争に関わる資料館でもなかなかこういうことは書いていないよなあ、とおもう。 日常が壊されてしまいました、だけじゃなく、そこにいた人たちがどんな暮らしをしていてどんなことを考えていてその後の出来事をどう受け止め何を考えていたのか、そういうことがわかると今も80年前も大きくかわってないよね、じゃあもっと前もそうだったのかな、どの時代もそこで必死に生きていた人達がいて、そうして紡いできたからこその今なんだよな、と考えると、あー人や国や文化は尊いものだのな、不条理に壊したり傷つけたりしてはいけないよな感じられるからこそ、歴史を学ぶのだよなあ、としみじみした。 うまくまとまんないけど。 - 2026年6月27日
読み終わった面白かったな! 本当にそう忙しいと本が読めない!暇な時はたくさん読めるのに!とたいした読書家でもないわたしも題名に惹かれ話題の本だと聞いてさらに惹かれ読んだわけだけど、思いがけず歴史的な側面で色々教えてくれてとてもとても楽しかった! 江戸時代までは読書=朗読、とか、円本のこととか、イマイチ乗り気になれない文化史的なところを知れて大変面白かったなーー! そして本筋である「半身で働く」めちゃくちゃ理想だなあわたしも心の底からそうなってほしい。全身全霊なんかで働きたくないよなあ。いつも「働くために生きてんじゃないんだよこっちは!」とか「遊ぶために働いてんだよ!!」て友達と言ってるけどまさにそこだよなーーほんと、本を読んでいて職場への日頃から感じている苛立ちを沸々と感じてしまったよな。 併せて強く思ったのは、教養をつけたいな!!ということだ。つけたいよ教養は。知らないより知ってた方がかっこいいもん!という俗っぽい理由もあるけど、知ってることが増えることはアンテナを増やすことだよね。人生が豊かになるよ。いまさら「面接で役立つ」ということはわたしはないかもしれないけど、あーあそこで読んだ!とか、あーこのあいだの!ってなるのは単純に楽しいよな!!! 読んでよかった! - 2026年6月21日
ふしぎをのせたアリエル号なかがわちひろ,リチャード・ケネディ読み終わった大人になってから読んでもおもしろかったー!!! 中学生のときに読んで、ずっと買って手元におこうかどうしようか迷いに迷ってようやく買った。本当に大好きな本で、だいぶわたしの趣味に影響を与えていると思う。こういう本を読みたい!と思って探してんんんちょっと違う!と思い続けてきたんだけど、やっぱり唯一無二だよなあ。人形を本物にするなんて、最高すぎる。わたしはぬいぐるみが大好きなんだよ。 キャプテンがとにかくかっこいい!と昔は思ってたと思うんだけど、今考えるとだいぶダメなところもあるし、ヤキモキもするんだけど、やっぱり良いんだよなあ。「いもうと」ってわたしも呼びかけられたい。 ラストがどうなるかはわかっていたんだけど、ママダァダが超重要人物だったこと、思ったより最後の戦いが凄惨だったこと、アヒルが思ったよりアレなこと、ステテコへのイライラ、あたりはまったく覚えていなかった。でもみんな結局責めないあたり、優しい人たちのお話だったよなあ、とおもう。 それ以外に覚えていたのは、溺れて生還するとめちゃくちゃ苦しい、というエピソード。夏になると必ず思い出していたので、その話が出てきたときに、おおおなつかしい!と静かに盛り上がった。 あーーーさいこうだったな。 なにがいちばんよかったかって、最後の作者から日本のともだちへのメッセージかも。泣いちゃうよな、あれ。 言葉にできないのがもどかしい!でもやっぱり大好きな本だった。こどもには大きな影響を与えるのでぜひ読んで欲しいなー。これとピーターパン、ロアルドダールあたりにわたしはだいぶ狂わされている。 - 2026年6月21日
- 2026年6月21日
ゆるかわ古生物図鑑土屋健,高橋のぞむ読み終わった甥が小さいとき読んでたのを、中3理科で進化かなんかをやるからと引っ張り出してきたから借りて読んだ。 おもしろい!可愛い! 著者がジョジョとどうでしょうが好きなのは伝わってきたな! ディメトロドンが恐竜じゃないことと、パラスピリファーの生き方が羨ましいことはわかった! あんな生き物がいたなんて信じられないなあ。 我々も数億年後、そう思われているんだろうか。 - 2026年3月16日
シン・関ヶ原高橋陽介読み終わった塞王の楯!関ヶ原!!と思いながら読んだ。 石田・浅野以外の三奉行がメインての熱いなーーー三成が小早川の寝返りを知ってたのも熱い 司馬先生の『関ヶ原』の西軍がめちゃくちゃに好きなんだけど、とくになんの抵抗もなく読めたな。子どもたちにも「と、今までは言われていましたし最高に燃える小説もあるけど、実際のところは研究が進んでます。とりあえず小早川秀秋は戦中に裏切ったわけではないらしい」という感じで話してるし、そういうあたりの抵抗はなかった。 小説と事実が異なっていようとなんだろうと、敗者がいたからこその江戸時代なわけだし、本来は首謀者ではなかったのに汚名を着せられて死んでいった三成にウオオオオとなることに変わりはないのであった。 やっぱりわたしは敗者側に肩入れしちゃうな。 - 2026年3月8日
わざわざ書くほどのことだ長瀬ほのか読み終わった話題のエッセイ。noteで読んだことあったから自然な流れで読むことにした。 エッセイてわざわざ読むほどのものか?とか少し思っていたんだけど、わざわざ読むほどのものだ。エッセイで他者の生の考えに触れ、かつて自分が抱いた感情を思い出したり、ああそんな考え方があるのかと知ることができたりするんだな。わたしはいつか猫と暮らしたいと思っているけど、それは関根の話であったようなことを覚悟する確固たる覚悟が必要なんだと、これまで漠然としたイメージでしかなかったものがそれこそ生の感情として活字で伝えられたのも得たもののひとつだ。 「夫を介して一億年前と繋がったのだ」という一文がとてもすきだった。そういう歴史的なこと言われると興奮しちゃうんだよなってのもあるけど、ああこの著者は夫さんのことをとてもとても愛しているのだなあと思ったんだよな。そして続く「たとえドラちゃんと会える権利を失うことに繋がるとしても、タイムマシンの権利を夫に譲る」で他人に対してそう思えるのって幸せなことだな、と感じたのであった。わたしにはそんな相手いないかもしれない。いやいや甥は可愛いから甥のためならエンヤコラ、か。 でもなんかしんみりしちゃったな。祖父母との別れとか遊んでもらった記憶とか、これからあるであろう家族との別れとか考えてしまった。もう会えないじいちゃんばあちゃんのことを考えて少し泣いた。そしてわたしにないものがたくさんあって、ああいいなわたしには一生手に入らないものだな、と思うなどした。羨むだけで自分レベルのことしかしない・できないからダメなんだよな。わかってはいるんだよ。こうしてわたしは妬み嫉み無力感を抱きながら死んでいくのか。 カフネ読んだあとも思ったけど、わたしは仲の良い家族の話との相性が悪い。面白くて一気によんでも、ダメージがある。我が家もぱっと見は仲の良い家族なんだけどな。 - 2026年3月6日
本と鍵の季節米澤穂信読み終わった先に2作目の方を読んで、続き物だったのか!と知りようやく1作目のこっちを読んだ。これも面白かった! 頭のいい高校生2人の会話、テンポよく難しい言葉や言い回しを使い使われそれを即座に理解し……、というのは話していて楽しいだろうな。2人にしかない世界があるんだろうし、きっと彼らは別の誰かと話すときはああではないんだろう。あーーーあんなふうに頭がいいと世界の見え方は違うんだろうなあ!と思うと同時に私のようにぼんやりと様々なことに気づかずぼんやりと生きることはできないんだろうな、とも思う。 短編がなんとなく少しずつ繋がって終わっていく感じも気持ちよかったな。松倉くんが言うことも堀川くんがいうこともわかる。けど、松倉くんがああなのは彼の諸々の経験からくるものなんだろうなあなんてことを思ってすこし寂しくなったりもした。しかし彼らが男子高校生だからああカラッとしてられんだろーな。女子高生だったら全てにおいてああいう流れや空気感にはならんだろ。 こっち読んでから2作目よみたかったなー。あの終わり方の後のお話なのか!と思いつつ読みたかった。 松倉くんは堀川くんに会えてよかったね。きっと会えてなかったら鍵も見つからなかっただろうけどそれ以上になにかしらのものが違っていたと思う。
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