勝村巌 "炒飯狙撃手" 2026年8月7日

勝村巌
勝村巌
@katsumura
2026年8月7日
炒飯狙撃手
炒飯狙撃手
張國立,
玉田誠
ここ数年で私の読書を占めてきたのは、純文学や社会学、民俗学といった人文書の領域であった。 人間という存在の深層や社会構造を掘り下げるテキストに向き合うことが多く、エンターテインメントやミステリーといったいわゆる通俗小説に対しては、少し距離を置いてきたというのが正直なところである。 その読書習慣にひとつの転機をもたらしたのは、東野圭吾氏の訃報であった。現代社会の欲望や病理を膨大な物語へと昇華させ、時代の空気を活写し続けた小説家としての東野圭吾。とはいえ、それほど興味があったわけではないが、その報に接した際、私の中に「自分は現代の娯楽小説が持つ社会的な熱量や批評性を見過ごしてきたのではないか」という静かな自省が生じたのだった。 それに加えて古い知人とたまたま東野圭吾の話になり、一度読んでみたら? と推薦を受けたというのもきっかけとなった。 それを機に少しずつミステリーや娯楽作にも手を伸ばすようになり、そうした中で出くわしたのが、台湾発のクライムアクション『炒飯狙撃手』である。 ノンフィクション作家の高野秀行氏が、とあるYouTube番組のなかでたまたま目についた本作の魅力を語っていた姿が強く印象に残り、高田馬場の芳林堂で買い求めたというわけだ。 本作の骨格は、台湾の政財界、軍部、警察組織、そして裏社会の利害が複雑に交錯する暗殺劇である。端的にいうと暗殺者と定年間近の老刑事による追いつ追われつのハードボイルドクライムアクション小説となる。 疾走感あふれる展開で読者を惹きつけるが、個人的に惹きつけられたのは作品の奥底に描かれた台湾社会の構造的なリアリティであった。 国家機構や警察組織の腐敗といった暗部の描写もさることながら、その裏側で社会を真に動かしているのは、血縁や地縁、あるいは「昔の貸し借り」といった極めて濃密な「人的ネットワーク」の存在である。近代的な法制度や組織の文脈とは別の次元で、こうした強固な人間関係の網目が深く張り巡らされ、力学として機能している。台湾という土地の人間模様のあり方や、裏社会の「生態系」とも言える生々しい手触りが非常に立体的に描き出されており、強い興味を覚えざるを得なかった。 こうした泥臭くも熱量の高い男たちのドラマを追いかけていると、かつて自分自身が没頭した読書体験が鮮やかによみがえってくる。かつて貪るように読んだ船戸与一らの冒険小説やハードボイルドの世界だ。「そうか、自分はもともと、こういう血の通った冒険譚や男たちの生き様に惹かれる人間だったのだ」と、長らく伏せられていた記憶の蓋が開くような感覚を覚えたのである。 また、キャラクター造形においてとりわけ異彩を放っていたのが、主人公の一人である凄腕の狙撃手が「炒飯作りの名人」という属性を与えられている点だ。これは実にオリジナリティに富んだ巧みな設定である。 暗殺という極限の静寂の中に身を置く冷徹なスナイパーが、日々黙々と中華鍋を煽り、米粒を踊らせる。なぜかは分からないのだが、この日常的な営みが、殺し屋という虚構性の高い存在に確かな生活の匂いと「人間味」を与えている。冷徹な職人技と、生活者としての温かい血の通い。その対比が絶妙なリアリティを生んでおり、非常に興味深く観察させてもらった。 作品全体を支配する空気感には、私が好む映画作品——『イコライザー』や『ジャック・リーチャー』、あるいは『ミスター・ノーバディ』といった一連の「正体を隠匿したプロフェッショナルによる制裁劇」に通じるものがあった。過剰な説明を排し、圧倒的なスキルと己の美学に基づいて悪を穿つ爽快感。そしてその背後に漂う、どこかほろ苦い孤高の哀愁。現代アクションの極上のエッセンスが、台湾という独特の風土の上に見事に再構築されている。 難解な人文書や資料と対峙する時間とはまた異なる、物語の構造的強度とその熱量に純粋に圧倒される体験。エンターテインメントという表現形式が秘めるポテンシャルの高さを、改めてまざまざと見せつけられた読書体験であった。こういうのやっぱり好きだったんだなと再確認しました。
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