サブレとポッポの往復書簡 "ぼくがスカートをはく日" 2026年8月7日

ぼくがスカートをはく日
ぼくがスカートをはく日
まめふく,
エイミ・ポロンスキー,
松中権,
西田佳子
実際、この広い世の中には、グレイソンのような性的マイノリティーに属する人たちのことを、ライアンやアミリアのように、そもそも心が受け付けないという人は少なからずいるということは事実で、実際、心無い言葉や好奇の目線というのは、目立たなくはなりましたが、事実として今も存在します。悲しいことですが。 また、そういった世間の心無い偏見から守ろうとする親心から、却って本人の思いをそのまま受け止めてあげられず、その狭間で深く葛藤してしまうサリー叔母さんのような人もいます。 それでも、ペイジーやフィン先生、エヴァン叔父さんのように、グレイソンの回りにもこうして温かくありのままの自分のことを受け止めてくれる人たちもまた確かに存在しています。 またジャックやセバスチャン、校長先生のように、はじめは懐疑的な思いを持っていても、本人の真摯な姿勢を実際に見ることで、これまでの見方や価値観が変わる人たちもいます。 だから、もし自分がグレイソンだったなら、そういう、受け止めてくれる人たちとの繋がりや思いを大切に育みつつ、真摯な姿勢であろうとすること。一方でライアンのような気持ちを持ってしまう人がどうしても存在するということも事実として受け止めた上で、ならばせめて互いが傷つけ合わないよう、互いの心が波立たないだけの距離を保ちつつ共存していけたらいいな、というのが、私の考える多様性の尊重のスタイルです。それは、マイノリティーだからって無条件に全て受け入れて欲しい、ではなくて、時には受け入れられない自由もあっていい。その時は互いに大人の対応をするのみ。 つまり性自認も、その人の持つ個性のひとつだと思うのです。だって、それだけを切り取ったところで、その人の人となりと誰が好きか、自分がどっちかなんてのは、なにも関係がないわけだしね。 グレイソンが演劇の最後、光に包まれたようにとても穏やかな笑顔でペルセポネを演じきったんだろうなって光景が、読了してしばらくの間、目蓋の裏に焼き付いているかのようでした。 あと、裏表紙の鏡に映る二人のグレイソンのイラストも優しげな雰囲気で素敵でした。
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