
kohhee
@kohhee
2026年8月9日

読み終わった
全体的に「多様性の肯定」「暴力の否定」にのっとって書かれている部分はチープ。「時局を利用して俳句アゲ」「俳句を利用して時局アゲ」は、本質的には戦争に向かって行った精神性と同じでな。
口語俳句が持つ「軽み」って、「なーんちゃって」っていうハニカミだと思う。このハニカミを諧謔であるとすることには同意できない。ハニカミは自己防衛だと思うので。こういうハニカミは短歌にやらせとけばいい。
「口語は一人称ではなく二人称である」という喝破など、「口語が俳句にもたらし得る可能性」の論考としては素晴らしかったが、その効果がすべて俳句に必要なものかどうかは按配が必要じゃないか。俳句を外から見ている立場としては「俳句は俳句らしくあってくれ」とも思う。無責任かもしれないけど。
口語俳句を否定される著者のフラストレーションを、先人の文語の俳句を口語に直して、「こっちの方がいいでしょ」とやるぐらいのガッツに昇華して欲しかった。多様性という防御壁の後ろから石投げてるみたいな感じ。
口語がもつ「個別性」「一回性」は著者も称揚するところだし、自分として同意するが、だからこそフェイクっぽさも併せ持つよなあと。嘘松はいつも口語。そこに俳句らしさ詩らしさを担保するは、ある程度の「永遠性」とか「普遍性」だろうとも思う。
引用されてる口語俳句は正直個人的にはあまり好みでないものも多く、短歌でやれと思っちゃったが、これは口語じゃないと成立しないよなという俳句ももちろんあった。お気に入りは、丸田洋渡『先生も浴衣になっている夜だ』。