
糖
@inwatermelon_
2026年8月9日
マツタケ
アナ・チン,
赤嶺淳
読み終わった
先日読んだ「食卓にきた犬」の中で、名著として紹介されていた本。インパクト特大なタイトルがどうしても気になったので読んでみた。
邦訳副題は「不確定な時代を生きる術」。
人文社会科学、経済学、環境学、民俗学、あらゆる学問をマツタケという存在を通して紐解いていく、冗談のようで至って真面目な、でもどこかユーモアや示唆に満ちた不思議な本だった。
日本人がこぞってありがたがるマツタケの発生・収穫は、予見、規則、管理、最適化⋯そんな言葉とは真逆のところにある。
混沌とした広大な里山において、ちょっとした風景の揺らぎや動物たちの残したわずかな痕跡などを手がかりに、熟練のハンターたちがそれぞれの経験や能力を頼りにして一つ一つを丁寧に見つけ出していく。
そのような、資本主義経済とは遠く離れた世界にあるように見えて、その商品的価値は資本主義から逃れることができないアンビバレントな存在がマツタケ。
広島に原子爆弾が投下された後、荒廃した大地に最初に生まれた命は、なんとマツタケだったという。
人類がお互いを憎み、禁じ手ともいえる最終兵器で滅ぼし合った結末に、新たなスタートを切るのが、人類の大好きなキノコであるというのはなんとも皮肉めいていると思った。
マツタケは、人間だけではなく、シカやクマ、森の多くの生き物たちにとっても、目の色を変えて探したくなるような魅力的な芳香がするらしい。
全てがリセットされ、カオスに包まれた野生の世界で、キノコを求めてさまよう動物たちの暮らしを想像する。そこに人間はひとりもいない。
人類が滅ぶことは地球史の終わりでもなんでもなく、無限に続くストーリーにおけるちょっとした閑話休題に過ぎないのかもしれないと考えると、無責任にも我々の肩の荷が少し軽くなるような気さえした。
⋯なんて、現実逃避すらしたくなるような2026年の8月6日、そして9日。
ここまで混沌を無理やり秩序立ててはびこった我々、せっかくだから末永く、誰もが平和にはびこり続けてはいけないものかな。


