阿久津隆 "10:04" 2025年3月14日

阿久津隆
阿久津隆
@akttkc
2025年3月14日
10:04
10:04
ベン・ラーナー,
木原善彦
『10:04』を開いて読み始めて、夜のハイライン。死ぬまでマッサージされて柔らかくなったタコ。それからアレックスとの散歩の話になって「街を移動する感覚とアレックスとが切り離せなくなって、彼女がいないときも隣に存在を感じるようになった」とあって、僕はここが本当に大好き。「一人で黙って橋を渡るときも、彼女と沈黙を共有しているみたいに感じた」。 彼女がコーヒーを飲んでいるときとかではなく、美術館でその話題を切り出したのは、ひょっとするとそういう場所だと、互いに向き合うのではなく、目の前のキャンバスを一緒に見るせいで散歩のときみたいに視線が平行になる―それは最も親密なやりとりをするときの必要条件だ―からかもしれない。目の前にある文字通りの風景(ビュー)を共同構築しながら、ふたりで見方(ビュー)を話し合うのだ。 p.12 やっぱりここが好きすぎて、遊ちゃんとも「ビュービューだね」としばしば話すけれど、ここが好きすぎて、やっぱり好きだなあ、と思って読む。3度めか4度めかで、ドッグイヤーだらけで、上だけでは足りないので下もたくさん折られている。ずっといい。全部いい。ハリケーンの夜のこの感じもいい。 行列に並んでいるとき、街を歩いているとき、あるいは電車に乗っているときに耳にする会話は全てテーマが共通し始め、間もなく慣習的な隔たりが失われて、誰でも参加できる同じ一つの会話になった。僕はNラインの地下鉄でユニオンスクエア駅近くのホールフーズ・マーケットに向かう途中、敬虔派のユダヤ教徒と紫色の手術着を羽織った西インド系の看護師を相手に潮位予想情報を交換した。カナルストリート駅では、そこにさらに、背中に担いだチェロケースよりも小柄に見える十代の女の子が加わった。 p.22 それから、合流して食べ物を買い込んだふたりはアレックスの部屋で夜を過ごす。アレックスが眠り、語り手は壁に投影した映画を音を消して見ていた。「僕はアレックスの方を向いて、眠っている彼女の体の上に映画の色が揺らめくのを見た」。 僕は彼女の乱れた髪の房を耳に掛け、そのまま指先を顔から首、そしてゆっくりとした一つの動きの中で―たまたまそんなふうになっただけだと、漠然と自分に言い聞かせながら―胸からみぞおちへと這わせた。そして手を髪に戻そうとしたとき、ふと、彼女の目が開いていることに気付いた。そこで目を逸らして自分がまずいことをしていたのを認めるのでなく、しっかりと視線を合わせておくには相当な意志の力が必要だった。彼女の表情にはどうしてそんなことをしているのかという好奇心だけが浮かんでいて、警戒心は感じられなかった。数秒後、もしも何かおかしなことがあったとしたらそれは酔いのせいだと言わんばかりに、僕はワインを入れたジャム瓶に手を伸ばした。視線を彼女の顔に戻したときには、既にその目は閉じられていた。僕はワインを飲まずにジャム瓶を戻し、彼女と並んで横になり、しばらくの間、彼女を見詰めてから、手のひらで髪をなでた。彼女は手を伸ばして―もしかすると無意識に―僕の手をつかみ、自分の胸に押し当てた。それが僕を止めるためなのか、促すためなのかは分からなかった。僕たちはその格好のまま、ハリケーンを待った。 p.29 なんでこんなに感動するのかわからないのだが、驚いたことに涙が頬を何本も伝っていって、手でぬぐった。間男みたいな場面といえばそうだけれども、ここにある親密さにグッとくるのかもしれない。定まった名の与えられていない関係の二人がつくる親密さに感動するのかもしれない。
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