
いるかれもん
@reads-dolphin
2026年8月13日

光の犬(新潮文庫)
松家仁之
相変わらず、松家さんの物語はあらすじを書こうと思ってもとても難しい。裏表紙に書かれている通り、北海道・枝留を主な舞台として描かれる添島一家、祖母、父・母・3人の叔母たち、姉・弟の3世代の人生を描いた物語であるが、特別な一家というわけでもないし、大きな事件が起きるわけではない。ふわっと物語が始まって、気がついたら、本の世界に沈んでいて、そして読み終えて現実に放り出された、そんな気がしている。
普段生活していて、悩むこともあれば、何かに感銘を受けたり、明確な解を持たない問題について自分なりに考えることがある。そうした思考は後から振り返ると、大切な時間だったんだと感じることがある。この物語の登場人物たちも同じように色々悩んだり考えたり感じたりしている。その思考や時間がとても丁寧に描かれている。陳腐な表現になってしまうけれど、それは人生の輝きを描いているように読み終えた後理解した。
何かを考えたり感じたりする瞬間に浮かぶ言葉というのは、普段から自分たちが使い慣れている日常的なものだ。彼らの言葉がわたしの言葉に近いように思える。そんな、ありふれた言葉を使って、心情や、情景が、丁寧に、明晰に、描写されている。創作しているというよりも、描写しているように見える。つまり、何かを感じたり考えたりする時間を丁寧に救い出している。登場人物の考えや心情がゆっくり、でも、たしかに伝わってくる。「心情描写がとてもいい」と言ってしまえばそれだけでも済ませてしまえるが、それだけでは見過ごされてしまう細かな部分に、私にとっての本当の魅力がある。
登場人物たちは別に特別な人たちではないように思えるが、先に述べたような丁寧な人物描写を通して彼らの内面を知る中でその個性や魅力を感じ取れる。登場人物の中で姉の歩のことを好きになった。彼女のマイペースなところが自分に似ている気がした。嫌だと思うものも似ていた。彼女が感銘を受けた大学の天文学の授業のシーンは、私も感銘を受けた。歩にも私にも恋人がいるから言いにくいけれど、多分実在したら恋をしたと思う笑。
思ったことを全て書き切ることはできないけれど、また一つ、人生の一冊と呼べる小説に出会えた気がする。読みながら、私自身が本の中に沈んでいき、気持ちも、自分の周りの空間も澄んだ空気で満たされているような感覚になり、とても心地よかった。だから、軽々しく誰かに近づいて欲しくない、共感して欲しくない、今は一人にして欲しい、そんな気持ちにもなった。松家さんの本は広く読まれて欲しいというよりも、この作品をいいと思う人たちによって長く読まれて欲しい。




