

いるかれもん
@reads-dolphin
使い方悩み中。小説よりもノンフィクションやエッセイの方が読む割合としては多い。図書館で働いてます。
興味 : 自然科学、図書館情報学、ケア
- 2026年2月25日
写真講義ルイジ・ギッリ,ジャンニ・チェラーティ,萱野有美読み終わった学び!再読したこの前読んだばかりだけど、あまりいい感想を残せなかったのが悔しくて早速再読した(笑)。ただし今回は、前回読んであまり興味を持てなかったフィルムカメラの細かな使い方の話などは大胆に飛ばしてサクサク読み進めた。 別にうまくはないけれど私も写真を撮るのが好き。それは自分が見た景色を、なるべく見たままに保存したいと思うからだけれども、この本の中にはこんな一節があった。 「写真とは、現実に見えているようには写らないのだということを知っておいてください。実際にはもっと明るかった、暗かったということだけを言っているのではなく、私たちの視覚が習慣的に行なっている修整は、カメラでは記録されないということです。」(p.93) そもそも私は無理なことをしようとしていたらしい…ただ、著者はこう述べる 「「見えているように撮る」というのが、まずは写真に近づくこと、接近することのプロセスを暗に示しているのです。その後に続く操作はどれも、よりよく伝達するため、見ているものと写真に部分的に写るだろうものの差を詰めるためのものです。これが写真の目指すべき方向で、現実をコピーするために探求するのではありません。写真は文体のように多義性をもち、語彙を持ち、内的理論を用いる、リズムをもっているます。こうしたすべての価値は、コピーにはないものです。」(p.93) 見ているままを写しきれないからこそ、何をどう写すのかという問題が生まれ、わたしの写真になるのだと理解した。一眼レフを買って何年にもなるけどいまだに使い慣れない。これからも四苦八苦しながら撮り続けたい。 - 2026年2月23日
おすすめエッセイ読み終わった学び!カウンセラーが解説するカウンセリングの本は何冊もあると思うけれど、この本は著者がカウンセリングを受けながら自分自身の解放に向かう過程が書かれている。 著者の自身の感情や変化、記憶の描写が鮮明で、かつ時折フィクションを交えて書いているからだと思うけれど、小説を読んでいるような読み心地だった。 前半で、著者が他人は自分をわかってくれないから本の中に救いを求めていた姿は印象的だった。 「わたしがずっとすがってきた文学は、わたしの唯一の友達であっただけでなく、わたしが新しい世界を信頼するために言葉と力を与えてくれるものだった。」(p.33) 本ってやっぱりそういう作用があるのかと、こうして書かれると説得力がある。 また、他者に自分をわかってもらいたいと思いつつ、同時に誰にも自分は理解されないと感じるということが語られる。 「人が自分の話をするときには必ず「わかってほしい」と願う。わたしは自分の全存在をかけて毎回毎回、自分の言葉で語ろうとしていた。これまで誰にも自分の話をちゃんと聞いてもらえていない、誰もわたしの話を理解してくれはしないという思いがあった。だから切実にわかってほしかった。けれども同時にわかられてたまるものかとも思っていた。」(p.42) 少し違うけれど、私もかつて強い孤独感を抱えていた時期があって、そのときに「誰かに好かれたい。でも、自分が好かれるはずがない。」と思っていて、そんな感覚を思い出した。 カウンセラーとの緊張感のある、ギリギリの交流の末、最後、著者が自らを解放するものが「愛」であると辿り着く。しかし、その愛が叶うとかとういうのではなく、愛を必要としていると言葉にできたことで著者の苦しみが解放に向かうところも印象的だった。自らを表す言葉が見つかることの安心感や開放感はやっぱり重要で、私自身。これからも大切にしたい。 また、後書きで語られた「待つ」ということについての記述も印象的。 「わたしはわたしの話を初めて聞かれたと思った。特に大きかったのは、話を聞き出されるのではなく、「待ってもらえた」という感覚があったことだ。「待たれる」ということは、そこにわたしが「いる」ことを認め、尊重してもらうことだ。「待たれる」ということは、そこにわたしが「いる」ことを認め、尊重してもらうことだ。それは「わたしにとってあなたは大切な人です」というメッセージを与えることであって、互いのその信頼があってこそ「信じて頼る」ことが可能になる。」(p.183) そういえば、積読の中に鷲田清一の「「待つ」ということ」があった。近いうちに読みたいと思う。 以前、同じ著者の「庭に埋めたものは掘り起こさなければならない」を読んだ時は触れることに興味を持って伊藤亜沙の「手の倫理」を読んだ。斎藤さんの本を読むと、新しい本を読みたくなる。 - 2026年2月21日
おすすめ読み終わった学び!「ゴーストライター」と聞いていい印象を持つ人はいないと思う。私もそうだったし、この本も、出版業界の闇を暴くみたいな話かと思って手に取った。 しかし、実際に読んでみたら全く想像と違う本で、ゴーストライティング、さらにはライター業の喜びやテクニック、ライターとして働く上で注意すべきことなど、読みやすくまとめられていていい意味で裏切られた。 ゴーストライティングとは、著者へのインタビュー、調査、周辺取材などを重ね、著者の言葉や考え、伝えたいことを幅広い読者に届くように文章にしていくことである。それは決して簡単なことではなく、高度な技術が必要であるし、ときには著者本人が自覚していないような人格などを掘り起こす喜びがあると書かれている。私は、別にゴーストライティングの経験があるわけではないが、会議の議事録とかまとめる作業を思い出すと、単に発言を文字起こしするだけでは不十分で、発言の意図が明確になるように分かりやすく、読んでいて違和感ない形にまとめるのは結構難しい。 実際に出版された本について、その出版過程が詳しく紹介されている点も面白かった。『矢沢永吉激論集 : 成りあがり』の企画から出版までの流れ、ライターではなくコピーライターの糸井重里が執筆した理由や、普段本を読まない人でも読みやすくするための工夫など「へぇ〜」って思った。 他にもライター業を行う上で役に立ちそうな具体的な話が多く、トラブルを回避するために大切なことや、契約書の例なども掲載されている。 そして、この本を通して著者が最も伝えたかったのではないかと感じたことは「ゴーストライティングからチームライティングへ」ということだと認識した。世の中に対してかけがえのない価値を持っている著者、それを構成して内容を研ぎ澄ましてわかりやすく文章化できるライター(=現状のゴーストライター)、このチームをしっかり支え著者の主張を「商品化」することができる編集者が揃うことで、各々の力だけでは生まれない素晴らしい書籍が生まれる。それは「チームライティング」として考えるべきである主張だ。別に私はライターではないけれど、仕事で執筆をしていると「チームライティング」というものは強く感じる。たとえ、私の単著であっても、私がその原稿の全てをコントロールできるわけではなくて、さまざまな人の確認を得て原稿がブラッシュアップされていく。多分、世の中の出版物の多くはそのように、多くの人の力でできているだろうから、「チームライティング」の考え方が認められることは、そこに関わる多くの人の権利を守るためにも必要だと思う。 ちなみに、最近は「構成」などという形でライターがクレジットされることも多いとのこと。ためにし本屋のビジネス書コーナーで何冊か奥付けを確認したら結構「構成」という役割表示が多かった。多分、想像以上に世に中の本はゴーストライティングによって書かれているのだと思う。 まとめると、ライターに興味がある人であれば、その喜びも、実際も、ライター業として収入を得るためのコツもよくまとまっているので大変おすすめ。 - 2026年2月17日
写真講義ルイジ・ギッリ,ジャンニ・チェラーティ,萱野有美学び!再読した正直難しかった…でも、ときおり挟まる実際の写真が良くて最後まで読み進めることができた。正確な記述は忘れてしまったけれど、光の筆で描くみたいなことを言っているような気がして、自分が写真撮るときに光をあまり意識していなかったなと思った。時折、「あ、わかる」と思いつつ、今回あまりちゃんとメモを取らなかったので、もう一度読み直したい。『明るい部屋』も含めて。 - 2026年2月11日
読み終わった学び!うちの最寄り駅にも小さな書店があり、以前1回くらい立ち寄ったことがあるが、さほど興味のない雑誌の書棚が店内の半分を占め、書籍の品揃えも微妙だなと思いそれ以降立ち寄らなくなってしまった。普段、都内に勤めているので、よくいく本屋といえば、都心の大型書店。品揃えも良くて、店内を歩き回るだけでも気になる本が目にとまる。行くだけで楽しい。買う本は何だかんだ最近は文庫本が多い。物価高になったとはいえ、外食一食分くらいで購入できるからお手軽な価格だと思う。多分同じような読書習慣を持つ人は多いと思う。しかし、この本を読むと、そうした読書習慣の皺寄せが町の本屋を潰してきたとことがよくわかった。昨年末、最寄りの本屋も潰れてしまった。 サブタイトルにもある通り、戦後、(町の)書店が生き残りをかけて取次、出版社、公取、コンビニエンスストアなどなどと戦ってきたことが克明に描かれている。その中で印象的だったのは、書店への配本は取次が牛耳っておりベストセラーなど人気の商品は、大型書店に優先的に配本され中小書店には回ってこないこと(必要部数が届かないとか)。最寄りの本屋の品揃えが悪いのは本屋のセンスが悪いとかではなく構造上の問題だった。また、戦後の物価上場の中で書籍の価格上昇は低かったが、収益を出すためにはその分大量に刷られた。そのため輸送費が問題となるがその皺寄せも書店に。文庫本をよく買う身としては耳が痛い。図書館員としては10章のTRCについては目が離せなかった。そのほか様々な問題があったが、最終盤、最強の書店としてAmazonが登場し、町の小さな本屋どころか大型書店もろとも駆逐していく様子は読んでいて虚しくもなった。 専門的な内容であり、私自身理解できていない部分もあったが、こまめにまとめが書かれておりそこを読むだけでも価値はあると思う。(ぜひもう少し大きな版で『図解 町の本屋はいかにして潰れてきたか』とか出してほしい。)出版業界の人だけではなくて、本が好きな方であれば、こういう書籍流通の本も読んでみるのもいいのでは? - 2026年2月5日
つくられた日本の自然大貫恵美子読み終わった学び!無知な私にとっては到底一読して理解できたわけではないけれども、読んでよかった。序章でさまざまな哲学者の名前とかが出てきて先行き不安になったが、第1章以降はじっくり読めば一応読み進めることができた。日本庭園には砂利が敷かれているのは、穢らわしい地面を見せないためとか、四足歩行の動物は食べちゃいけないけど、兎を「羽」で数えることで鳥とみなしたり、猪を「牡丹」、鹿を「紅葉」などと読んで食用にできたとか、言われてみればなんでだろうという日本の風習についていくつか背景を知ることができてよかった。文化人類学や哲学を学んでもう一度挑戦したい。 - 2026年2月2日
月まで三キロ(新潮文庫)伊与原新読み終わった小説前回読んだ『八月の銀の雪』に引き続き相変わらずジオジオしくて(?)爽やかな短編集。地球科学系出身の私はウキウキしながら気持ちよく読み切ることができた。短編集読んでいると途中で飽きてしまうことも多いのだけれど、伊与原作品はそんなことが全くなくて、本当に読んでいて「楽しい」「面白い」と思う作品がとても多い。「天王寺ハイエイタス」とか、私がもろに専門にしていた古気候学がテーマになっていて胸が熱くなった。地球科学をはじめとした科学の魅力が物語を展開する鍵となっていて、読んでいて「そう!そうなんだよ!そこがいいんだよぉ!」みたいな気持ちになる。 その中でも印象的な言葉もあった。特に「アンモナイトの探し方」で出てきた、「わかるための鍵は常に、わからないことの中にある。その鍵を見つけるためには、まず、何がわからないかを知らなければならない。つまり、わかるとわからないを、きちんとわけるんだ。」という言葉は、大学院時代に指導教員からよく同じようなことを言われていた。当時は研究を進める中で言われた言葉だけれど、仕事をする中でも、同じことは言えて今でも大切にしている考えである。 最後の「山を刻む」の主人公の決断は、展開としては突飛な気もしたけど、それ以上に鬱屈とした気持ちが吹っ切れた爽やかさを感じた。 小難しいこと考えずに爽やかで面白く、気軽に読める短編をお求めの方、是非是非。 - 2026年1月31日
書籍修繕という仕事ジェヨン,牧野美加エッセイ読み終わった再読。やっぱりいい本だった。一つ一つは短いエピソードだけれども、どこかホッとされられる部分があって、一章読むことに少しぼんやりしてしまった。著者が買ったばかりの本をわざとかばんに入れて持ち歩き少し傷んで来たら読むタイミングと書いていた。私も買ったばかりのパキッときまっている本よりも、少し読み始めてカバーの端が折れたりして、紙が柔らかくなって手に馴染んでくるくらいが好き。そうした過程を「本と親しくなる」と表現していて、「あぁ、そうだなぁ」ってしみじみした。紙の本を愛する全ての人におすすめ。 - 2026年1月28日
荒野 (文春文庫 さ 50-8)桜庭一樹ライトノベル読み終わった小説確か中学生のときに図書館で借りて読んだような。「面白かった」という記憶だけで、しばらく前に購入してそれっきり放置していた。 主人公の少女「荒野」が中学に入学してから高校生の16歳までを描く、青春小説。中高生特有の異性、友達との繊細な人間関係とか、性への興味とか、読んでいてこっちが恥ずかしくなるくらい生々しく書かれている。他方、荒野の父親(恋愛小説家)の女性関係がドロドロしていて(しかもそれを小説のネタにする)、親のそういう側面が見えてしまうのは嫌じゃなぁと思った。よく中学生の私はこれを読んでいたな… - 2026年1月20日
- 2026年1月16日
日本の天気小倉義光読み終わった学び!多分大学3年生くらいの時に購入したものの、図表の読み取りがうまくできずに何度読んでも挫折し続けた思い入れのある一冊。学生時代、長期気候変動を専門としていたため気象学についても基本的な理論は勉強してきたが、日々の天気の変化については門外漢に等しかった。そんな私にとってこの本をちゃんと理解することは一つの目標だった。この度天気図や衛星画像の読み取りについて勉強したので改めて読み直した。今まで挫折していた部分も多く理解できるようになった気がして嬉しかった。自分自身で観測データを読み取れると、一つレベルアップしたような気がする。それでも、メソ対流系とか竜巻とか積乱雲の中の流れとか、地衡風近似が効かないようなスケールの話はやっぱり苦手でまだまだ修行が足りないと感じる。まだ宿題は残ってるし、読み返さないとなぁとも思った。 - 2026年1月8日
ある行旅死亡人の物語伊藤亜衣,武田惇志ノンフィクション読み終わった現金3,400万円を残して亡くなった女性、自称、田中千津子。なぜか身元の特定に繋がるようなものは何も残されていない。彼女は一体何者なのか。二人の記者による取材の記録。仕事帰りに図書館で借りて、電車の中で読み始めたけどあまりに面白くて本屋で買ってきてしまった。2日で1冊読み通したのは久しぶり。それくらい夢中になってしまった。 記者の地道な取材の様子、そこから一つ一つ新しい事実が明らかになる過程にとても興奮した。すでに弁護士も、警察も、探偵も調査してもわからなかった謎を、二人の記者が解決していく。何度も謎の解明に繋がる糸が切れてしまいそうになるが、その度に奇跡のような出会いによって、糸が繋がる展開にハラハラドキドキさせられた。あまりによくできていて、ミステリー小説を読んでいるように、本の世界に没頭してしまう。しかし、時折掲載されている写真の圧倒的リアリティに「これは現実の話だ」と突きつけられて、その度に目を覚ますような気分になった。 - 2025年12月29日
地球の果ての温室でカシワイ,カン・バンファ,キム・チョヨプ読み終わった以前読んだ『私たちが光の速さで進めないなら』のキム•チョヨプの長編小説。相変わらず翻訳とは思えないくらい、とても読みやすく好みの文体だった。今回は多くの世界の動植物が死に絶えた世界を生き抜いた人々の話ということで、人が殺されたり、殺されそうになったり、争いが起きたり、なかなか緊張感のある世界感だったけれど、久しぶりにそういうハラハラドキドキも楽しめたと思う。あと、「ダスト」という植物の蔓延で外に出られない世界ってコロナ禍にも重なった。著者のあとがきまで読むと、「植物」にとてもこだわった作品だとわかる。著者の父親の「植物はなんにでもなれる」という言葉が印象的だった。 - 2025年12月22日
成瀬は天下を取りにいく宮島未奈ブックサンタ - 2025年12月22日
陽だまりの彼女越谷オサムブックサンタ - 2025年12月22日
カラフル森絵都ブックサンタ - 2025年12月17日
読み終わった学び!この本もしばらく積んでいた気がする。(奥付けを見たら2023年の第一刷だった。)著者の飯田さんのXは最近見ていたので、第1章にも書かれているような統計上若者読書離れが起きてるとはいえないことは把握していた。しかし、実際この本読んでみると、むしろサブタイトルに書かれている「中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」という分析の方が主題であるように感じた。学校読書調査の結果を元に著者が中高生に人気の本を実際に読んでその特徴を整理している。紙幅の大部分がその分析に割かれている。分析の結果、中高生の読書には大きく3つのニーズがあり、それを効率的に満たすための4つの型があると整理している。その上で、実際の若者のニーズを捉えて読書推進をすべきであると結論づけている。これはシンプルで、容易に想像できる結論に思えるかもしれない。しかし、図書館の児童書の選書では刊行から時間が経過し、評価の確定した良書を購入することが常識となっており、大人が子どもに読ませたい本を提供することが定着している。本書では、大人が若者で読んでほしい本、そして、大人が想像する若者の好きそうな本が実際の若者のニーズとは乖離していることを示し、良書主義の児童サービスの限界を示していると感じた。そして、繰り返しとなるが、今若者が実際に読んでいる本について徹底的に分析し解説している。つまり、この本そのものが中高生に対する読書推進を行う上で具体的で有効な情報を豊富に提供している。中高生の読書活動に携わる人は絶対に読むべき本であると感じた。 また、ここに書かれている今の中高生が読んでいる本の分析を読んでいると、自分自身の悩みや葛藤、不安が読んでいる本に現れていることがわかる。中高生に必要とされている本があるのだと感じた。中高生が必要としている本を提供することは、十分意味のあることであると改めて感じた。 - 2025年12月14日
「誰でもよいあなた」へ 投壜通信伊藤潤一郎読み終わった学び!@ ジュンク堂書店 柏モディ店かつてインターネット上で親交のあった文学の大学院生が勧めてくれた本。もう1年以上前に閉店した、行きつけの本屋さんで買ったことを思い出した。なぜか、この本を手に取ったときの光景を今でも思い出せる。 「投壜通信」という言葉は初めて聞いた言葉だけれども、そうやら哲学などの分野でたびたび使われてきたモチーフらしい。 「難破しかけた船から海へと投げ込まれた壜は、砂浜でそれを拾い上げたひとを宛先としている。おそらく、投げたほうは拾った者のことを知らないだろうし、たまたま拾ったほうもなぜそれが私を名宛人としているのか明確に答えることはできないだろう。にもかかわらず、壜をを拾った者はその手紙がほかならぬ私へと呼びかけていることを感じ取ってしまう。まさに私が読まなければならない手紙として壜は拾われるのである。」(p.8) このように、誰でもないが、他ならぬ自分に当てられた言葉という意味で「誰でもよいあなたへ」ということ。この本は私たちにとって身近にある「誰でもよいあなた」へ宛てられた言葉について書かれている。(小説とか読んで、それがまるで自分に向けて書かれたものであるかのように感じたり、もっといえばそれが著者の意図とは関係なく自分にとって特別な意味を持ったりする経験とかがそれに当たるのかなと思った。) 哲学の本ということで、難しい部分もあるけれど、著者の実体験から出発して、エッセイとして書かれていて読んでいて心地よかった。色盲や発酵など、一見テーマと関係なさそうな切り口から、そこに秘められた投壜通信を見つけ出し、その価値を紐解いていく、そういう感じ。 私にとっては第3章「岸部のアーカイヴ」が何よりも愛おしい文章だった。端的に言えば、積読含め書物を保管するアーカイヴを投壜通信として肯定するものであった。積読やアーカイヴに対する著者の考え方が、自分がぼんやり思っていたことと重なりつつ、より明快にその在り方を肯定するものでなんか嬉しかった。「本を読みきることはできない」、そしてそれが投壜通信になるということは、本のもつ限りない可能性や魅力をよく表現しているように思う。 p.43 「アガンベンは『書斎の自画像』で「書斎=アトリエは潜勢力ー作家にとっては書く潜精力、画家や彫刻家にとっては描き彫る潜勢力ーのイメージである」とも述べているが、本や書類を集めて捨てないということは、現実に役に立つという狭隘な視野から解き放たれた可能性を存在させることを意味している。端的にいえば、蔵書やアーカイヴとは潜精力なのである。 投壜通信は、こうした潜勢力としての蔵書やアーカイヴがなければ起こりえない。言葉が記された本や紙片が残っていればこそ、あらんかぎりの時間と空間を隔てたところからであっても言葉は私の元に漂着することができる。(中略)アーカイヴがない世界では、こうした遠く隔たったコミュニケーションが著しく困難になってしまう。それゆえ、アーカイヴとは投壜通信の条件ともいえるものなのである。 アーカイブのない世界があるとしたら、それは岸辺を欠いた世界に等しい。船上から海へと投げ入れられた壜は、いつかどこかの岸辺に流れつくわけだが、もし岸辺そのものがなかったとしたらどうなるだろうか。壜は波間をあてどなく漂つづけ、多くは海の藻屑と化し、拾い上げられる確率は極めて低くなるにちがいない。岸辺は、いつか誰かがそれを手に取るまで壜を保存するアーカイヴなのであり、打ち上げられた壜はそこで誰でもよいあなたが現れるのを待っている。個人の蔵書であれ図書館であれ、誰にも把握しきれない潜勢力としてそこに存在する書物は、ある日ふとした瞬間に「あなた」へと届き、壜を拾い上げて読んだ当人を変化させる。書架から溢れて床に積み上がった本のなかには、いまは届かなくとも、いつの日かまさにこの私へと届く壜があるかもしれない。その可能性を信じることは、私自身の変容を肯定することなのである。だから今日も私は、岸辺のアーカイブを広げるべく書店へと向かうのだ。」 投壜通信は海に投げ出された壜に閉じ込められた言葉である。だから、投げた人と受け取る人の間には海があり、距離を持つ。この本を読んでいると、庭とかアーカイヴとかが登場するが、それらが二人の間の海のように思えてくる。その海というものは何か明確な方向性を持っておらず、自由な余白のように思える。そうした、余白が、受け取る言葉を自分のものとするための可能性というか、自分を重ねる、自分を書き込むことができるのかなとか、そんなイメージが湧いた。 - 2025年12月10日
読み終わったネガティブな感想(かなりネガティブなことを書いています) 昨年非常に話題になった本であり、何となく「売れてるから読もう」と思っていつか買ってしばらく放置していた。その間、SNS上で統計に基づき本書の試聴を否定的に批判する投稿も目にしており、あまりいい印象を持っていなかった。そのような中本書を読み進めた。あらかじめそうした目線で読んだ感想であることを承知願いたい。 SNS上での批判で統計調査によるとそもそも「働いていると本が読めなくなる」という事実はないというものを見た。「働いていると本が読めなくなる」ことが本書の前提となっているが確かに、その根拠として挙げられているものは著者の実感と、映画作品(『花束みたいな恋をした』。本作はこの本の中でたびたび引用される。)、著者のSNSに寄せられる声くらいで客観性のある裏付けがないまま本論に入っている印象がある。 そして本書は、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いから、明治、大正、昭和戦前・戦中、1950~60年代、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代それぞれの労働史と出版史(読者の歴史)について述べながら進んでいく。それぞれの時代の労働者の姿や、図書館員としては出版事情に関する内容は面白いと思った。出典も丁寧に書かれているので、個人的には気になる本も結構あったし、読書の歴史について改めて本を読んでみたいとも思った。また、それぞれの時代の様子を表す文学作品も紹介されている。ちょうど自分がぼちぼち読み進めていた谷崎潤一郎『痴人の愛』も紹介されていて「なるほど」と思うこともあった。そうした文芸作品の紹介はさすが文芸評論家だと思う。しかし、一方で、(別に私は歴史に詳しいわけではないけれど、)各次代の労働者の姿と、出版事情ってそんな簡単に結びつけていいの?という気もした。文献的な裏付けがあるのかないのかわからないような箇所もあり、おそらく著者の想像も入っているのではないかと思う。また、映画や文芸作品の紹介を持って、各次代の労働者像や読者像の裏付けとしている(「この作品にはこういう労働者がいるから、この次代の労働者はこういう姿だった」というような説明の仕方)部分があり、読者を煙に撒くような乱暴な展開の仕方に思えた。 そして、終盤にかけて読んでいて疑問を持つ点が続々増えていった。特に「知識」と「情報」の差異という部分については大きく疑問を持った。本書では「情報」とは知りたいことであり、「知識」とはそこにノイズ(他者の歴史や社会の文脈)が乗っているものとしている。それぞれがインターネットなどで得られるもの、読書によって得られるものとしている。その上で、現代では労働により、そうしたノイズを自身に受け入れることが難しくなったため「働いていると本が読めなくなる」と主張している。しかし、先日読んでいた根本彰『情報リテラシーのための図書館』などでは、知識や情報は階層構造をなしていて、情報に推論や確信などが付加されることにより知識になるとしており、「情報+ノイズ=知識」などと単純化できるものではないと感じた。また、何が情報で何をノイズと感じるのかは非常に主観的なものだと思う。この本の定義に乗れば「自分の歴史や文脈(必要性)」に沿うものが「情報」でそれ以外は「ノイズ」ということになるが、それは自分が今抱えている問題を解決するためにどれくらいの詳細さが必要なのか、自分がどれくらい詳細な「情報」で納得するのかによっても変わる。図書館情報学などで「情報とは何か」「知識とは何か」といった議論が交わされている中で、「知識=情報+ノイズ」とする考え方はあまりにも短絡的で、都合よく解釈しているようにしか思えなかった。 著者はこの「情報」と「知識」の区別を前提にして、「自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書である」(働いていると本が読めなくなる理由は)「仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。」と結論づける。しかし、私の実感としては、自分自身の文脈を拡張することで本を読んでいるように感じている。何となく気になった事柄の本を読む、とかまさにそうした行為に思う。もちろん、本の中には著者の主張するような「他者の文脈」もあるかもしれないが、それを読書とするのも、やっぱり都合よく解釈しているように思える。そして、最後、著者は現在の社会を新自由主義などを背景として、労働者が仕事にフルコミットすることを強いられている「全身労働社会」とし、仕事など一つのことにコミットするわけではない「半身労働社会」を目指そう、「全身」ではなくて「半身」を目指そうと主張する。その際に、何かにフルコミットする「全身」の方が「半身」より楽だ、と主張するがもはや何の根拠もなく、ただただテンションで押し切っていてさすがに読んでいて苦しかった。その半身社会が「働いていても本を読める社会」であり、理想像として語っているが、全員が半身になった時、仕事に半身を捧げたとして読書などの文化にもう半身を捧げられるわけではない気もする。実際私は、働き始めてからの方が本を読めるようになった。 読み終わった後に、飯田一史の今月の新刊『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』第1章を試し読みした。これは、本書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(以下、「なぜはた」という)の検証であり、基本的に「なぜはた」の主張が誤りであるとしており、出版や読書動向について広く流布している誤った言説を前提としていることがわかった。そもそも「働いていると本が読めなくなる」という認識自体が統計的にが裏付けられないという指摘をしているほか、「なぜはた」に中で参照されている統計データの扱いの誤りも指摘している。正直データの読み解きの誤りであれば仕方ない面もあるかもしれないが、調査結果に付されている解釈上の注意を無視しているという点は流石に酷いと思った。著者の問題でもあるけれど、個人的には校閲の問題もあると思う。 総じてネガティブなことばかり書いてしまったが、印象としては、部分部分面白いし、読んでよかったと思うけれど、ご都合主義で書かれた客観性に欠けた本という印象だった。エッセイとして書いてくれたら良かったのではないかと思う。でも、新書で出したってことは、バズり目的だったのかなとも正直思ってしまった(著者がはっきりと「新書大賞取りたい」とか言っていたし。。。)それこそ、ノイズを排除して自分の文脈に合う「情報」のみで組み立てられた本なのかもしれない。実は普段、新書は基本的に研究者やアカデミックな背景を持つ専門家の書いたものや、中公新書、岩波新書などの固めのレーベルしか読まないようにしているのだけれども、その方針で間違っていなかったように思う。多分、普通に読んでいたら、ここまで考察しなかったし、普通に納得していた気がする。 - 2025年12月7日
読み終わったネガティブな感想「あ、この言葉いいな」と思う文章がありつつも、全体として今自分が読むべき本ではなかった、もしくは自分には合わなかったというのが正直な感想。解説で、本を普段読まない人にも勧められると書かれていたが、正直全く違う感想をもっている。 この本はエッセイで、著者の考える「読書」というものについて主観的に書かれている。それ自体はエッセイとして当然のあり方であると思うし、私もブログで似たような文章を書いている。しかし、この本は強く断定的に書かれている印象で、著者の考えを一方的に押し付けられているように感じてしまい読んでいて窮屈に思った。正直イライラした。例え著者の主観に立った主張であることが前提であっても、あたかもそれがこの世の真実で疑う余地なしみたいな書かれ方されてしまうと心理的には距離を置きたくなる。もう少し優しく読者と著者が歩み寄れる余白のある書き方をしてくれたらよかった。 私がこの本に書かれている内容に腹落ちしていないからだとも思うけれど。 読んでいて、結構レトリックに頼って話が展開されているような印象で、もしかしたら、きちんと理解しようとしなくてもいいのかもしれない。そういうスタンスで読まないとついていけない気がする。「本」「読書」「言葉」「情報」などの言葉が多用されるが、それぞれ著者の価値観に基づいた形で使われている一方、その定義がきちんと明示されていないので混乱する。また、例え話も多く登場するが、その例えがどのように読書という営みや考えに対応しているのかも不明瞭であると感じた。 全体として、本が好きな人が「とにかく読書は素晴らしい」と言い続けているような印象になってしまった。YouTubeとかで読書の啓蒙活動をしているチャンネルをみていてもたまに思うが、本がもともと好きな人が、ただ、テンション高く好きな本を紹介したり、本はいいぞとアピールしても、それは本好き同士の内向きな発信になって、普段本を読まない人には届きにくいような気がする。もちろん全てがそうだと言いたいわけではないけれど。 様々な形態のコンテンツがある中で、そのうちの一つとして本というメディアを捉えて相対化して、その中で本がどのような良さを持っているのか発信していかないと普段本を読まない人には届かない気がする。
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