chika "廊下に植えた林檎の木" 2026年8月8日

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@koitoya
2026年8月8日
廊下に植えた林檎の木
廊下に植えた林檎の木
残雪,
近藤直子,
鷲巣益美
中国作家・残雪の短編集。 反右派闘争で父親が「右派」として追放され、母親は労働改造に送られ様々な迫害を受けたそうだ。 表題作は異形の家族の生活を描いた超現実的な幻想文学。他の4編も奇妙な物語だ。 「母が溶けて、たらい一杯分の石鹸水になってしまった。」(p215) 始終こんな感じの超現実的な表現が多く、面白いと思いつつ、いまいち頭に入らないなぁと思いながら読んだ。(「本パ」という新潮社主催のオールナイト読書イベント中に読んでいたのによく寝なかったな、と思う。) 今回一番読めてよかったと思ったのが、実は本編ではなく「付録2 残雪との対談」だった。 「わたしが創作を始めたのは文革後数年たった一九八〇年ころからですが、「創作の自由」が一応保証され、自由に作品を発表できるようになった解放感に満ちた時期でした。当時は「傷痕文学」が大半を占め、やがてまたいろいろと出てくるわけですが、わたしはそうした小説に対して常に物足りなさを感じていました。彼らの小説は公認された「現実」を模倣する傾向が強すぎる、他人の目を通して他人が見るようにしかものを見ていない。」(p215) と残雪自身が語る。 翻訳者の近藤直子の言葉も印象的だ。 「残雪の世界では、ことばは永遠に「もの」にたどりつかない。人々はみんないい加減なことをいい加減にしゃべり、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、だれにもわからない。 (中略) いつの時代でも、どんな場所でも、ことばが確かなものであったためしはないわけですが、そのいかがわしさがいやでも剥きだしになってしまうときというのがあるのではないでしょうか。たとえば残雪さんが生きてこられた中国の社会で、くり返し行われた政治運動の中で、御両親を含めておびただしい数の人が、「右派」だとか「走資派」とか「叛徒」といったレッテルを貼られ、大変な辛酸をなめている。レッテルというのは要するにことばですね。 先にことばがあって、それからその指示対象というか、該当者が区分されていく。そしてこの区分というのが、結局のところ実にいい加減なものでしかありえない。「右派」と「非右派」の境界線はどこにあるのか、あるいはある人の「どこ」が「右派」なのか。」(p217、218) そもそも「現実」というものを誰かが定義してしまった時点で、それはすでに他人の視線を通した現実なのではないか。 現実とは、本当にそんなに簡単に言葉で分類できるものなのか。 不確かな言葉によって、人間の人生が決定されてしまうという経験をした著者の言葉は重い。 現実をそのまま描けば現実になるというわけではないし、社会が「これが現実だ」と決めたものをそのまま描くことのほうが、現実を隠してしまう可能性があるのだろう。
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