
中村
@boldmove33
2026年8月14日
読み終わった
情報が濁流のように氾濫する現代社会(=巨大な積読環境)において自分のための読書をするには、まるでビオトープのような自分だけの自律的な積読環境を整えよう、というのが本書の中核的な主張である。自分のテーマ=ビオトープ=自律的積読環境の整備がなぜ読書といえるのか、どのように実践するべきかについて触れられる。これまで無意識のうちに取り組んでいた読書をめぐる活動に補助線を引かれるような感覚になった。ひとつ気になった点は、筆者が積読をうしろめたい行為として理解している点だ。俺が関心があったのはむやみに積読を奨励することの是非であり、恥ずかしげもなく積読リストを公開するような活動の意味だった。積読はうしろめたいものだという前提が揺らぐケースもある気がする。
>ショーペンハウアーは、まず自分で考えて、疲れたときに他の人の考えを参照する程度にしろと書いています。実はこのショーペンハウアーの態度がいちばん現代的なような気がします。そして斎藤が怒りを表明する、「本を読まないで良い」とうそぶく人々は、自覚してか無自覚化はさておき、ショーペンハウアーの反権威主義の影響下にあると考えてほぼ間違いありません。バイヤールにいたっては、本を完全に読むなんてことは不可能なのだから、読み飛ばしでいい、と言い切ります。アドラーはひとまず時間をかけるに値する本かどうかを点検読書で点検したら? と提案します。そう、ほとんどの本は読まないでいいのです。(pp. 156–157)

