
既視の海
@dejavudelmar
2026年8月16日
星の時
クラリッセ・リスペクトル,
福嶋伸洋
読み終わった
なぜ、彼女が欲しいと思ったのか。いまではまったく思いだせない。
モノクロームを薄紫に染め、シャドウを彩色した肖像は、どこか気が強そうに見える。つんと上を向いた鼻と、引き締まった口元に、えもいわれぬ香りを感じて手を伸ばしたのか。調べると、およそ3年前のこと。
noteにも書評を寄せたことは覚えている。何を書いたのかは、きれいに忘れてしまった。ただ、1985年に公開された映画を4K化して上映し、合わせて文庫化されると耳にした。ああ、もう一度読みたい。一度は単行本を手に取ったものの、すぐに棚に戻した。今回は文庫本で読もう。
ブラジルのなかでも歴史が深い地域でありながら、貧しさで語られることの多い|北東部《ノルデスチ》から、大都市であるリオデジャネイロに出てきた女の子・マガベーア。無垢と無知の波間に漂いながら、幸せをつかもうとするその生涯を、自意識過剰な男、ロドリーゴ・S・Mが言葉を惜しみつつ饒舌に語る。
愛を歌ったら、どんなふうになる?
どれだけ「ぼく」(=ロドリーゴ)は、マガベーアのことを愛しているのだろうか。その生涯を描くことが、マガベーアを愛する営みだったのだろう。早くに母親を亡くし、豊かさを知らずに育ったマガベーアは、同じ北東部からリオデジャネイロに出てきた著者、クラリッセ・リスペクトルの自伝的存在。選び抜いた単純な言葉で語ろうとするロドリーゴは、リスペクトルの作家としての分身的存在。本作で示されたロドリーゴの愛し方は、リスペクトルが、このように愛されたかったのだということの表れとして読める。
この物語は冒頭から、破滅や死の温度を感じさせる。死が二人を分かつことを示している。つまり、ロドリーゴがマガベーアの生涯を書こうとするならば、すでにマガベーアは死を迎えているのだ。彼はマガベーアを愛する方法として、彼女の生涯を描き、彼女の思考、彼女の行動、彼女の感情を「思い出す」。
批評家の小林秀雄は言う。歴史は、上手に「思い出す」ことなのだと。歴史を知るというのは、古《いにし》えの手ぶり口ぶりが、見えたり聞《きこ》えたりするような、想像上の経験だというのだ。客観なんて存在しない。自分のなかにありありと思い出す。ロドリーゴは言う。考えることはひとつの出来事。感じることは一つの事実。そして書くことで、出来事は事実となる。ロドリーゴがマガベーアの歴史、すなわち生涯を描くことで、彼女の存在は事実となる。
さらにロドリーゴは言葉を継ぐ。死とは、自分と出会うこと。無垢と無知の波間に漂うマガベーアは、死ぬことで初めて本当の自分を知る。それを描くことで、ロドリーゴはマガベーアを生きることになる。
愛する人とひとつになるために、その手があったか。こんな愛し方があったのか。身悶えするような愛し方を知った。



