

既視の海
@dejavudelmar
- 2026年1月1日
1月の本アンドレ・マルロー,向田邦子,堀田郷弘,大下宇陀児,宇野千代,川上弘美,渡辺温,獅子文六,西崎憲,須賀敦子読み始めた - 2026年1月1日
詩の贈りもの12ヵ月 (秋、冬)財部鳥子読み始めた - 2026年1月1日
- 2026年1月1日
一日一文木田元読み始めた - 2025年12月30日
世間知ラズ谷川俊太郎読み終わった九月、父が死んだ。 2年ほど入退院を繰り返していて、病とともに認知症も進み、すでに私の名前も息子の存在も覚えていなかった。急変した場合、主治医には延命もしないでくれと伝えてあった。前日に見舞ったときも意識が混濁していて、翌朝、苦しむことなく息を引き取った。葬儀でも涙がにじむ気配もなく、穏やかでいられたのは、覚悟ができていたからか。 昨年亡くなった詩人・谷川俊太郎の詩集『世間知ラズ』は、彼の父親である哲学者の谷川徹三が逝去したことをしたためた「父の死」という詩からはじまる。前半は行分けしてあるものの随筆のようで、中頃にようやく詩片となる。 ===== 眠りのうちに死は その静からすばやい手で 生のあらゆる細部を払いのけたが 祭壇に供えられた花々が萎れるまでの わずかな時を語り明かす私たちに 馬鹿話の種はつきない 死は未知のもので 未知のものには細部がない というところが詩に似ている 死も詩も生を要約しがちだが 生き残った者どもは要約よりも ますます謎めく細部を喜ぶ ===== (「父の死」) 別れを惜しむ心持ちを引きずるがごとく詩にすることはない。抑えた筆致が見えない気持ちを巧みに伝える。生者《しょうじゃ》の詩は、死を多くは語らない。 父君の物故からおよそ半年、題詩である「世間知ラズ」で谷川は、ベッドの上で自分の足指を見つめる。 ===== 自分のつまさきがいやに遠くに見える 五本の指が五人の見ず知らずの他人のように よそよそしく寄り添っている ===== (「世間知ラズ」) 私の父の納棺前、死装束を着せた。白足袋をはかせるときに驚いたのは、父の足指や爪の形が、私とまがうばかりだったこと。顔はよく似ていると言われてきたが、否が応でも血を感じた。 谷川の詩片で、つま先から父親を追懐したかどうかは分からない。だが、 ===== ベッドの横には電話があってそれは世間とつながっているが、 話したい相手はいない 我が人生は物心ついてからなんだかいつも用事ばかり 世間話のしかたを父親も母親も教えてくれなかった ===== (「世間知ラズ」) とある。「話したい相手」は、親友や知人ではなく、父母《ちちはは》ではないか。自分を取り囲む実体のあいまいな「世間」ではなく、自分がかかわり合う心積もりがある、またはかかわり合いたい人々とのつながりである「世間」。父を亡くす5年前に母も亡くした谷川にとって、世間話をしたいのは、そんな父親と母親だったように思う。 ===== 行分けだけを頼りに書きつづけて四十年 おまえはいった誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心 というのも妙なものだ <中略> 私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの 世間知らずの子ども その三つ児の魂は 人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま 百へとむかう ===== (「世間知ラズ」) 「おまえはいった誰なんだ」と問うのも父と母。その二人を亡くしたいま、谷川は「世間知らずの子ども」であり、傷つけたことをあやまりたくてもできないまま、94歳と87歳でこの世を去った両親の年齢に1年また1年と近づいていく行く末を案じる。実際に谷川が没したのは92歳。 ===== 詩は 滑稽だ ===== (「世間知ラズ」) 自分の生き方に迷ったり、身の置き方に困ったり、自分を見失ったりしたとき、人はどうするのか。 自分の「幹《みき》」を頼りにする。みえなくても大地で自分を支える「根」はなにか。風の強さや冷たい雨雪にも耐えうる腰まわりの「太さ」。そして天と空に向かってひろく手をひろげる「枝」ぶりや、陽光を受けとめるしなやかな「葉」のありよう。 谷川にとって、それは「詩」だった。 三つ児の魂は「詩」にこめられる。だから「滑稽」なのだ。 面白い。癒やす。慰める。怒る。悼む。あざ笑う。辱める。立ち上がる。 どんな恵みも、どんな憂いも、詩とともに生きる。だから「滑稽だ」。 「滑稽」という言葉を、はじめて知った気がした。 詩は 滑稽だ。 #読了 - 2025年12月29日
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