星の時
52件の記録
阿部義彦@xtc1961ymo2026年8月19日読み終わったこの度1985年に、公開された映画が4K修復を経て8月21日から日本で初公開されます。偶然公開直前に読み終わりました。著者は女性ですが、この物語では、ぼく(ロドリーゴ・S・Mと言う男性)が、この物語を書いていると言う設定で、物語がそれを物語る人物の手を通して語られるという、メタ・ストーリーとなっている所がかなり重要です。しかし映画では、分かりやすくする為に、この男の存在は消されて、彼の書いた物語のみで筋が進行する様で、原作とは別物と思った方が良いようです。何の取り柄もない栄養不良のタイピストの、つましくも惨めな日常を、自意識過剰気味の『ぼく』が描写する、二重の物語構造が味噌ですが、そこまで読み切れるかが、この作品の評価が別れるところで、晦渋な印象を与えますが、その辺は巻末の解説、後書き全3編で凄く詳しく解説しているので、流石河出文庫でした。









既視の海@dejavudelmar2026年8月16日読み終わったなぜ、彼女が欲しいと思ったのか。いまではまったく思いだせない。 モノクロームを薄紫に染め、シャドウを彩色した肖像は、どこか気が強そうに見える。つんと上を向いた鼻と、引き締まった口元に、えもいわれぬ香りを感じて手を伸ばしたのか。調べると、およそ3年前のこと。 noteにも書評を寄せたことは覚えている。何を書いたのかは、きれいに忘れてしまった。ただ、1985年に公開された映画を4K化して上映し、合わせて文庫化されると耳にした。ああ、もう一度読みたい。一度は単行本を手に取ったものの、すぐに棚に戻した。今回は文庫本で読もう。 ブラジルのなかでも歴史が深い地域でありながら、貧しさで語られることの多い|北東部《ノルデスチ》から、大都市であるリオデジャネイロに出てきた女の子・マガベーア。無垢と無知の波間に漂いながら、幸せをつかもうとするその生涯を、自意識過剰な男、ロドリーゴ・S・Mが言葉を惜しみつつ饒舌に語る。 愛を歌ったら、どんなふうになる? どれだけ「ぼく」(=ロドリーゴ)は、マガベーアのことを愛しているのだろうか。その生涯を描くことが、マガベーアを愛する営みだったのだろう。早くに母親を亡くし、豊かさを知らずに育ったマガベーアは、同じ北東部からリオデジャネイロに出てきた著者、クラリッセ・リスペクトルの自伝的存在。選び抜いた単純な言葉で語ろうとするロドリーゴは、リスペクトルの作家としての分身的存在。本作で示されたロドリーゴの愛し方は、リスペクトルが、このように愛されたかったのだということの表れとして読める。 この物語は冒頭から、破滅や死の温度を感じさせる。死が二人を分かつことを示している。つまり、ロドリーゴがマガベーアの生涯を書こうとするならば、すでにマガベーアは死を迎えているのだ。彼はマガベーアを愛する方法として、彼女の生涯を描き、彼女の思考、彼女の行動、彼女の感情を「思い出す」。 批評家の小林秀雄は言う。歴史は、上手に「思い出す」ことなのだと。歴史を知るというのは、古《いにし》えの手ぶり口ぶりが、見えたり聞《きこ》えたりするような、想像上の経験だというのだ。客観なんて存在しない。自分のなかにありありと思い出す。ロドリーゴは言う。考えることはひとつの出来事。感じることは一つの事実。そして書くことで、出来事は事実となる。ロドリーゴがマガベーアの歴史、すなわち生涯を描くことで、彼女の存在は事実となる。 さらにロドリーゴは言葉を継ぐ。死とは、自分と出会うこと。無垢と無知の波間に漂うマガベーアは、死ぬことで初めて本当の自分を知る。それを描くことで、ロドリーゴはマガベーアを生きることになる。 愛する人とひとつになるために、その手があったか。こんな愛し方があったのか。身悶えするような愛し方を知った。



mychairbooks@mychairbooks2026年8月14日読み終わった「女の書き手というものは、つまらないことですぐに涙ぐむから」と語る男性作家が描く、貧しい女性の人生。 もうすぐ公開の映画版もこの原作とはまた違った魅力のある(そして映像もとても美しい)作品なので、映画と原作どらちから入っても楽しめるはず。 個人的には、土門蘭さんの『戦争と五人の女』と一緒に読むのもおすすめかも。


四月@whitenights2026年7月27日読み終わった文学の歴史が女に書くための場所を与えず、文学に登場する女が「男に書かれた女」でしかなかったのだとしたら、本作は逆に、女が「女を書く男」を書き、その現場を抑える構図になっている。しかし最終的には、そういった問題を超えて、他者を捉えることの困難さという、より根源的な問題に突き当たっているように思う。ロドリーゴは物語の中でマカベーアを死なせるしかなかった。そして、まさにそのことによって彼女は自由になった。残されたロドリーゴが自分の死を思わずにいられなかったのは、いつか彼もリスペクトルによって語りを止められる運命にあるということを悟ったからなのではないか。



maco marets@macomarets2026年7月24日読書メモ(…) ぼくは最悪のものを望んでいるーーそれは命。ぼくの文章を読んでいる人たちは、自分の腹を殴って、その感触を確かめてほしい。命とは、腹を殴られること。(p.123)
あるる@aru_booklog2026年7月24日読み終わった痛ましかった。自分が不幸なことを知らないまま踏み躙られていく主人公も、それを滔々と語る自意識過剰なナレーターも哀れだった。刹那にうつる処女性と孤独をしんしんと体に感じる短いながらも心に杭を打たれるようなお話でした。







あるる@aru_booklog2026年7月24日読んでるブラジルのヴァージニアウルフという帯に惹かれて読み始めた。流れるようにうにゃうにゃと語られているところです。手にとってから気付いたけど、私ヴァージニアウルフあんまり読んだことないな...??




- ハシビロコウ@akhk-2511692026年7月19日読み終わったふだんXでフォローしている本読みの方の多くが勧めていたので手に取る。入りはなかなか乗れなかったが、一旦リズムに慣れるとあとはその不思議なリズムの中で流れていくがまま読了。
幸緒@kons_03202026年7月11日読み終わったなんて痛ましくて残酷で、うつくしい小説だろう。「うつくしい」とおもうことじたいが、本作のある構造に加担しているのかもしれない。映画を観るために読んだのだけど、映画は別物(文庫版訳者あとがきに倣っていえば「アダプテーション」)として捉えるのがいいのかな


しんどうこころ@and_gt_pf2026年7月11日読み終わった併読しているブランショのテクストに登場する「レシ(récit)」というワードについての理解を深めてくれるような、まさに今わたしが出会いたかった作品であった。 本作は、物語の語り手(作家)、物語の主人公という複数の視点を持つ構図で進む。ゆえに書き手の心情やナラシオン(物語行為)そのもの、すなわち語り手が対象を描く手触りのようなものを感じることができる。 それはときに、読者がこの物語をどう読むのかをも問うてくる。物語の主人公には語り手を介してしか触れられないという隔たりもまた、味わい深い。 文体は極めて平易で軽やかながら、冒頭から、存在とは何か、書くという行為にはどのような意味があるのかといった形而上的な思索が綴られる。 主人公に起こる物語は極めて残酷であるにもかかわらず、どこか軽やかで、そこには美しさすら覚える。語り手は彼女を愛し、救いたかったのかもしれない。悲劇を愛おしく描く。が、主人公を忠実に描こうとするほど、救済は遠ざかっていく。その残酷さに語り手自身も苦悩し、読者もこれに巻き込まれていく。この「体験」は文学にしかなしえない技なのかもしれない。 言葉によって自我が芽生え、それに伴って無垢が失われていく。その姿には、ジッドの『田園交響楽』に似たものを感じた。 無知は不幸なのか。それとも幸福なのか。








阿部義彦@xtc1961ymo2026年7月6日気になるXでの豊崎由美さんの投稿で知りました。ブラジルのヴァージニア・ウルフだって、気になるではないですか。そして、全く売れ筋では無いとも。そんな本を出してくれる河出書房新社!筑摩書房と並び大好きです。








DN/HP@DN_HP2026年6月18日本と日記のある過去文庫化&映画の日本公開の情報に出会って、単行本で読んだときのことを思い出している。 この小説を単行本で読んだのは特別だったと思いこみたい体験だった気がしているし、そのとき感じた「わからなさ」は未だに抱きしめている気もするし、文庫で読んだらなにかが「わかる」かもしれないし、あと、この小説を読んでいたとき、わりと調子良かったんだよな、ということをまた思い出したりもしたいから、翻訳の見直しに著者の息子さんのエッセイに解説もついたこの文庫本も手に入れておきたいところ。 2023.10.24 わからなさを大切にしたい、と話したのはやっぱり快晴だったいつもの駅で、そのときにバッグと頭のなかにあったのはこの本だった。 作者の創造した作家が書く無知故に“哀れな”イノセンスを持つある少女の人生。メタを重ねたような書き方は複雑だけれど、まだわかる。人生のある一時期を切り取った物語の筋はシンプルだ。納得出来る言葉が連なったセンテンスの美しさにはため息が出た。けれど、この小説はわからないと思った。 「物語というのは、作り出されたものであっても真実だ」 冒頭で宣言されていた通り、ここにあるのは、少女の、作家の、そしてもちろん作者自身の真実だ。多分この小説のわからなさはそこからきていると思う。他人の真実は簡単にはわかることが出来ない。それでも、それを真摯に表現しようとしたものに感じるわからなさは、“わかった”ときの感動と同じように自分だけのものだから、それを持ち続けることも、取り出して考えることもとても心地良く感じる。 「考えることはひとつの出来事。感じることはひとつの事実。」 そこにあるものを全部、大切に持っておきたいと思う。そんな考えがあの会話のなかで漂いはじめていた気がする。 今手元にあるわからなさは、この小説をもう一度読んだときにわかるようになるかもしれないし、別の本を読んだときにヒントが見つかるかもしれない。あるいは本を手放した生活のなかで考え続けることで、別の大切にしたいものが見つかるかもしれない。もしかしたら、ただわからないままかも知れないけれど、しばらくの間はこのわからなさもそこにあるものも全部大切に「抱きしめて」おきたい。 例によって乱立している付箋も、おあつらえ向きのコメントが入った栞もそのままにして、もう一度読むまでこの本も大切に持っておきたい。そう思って机の上の特別なコーナーに差し込んだ。 この文章にもわからなさがあるとしたら、それは、まあ、浅薄さと文章力のせいかもしれない。

















































