
Old Sport
@scott_fitzgerald
2026年8月17日
死者の奢り・飼育
大江健三郎
読み終わった
①⓪④死者の奢り ⭐︎⭐︎⭐︎
水槽に浮かんでいる死者たちは、死後直ちに火葬された死者たちとは違って、「物」であるという記述が印象的だった。死者を物とみなしている点はいかがなものかとと思うが、水槽に浮かんでいる死者たちの扱いは物そのものだった。また、死者と対を成す存在として、女子大生のお腹に赤ん坊がいる設定にし、より死者を際立たせる工夫をしていた点も印象的だった。
ストーリーとしては、「僕」たちのやっていたことが全て徒労であったという物語だったので、がっかりしたが、この徒労感を作者は描きたかったのだろう。
『死者の奢り』というタイトルではあるが、死者が奢っていることを示唆する描写は全くない。このタイトルの意味には疑問が残る。
利沢行夫氏によると、新しい死体は不安定であり、生きている人間はいっそう不安定であるが、古い死体は不動のまま実在している。死者の奢りとは、このように生きているものに対して死者が、その存在の不動性を誇示していることに他ならない、と述べている。
①⓪⑤他人の足 ⭐︎⭐︎⭐︎
小説を読むことの意味の一つに、登場人物の人生を追体験できることが挙げられると思うが、この短編を読んで、それを実感した。サナトリウムに暮らしている少年たち。車椅子なしでは、看護なしでは生活できない少年たち。そんな彼らの生活を、垣間見る瞬間なんて、普通に生きていたら、残念なことにない。最後に、足を取り戻した学生が、少年たちに冷笑的な態度を取るのは、我々健常者が、如何に彼らの生活に無関心であるのかを、警告しているように感じられた。
①⓪⑥飼育 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
芥川賞を取って然るべき作品。彼ほどの語彙力があり、想像力と、それを作品に昇華させる筆致力があれば、芥川賞はおろか、ノーベル文学賞を取ったこともなんら驚きではない。
黒人を監禁するという表現ではなくて、「飼育」するという表現を使っている。これは、黒人を人として見做していないことをタイトルから示している。「敵、あいつが敵だって?黒人だぜ、敵なもんか」という兎唇のセリフの真意が初めはわからなかった。だが、その後、「一匹の黒人にすぎないのだから。」「僕らは黒人兵をたぐいまれないすばらしい家畜、天才的な動物だと考えるのだった。」という記述から、彼らが黒人を当たり前のように、人として見做していないことがわかる。僕は本作品が、アメリカ人作家によって書かれたのではなく、日本人作家に書かれたことに驚きを覚える。
柴田元幸が、「大江健三郎による創造的ハック・フィン訳と評しても、マークトウェインにも大江健三郎にも失礼にはならないだろう。少なくとも黒人兵が白人兵だったらこの物語は成り立たない」と述べているように、本作品は黒人を登場させたことが決定的な意味を持つ。黒人は最も異質で、最も孤立した存在であった。アメリカ兵を白人として登場させていたら、これほどまでに作品に没入することはできなかっただろう。
疑問点が二つある。一つは、書記が死亡した理由。もう一つは、兎唇を登場させた理由。前者に関しては、ネットに詳しい記述があったので載っけておく。https://www.google.com/url?q=https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1450703059&sa=U&sqi=2&ved=2ahUKEwjc-Pr6zqaWAxV_gVYBHfIPHIAQFnoECCMQAQ&usg=AOvVaw3eFH52nHxSRMwsba63rh_N
後者に関しては、理由がわからない。