しゅなうざー "わたしを庇わないで" 2026年8月20日

わたしを庇わないで
中編3本。タイトルにひかれて初めて石田夏穂さんの本を読んだので、こんな感じの雰囲気なんだなあと思った。終わり方がなんだか夢見心地な感じ、?3本とも、結末が本の世界では現実のはずなのになぜか夢っぽく感じた。 「世紀の善人」 自分にとってつかめそうでつかめない感じの内容だった。結末も含めて 「小人二十面相」 インタビューであらすじをみていて、すごく楽しみにしてた中編。たしかにディズニー外交、あるなあ!と思って 小中高生まではディズニーに一緒に行けることが仲の良さの指標となる感じがとてもよくわかる。金銭や距離の問題を乗り越える必要があるからかな。 大学生にまでなるともう少し気軽に行けるようになる気がする。 『これはあくまで望の肌感覚だが、関東圏、とりわけこのギリギリ首都圏と呼ばれる地方都市に住む小中高生にとって「一緒にディズニーランドに行く」は友情の集大成を意味する。「この子とディズニーに行った」は、その友情の品質担保のような側面があるのだ。』 関西圏はそれがユニバかなと思ったけど、例えば九州や北海道ならその位置付けになるものってなにか気になった。地方出身の人に聞いてみよう。 天気予報や奇数偶数問題でLINEの心理戦が行われてるのがあまりにもリアルで面白かった。1人でも行かない人が出るとなんとなく全体のテンション感って下がるよなあと。 終わり方も結構すきで、面白い中編だった! 「わたしを庇わないで」 期待の表題作!!「デブ」のおかしみがコミカルに、でも少し悲しくえがかれていた気がする。 『私はこの世に無害なほめことばはないと思っている。何かの肯定は必ず何かのひていだ。〜何かを褒めることは不可避的に何かを貶すことであり、するとどれだけ世界をポジティブな言葉で埋め尽くしても全体の惨めさの量は変わらないと思う。』 ほめること(ほめられること)は良いことだとしか思っていなかったけどこういう感じ方もこれまでに(潜在的には)実際あるったなと思った。貶すことは絶対しないようにと誓っていたけど、褒めることも慎重になった方がいいのかも。 日本国憲法のくだりは声を出して笑った。 『「全て国民は〜人種、信条、性別、社会的身分又は門地により〜差別されない」〜ここにデブが含まれないのは、もっと注目されてもいいだろう。もんちは憲法によって守られているが、デブはそうではないのだ。七歳くらいのときにこのGHQのミスに気づいた私は在野の憲法学者めもある。』 『間接「デブ」の最高傑作だった。世の「心優しい」スナイパーたちは「デブ」の二文字さえ回避すれば「自分はコンプライアンスの血が流れている〜全方向系人格者」とお思いなのかもしれないが、デブの現実はそんなチープな心掛けなどにはまったくいきょしない。〜「デブ」を全否定するのは私を全否定するのと同じだ。私は「デブ」という三十年後にはなくなっているかもしれない言葉を偽善者たちから守りたい。』 『「庇う」という行為はその庇われる人の劣勢を一方的に確定してしまうことだ。』 『グッドルッキングは眼福、私(*バッドルッキング)は眼災。グッドルッキングは目の保養、私は目の試練。』
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