kotti
@kotti_witchii
2026年8月20日

セロ弾きのゴーシュ
宮沢賢治
読み終わった
かっこうには謝ったけど、三毛猫は??
というのが、私の中に生まれた違和感だった。
読後、なんだか釈然とせず... 「動物たちとの交流を通してゴーシュが成長し、最後には認められる」という心温まる物語としてとらえられなかった。むしろ無垢な動物たちとの対比によって、彼の傲慢さや利己性、格好悪さが妙にくっきり見えた気がした。
動物たちが頼み事をしても素直に応えない。三毛猫やかっこうは身体的なダメージをくらいながら彼の元を去る。後日、自分の演奏が動物たちの役に立っていると知ると、気をよくして願いを聞いてやる。
背景はどうあれ、毎晩の動物たちとのやり取りが練習になり、最終的に彼の演奏は称賛を得る。
いじめられてたのではなく、単に実力不足だったのでは?練習によって技術向上したという当たり前の話なのでは?あるいは、本当にいじめられていて、楽団員たちの称賛さえ、揶揄だった?
それでもゴーシュは「自分の演奏に価値を見出し」、「彼の演奏は称賛を得た」、とは言える。
私が本作をこのように読んだ最大の理由は、「ゴーシュは最後にかっこうに謝った」ではなく「ゴーシュはかっこうには謝ったのに、三毛猫には謝らなかった」と捉えたから。
小さなことすぎて自分でも驚いた。