ゆい "背表紙の学校" 2026年8月21日

ゆい
ゆい
@no1sin
2026年8月21日
背表紙の学校
背表紙の学校
奈倉有里
> 無関心という 復讐はするな 憎しみは 僕らを破壊する けれども まだ救える 僕らがどちらも 生きていれば 思いだす。あれは新世紀の停滞とも呼ばれていた時代だった。鬱屈としたなにかを感じながらも、みんな決して、なにもしなかったわけではなかった。暴走する政権をどうしたら止められるか、意見を表明したら仕事をクビになるんじゃないか、この社会で子供を育てられるか、身近な周囲の人々と諍いを避けて生きていけるかといった課題が渾然一体となって、「賢く」あろうとした人々に降りかかっていた。けれども政治に抗っても報われない年月が続けば、そんな政治に対する苛立ちを「無関心」で返すほかの道が見つけづらくなる。その果ての残酷な展開に「憎しみ」が根をはろうとする。選挙の不正に抗する市民運動とその弾圧を経て、それまではまだどうにかなっていた市民の対立と決裂が決定的になるのは、五年後、クリミア併合の二〇一四年だ。だから、「まだ救え」たはずだ。でも、どうしたら……? 私は、十五年の時間を戻そうという無謀な試みをしたいわけではない。ただ、この世界にはいまたくさんの「まだ救える」はずの(けれどもとてつもなく危うい)現状がある。それは、私たちのすぐ身近にもある。私たちはそれをわかっていながらあのころのロシア市民のように、停滞のなかで未来を探っている。だから、どうしたらあのころのロシア社会を戦争に突き進む道から救えたのかを考えるのは、断じて無駄なことではない。(P.82)
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