中根龍一郎 "ルソーと人食い" 2025年4月3日

ルソーと人食い
小学生のころに読んだ学習漫画に、コロンブスが人食いの現地人に会って、現地人が「おいしいよ」と言いながら人の腕だか足だかを串焼きみたいにしたものを持っている、というシーンがあった(コロンブスは慌てて島から逃げ出していた)。戯画化され誇張された「白人ではない現地人」の絵柄とも相まって、子供のころの自分には、カリブ海と人食いの習慣が強く印象づけられた。どこかの土地、どこかの島には人食いを習慣としている人々がいる……一方で「人を食べる文化があるとしても、それはその土地固有の文化なのだから、いちがいに気味悪がったり恐れたりするものではない(ただし自分が犠牲にならない範囲で)」という戦後リベラル教育らしい〈寛容な〉異文化尊重の視点もまたあった。 しかし人食いという呼称が、実は「われわれは食わないが、やつらは人間を食う」という文化の他者に割り当てられるものであったことや、私たちの文化圏や西洋の文化圏にも実は宗教的儀礼や文化的見なしとしての人食いは広くあったことを通していくと、人食いの問題は、他者の問題、野蛮さの問題、自然の問題、そして「他者に投影する理想像」の問題になってくる。人食いがわれわれにとって常にある種の自分の姿であるとともに、常にある種の他者としてあらわれるとしたら、そうした他者へのおそれや寛容さ自体にひそむ恣意的な選り分けを再検討する必要が生まれてくる。 ルソーは日本の教育観、自然観、オカルト観にとても強い影響を持っている。そのルソーが、実際に行ったことがなく、文献だけで接した「カリブ」に勝手に託した理想像を解きほぐしていってみるのは、面白い経験になりそうだ。 ルソーはよく勝手に人に妄想を投影する。そして恐るべきは、近現代の社会のものの見方やシステムには、かなりのところ、ルソーが勝手に投影した妄想が反映され、実装されてしまっていることだ。
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