高橋
@takaryo
2026年8月23日
暁の寺
三島由紀夫
読み終わった
筋らしい筋、物語を突き動かす推進力を些か欠いた物事の運ばれ方が、老いた本多の、自らに閉塞し塀を築き、美と観念的なものだけにかかずり合う生活を見事に反映している。
本多こそ、自分である。大庭葉蔵よりも本多こそ今の自分に最も近いと感じられ、安い言葉だが共感しか覚えず、その安さにおいて退屈ではあった。もはや文学の中で、自らが描かれていると思うことに喜びは感じず、自明のことにすら久しく思われている。自分一人が感じていることが、決して自分特有のものではないという諦めと、灰色の救い。
柘榴の国に、住みたい。住む資格しかないと思う。燃やされるにしても
タイの絢爛、混沌、積み重ねるような過剰な装飾は、あるときの三島の文体そのものである。
富士と二重すかしにされた暁の寺。鳥居の純粋による形式。
純粋と混沌、理知と横溢、寂寥と眩暈
手の届かないものしか焦がれられないという感覚を三島も持っていることに誇らしさすら感じるが、それでも三島は行動したということの意味
自分より、推し進めて、エロティシズムのための不可知の極点にいざり寄るには自死しかないという朗らかな簡明さの観念!
やはり推しに認知されたいというのは拙劣で愚鈍な蒙昧さでしかない。認識してはならない!やはり!!
認識の隠喩としての水面。いつとも知れず風がそよぎ、たゆたいゆらめく物の反射!
小説を好き好んで読んでいるような覗き見趣味の持ち主として、本多さんには敬意を表したい。毀損されうる理智すら十分に手にしておらず、半端に不可知の楽しみを得ているわたくし!
ざらついた世界の感触、いやもはや感触しかない世界と、突き抜けて記号的な形而上的思索、仏教への接近、オルフェウス、ディオニュソス!
そして枯れた性欲と、逸脱の楽しみ、厳粛な綱渡り!
死によって対象から究極に隔てられることの官能的なそそり!
本当に、あの生きた焔を同じ心待ちで眺められたりするのだろうか???