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高橋
@takaryo
  • 2026年8月26日
    天人五衰
    天人五衰
    なんたる終わり方 茫然自失とはこのこと 明るい無というか、豊饒の海としか名付けようのない読後感 鼓動で身体が揺れ、しばらく立ち上がれない、鼓動の愚かさたるや、、
  • 2026年8月23日
    暁の寺
    暁の寺
    筋らしい筋、物語を突き動かす推進力を些か欠いた物事の運ばれ方が、老いた本多の、自らに閉塞し塀を築き、美と観念的なものだけにかかずり合う生活を見事に反映している。 本多こそ、自分である。大庭葉蔵よりも本多こそ今の自分に最も近いと感じられ、安い言葉だが共感しか覚えず、その安さにおいて退屈ではあった。もはや文学の中で、自らが描かれていると思うことに喜びは感じず、自明のことにすら久しく思われている。自分一人が感じていることが、決して自分特有のものではないという諦めと、灰色の救い。 柘榴の国に、住みたい。住む資格しかないと思う。燃やされるにしても タイの絢爛、混沌、積み重ねるような過剰な装飾は、あるときの三島の文体そのものである。 富士と二重すかしにされた暁の寺。鳥居の純粋による形式。 純粋と混沌、理知と横溢、寂寥と眩暈 手の届かないものしか焦がれられないという感覚を三島も持っていることに誇らしさすら感じるが、それでも三島は行動したということの意味 自分より、推し進めて、エロティシズムのための不可知の極点にいざり寄るには自死しかないという朗らかな簡明さの観念! やはり推しに認知されたいというのは拙劣で愚鈍な蒙昧さでしかない。認識してはならない!やはり!! 認識の隠喩としての水面。いつとも知れず風がそよぎ、たゆたいゆらめく物の反射! 小説を好き好んで読んでいるような覗き見趣味の持ち主として、本多さんには敬意を表したい。毀損されうる理智すら十分に手にしておらず、半端に不可知の楽しみを得ているわたくし! ざらついた世界の感触、いやもはや感触しかない世界と、突き抜けて記号的な形而上的思索、仏教への接近、オルフェウス、ディオニュソス! そして枯れた性欲と、逸脱の楽しみ、厳粛な綱渡り! 死によって対象から究極に隔てられることの官能的なそそり! 本当に、あの生きた焔を同じ心待ちで眺められたりするのだろうか???
  • 2026年8月15日
    奔馬
    奔馬
    神風連 勲 男と女 清顕と勲 純粋とその不可能さ 美しさと、濁り 不可能さについて ロマンチックにもはやなり得ない、擬似神風連でしかありえないということ、今の僕から見れば、すべてが厨二病でセカイ系のイタいコスプレ、そこにもはや切なさも感じられない、情熱が、純粋が為しえないことになんの喪失もなく、心は粟立たず、時折、いや頁を繰っているあいだ絶えず、自分の後ろから聞こえてくる冷笑の波音、寄せては返しながら、、、 本多の手紙での諭しにもっとも正しさを感じ、その上で、そこからの逸脱を同時に熱望しても、いない、!!! い、な、い、!! 恋のような忠、というのが真に理解できてないんだろう、想像で、それこそ擬似的に、追体験するのは容易い、でも肉の重みがない、縋れるほどの信仰に開かれた身体じゃない、僕の身体は!! 若さを失っている、失ってしまった(まだ24なのに!!!)僕からの、嫉妬でしかないんだろう、完璧じゃない、無理なくせに、という考えすぎることの行き着く先、そんな高尚でなく、ただ生きてきてしまえたことからのだな、まだ若さへ憧れのかっこ付けた若さ演技へと駆動されるほどの憧憬はあるみたいだね、笑える、笑えない、笑いたい? 女として生きている、女の生き方を内面化しているはずなのに、より男であろうとよじ登る、山頂の白雪は、まだ見えているんだ、その白さを知っている、白さに焦がれることを、そして同時に下らないとも思ってる、しかし、ただ登れる人間への侮蔑は嫉妬だよ、俺の方が、本当は!!、よく登れるってね
  • 2026年8月10日
    春の雪
    春の雪
    美しい この一言の感想をなんの臆面もなく書けることに悦びを感じる。こんな文章を書いてみたいとロマンチックに思う。不可能だと分かっているからだろうか?はは 生の流れが思想に受け継がれる、その言葉の晦渋で、顚倒した、重々しい期待の甘さ!! まだピンとこない 阿頼耶識 心と世界 日露戦役大回頭の絵の描写 忘れ難い俥での接吻、足袋につもる雪、そこだけの夏、莫大な絵画のような雪景色、聯想される写真と自慰のような追悼…… 不可能、ロマン
  • 2026年8月5日
    ロリータ
    ロリータ
    一体、私は何を読んでいたのだろうか? 始まりから、とうとう最後の一行まで、ずっと、一体私は何を読んでいるのだろうか?と問い続け、本を閉じても、遡行的に秩序づけられない。いったいわたしはなにをよんでいたのだろうか? 文を頭に通過させ、意味はこぼれ落ち、響きのようなものがずっと鳴り続け、はじめの音は忘れている。音楽を聞きながら、既にはじめの音を忘れているように。 野心的で勤勉な若者になるべく、再読せねばならないが、何を再読すればよいのだろうか?ナボコフは小説をたんに、再読すれば良いのだと答えるのだろう、たんに音楽をまた聞くように。 意味付けの繰り返しで、比喩は馴染み詩は私に心を開き物理法則も発見できるだろう。しかしそれでも読んだことにはならないだろうし、というか、今までも何も読んでなどいなかったということなんだろう。 私は何を求めてこれから再読するのだろう ローティの読みの根拠を探し編ませるような体験の中に光の乱反射で眩ませられ続ける時間、それが初読後の単純な印象、大江に褒められたい(2026.8.5 0:15)
  • 2026年7月28日
    偶然性・アイロニー・連帯
    偶然性・アイロニー・連帯
    一般意志2,0で内容に触れてからずっと読みたかった、やっと読めた とりあえず、メタファーに賭けていく 再記述へのオブセッションは自分に欠けているが、僭越ながら、強い詩人の恐れ、は少しは抱いている 僭越ながらは誰への謙譲なのかわからない、自分に向けてこの感想を書いているのに メタファーの創造が出来たらどれほど気持ちいいのかしらね 手紙、しかも恋文、それはなにより私的なメタファー、しかも交換であり、飛躍を伴い、そして誤配を恐れないような、 岩井俊二の手紙の扱い方が気になったので見ようね、何も印象がないどころかラブレターもラストレターもあらすじすら思い出せません ルソーは憐れみを人間の本有的特性として捉えてたのかな??それも読まなきゃダ 自重=献身 ではなく自重、そして献身の両立ということなんです、 あくまでも知識人、そうでなくともこの本を手にするような人に向けて書かれているな 残酷さの現れた物語を読み、われわれの感性を広げていくのは、要は本を手にする人間? 詩人に偶然なりえていない人々との関係はどうなる?? いやでも、よい(と後にされる)メタファーは結果的に広がるのだし、うーん、偶然を受け容れながら、啓蒙に賭ける??うーん しかしとにかく、偶然に賭けるという考えは、私にとって、まさに役に立つものだぜ!!!
  • 2026年7月22日
    性的人間
    性的人間
    性的人間の最後と銃の最後が重なる、 共同生活、猿に見つめられる感覚がなぜかわかってしまう 身体性としての性欲、そして熱い期待の感覚、いつ戻る?
  • 2026年6月1日
    深い河
    深い河
    映画の脚本を読んでる気分だった 自分が小説に求めているものは官能感と音楽のような比喩なのかもしれない カラスが電線みたいなのにとまってて音符みたいだったったいうのはよかった 扱っている題材には興味を惹かれるのになぜここまで合わないのかわからない 扱っている要素にも、個別の場面にも惹かれるものがあるのに、なぜここまで乾いているのか? これが老成というもの?年取って読んだら変わるのか?
  • 2026年5月22日
    文字渦
    文字渦
    もっと賢くなってもう一度読みたい。文の意味を追うことをせず、ただ塊として笑っていくような体験だった。犬神家とか知らんしアッシリアとかさ、世界史で聞いた程度だけどやっぱ知ってるだけでフリが効くようになるからさ、なんか、こんなアホな小説を、書いてる円城も出してる新潮も、なんか、感動したよ途中、まじで人生にとってなんの役にも立たない、何の意味も無い時間を過ごしてるっておもった。最高だ。 アホなだけじゃないんだよなと考え出したら埒があかないけど、とにかく鮮烈な読書体験だった。ルビとか真似したすぎるなあー
  • 2026年5月14日
    クローバーナイト
    鋭いことと、それを口にすることと、それが優しくあることと、それぞれ全然ちがう階層の話なのかもだけど、鋭くないとなんにもなんないからなあ、鋭いと疲れるだろうし、でも優しくありたい人に、差し出せるのはいいよね、間違えるのかもだけど、いややっぱ鋭かったら間違えないのか? とにかく辻村は鋭くて優しくて強い人間に憧れさせるのが異常に上手い。愛染さん!憧れは理解から最も遠い感情なの!???? 努力でなんとなならないんですかね、でも鋭くなったら疲れそうだし、こう良い感じにセンサー切るのとか必要になりそうだよねって思うのは、はたして鋭いですか?
  • 2026年5月11日
    「空気」の研究
    空気、水=通常性、自由 対象の臨在感的(呪物的?)把握によって、論理とは別の領域(動物的、無意識的)が拘束される。(それは日本が汎神論的、つまりモノに「感じやすい」、からなのか? 一神教世界にもそういう呪物はあるはずだけど、偶像崇拝の禁止の論理とかの延長で、それに罪悪感があるのか) 論破とかされても人間は変わらず、その別領域(日常に溶け込んだ虚構、物語)に駆動され続けるし、その領域を抜け出そうとしても、まさに空気のように目に見えず、意識できないから、結局は別種のフェティッシュを信仰せざるを得ない。 それに「水を差す」ことで、ある種、空気を笑えればいいのだけど、その笑い自体が、また別の体系を前提にしている(ボケとツッコミはある種の「常識」(これが情況倫理?)を前提している。その場の人間がその「常識」を共有した上でボケにツッコむからはじめて笑える)。その常識が、「一教師、オール3生徒」の構造になってるから(ならざるを得ないから、オール3を生徒につけるには超越者が要請されるから)、(というかそれが、倫理という固定的なものであるためには)超越論的な絶対者というフェティッシュを結局再生産してしまっている。 しかもその相互に「父と子の隠し合い」の倫理感覚が入り込み、芯をつくような、エグい「ツッコミ」をすれば、すべりちらかし、もう二度と舞台には上がれないどころか、うんぬんとなるので、結局は「空気を読んだツッコミで場を和ませる」くらいしかできなく、和ませているだけなので、何も、変化はしないし、むしろ、その連続によって空気は固定化、そして強化されていく。(いわゆる「くだり」のように) だから本当に水を差すなら笑いを取ろうとマンキンで舞台に立ってる(空気に反射的に水を刺そうとする)場合ではなく、地道に土を掘ったりしなくちゃ?透明な空気を掴もうとしなくちゃ?いけない。 共産党は、おもんない奴らのままなら生きていけないし、おもろい奴になれば、そのとき元の共産党は失われ(訂正され?)、メジャーに迎合して売れたけど、インディーズのあの感じがよかったんだよみたいになる 、、??? そういう空気の根本にあるのが、汎神論的なもの。 汎神論的神政性の体制。 動物的?=非合理=「聖書」=「科学」=民主主義=合理=人間的?の、分かたれない人格から、科学以降のところだけ取り出して日本に適応しても、日本的不合理な(パニックになったりしたときの)力の氾濫は抑えられないから、汎神論的な日本人の気質に合った憲法がないと結局大事なときに機能しないみたいなやつ、面白かった 一神論的体制から
  • 2026年5月8日
    夜空に泳ぐチョコレートグラミー
    すべてが解消されるわけじゃないし、回収されるわけでもない。唐突だったり、無理矢理だったり、もっと、もっと、って不完全燃焼な読後感になるものが多かった。でも、人生ってそういうものだし、こんな読後感も初めてだから、なんか変な感じだけど、そうだよね、人生の感じの味だ、この感覚は。 カメルーンの青い魚が、圧倒的によくて、好きで、この強度と、官能感と、人物に内臓ごとそわそわとさせられて、でも自分もそこにいたくて、最後の歯を舐めるところ、ほんとに、よい。よいよいよい 他四篇の光の綺麗さと、それを裏返した頼りなさは、はじめにカメルーンがあるからで、だから光は弱く見えるけど、本当には、光や救いなんてあるとしても、弱くしか、あれないはずで、劇的に書かれている方がすっきりはするんだけど、この絶妙な後味も忘れたくはない。なんでこんなにモヤモヤするんだろう。書いていてもモヤモヤ 不思議な感覚だ、他の作品も読むのかもしれないし、読まないのかもしれない
  • 2026年5月5日
    灯台へ
    灯台へ
    一日目の終わり、晩餐会のシーンに震えた。なんか、めっちゃ失礼だけど、こういう自意識を、外国の、言語を共有していない、なんとなく大ざっぱでフランクそうな人たちも持ってるんだ、って、その上で社交的に振る舞ってるんだと思うと尊敬と哀しさと、、父殺しの感覚があまり自分にはわからなくて、夫人とリリーの互いへの思いも、やはり自分の中からは探せなくて、それでも、どこか退屈なページもあったけど、読んでよかったな、今泉さんが読んだらどう思うんだろう、街の上でが好きだから、この本も面白く読めた気がする あと、ふつうに、寄り添う人称?というか視点の人物に合わせて、語彙や比喩を使い分けて、その場面に合わせても使い分けてって、まあ、そりゃそうするんだろうけどさ、ここまで強度高くやられると、しかもそれがクルクルクルすいっちしてくとさ、やっぱ、圧倒されますよね、 刺激が欲しい元気なときには物足りないかもしれないけれど、逆に、どんなに疲れてても、死にたいくらいのときでも、この小説なら読めるし、読んだら、あったかくなれるかも
  • 2026年1月23日
    こちらあみ子 (ちくま文庫)
    くやしいな、あみ子を「がんばって」好きになろうとしている自分がいる ピンとこなかったよ、あまり、こなかったんだよ 自分はあみ子ではない。でも、あみ子のような人を知っている。教室に、同じ教室にいたんだよ。こわかったよ、なんで考えないの?って思ってたよ、子供の遠慮の無さが一番こわかったんだよ、子供ながらに、だから年上の兄ちゃんたちと一緒にいるのが好きだった、会話を聞くだけでよかった、大人たちの居酒屋での話を盗み聞きするような、 うらやましい、なんて言ってやらない。本当にはそう思ってないはずだから。僕は、あみ子にドキドキさせられて、いずれ通学路で会っても話もしなくなって、大人になって、あみ子がいたことも忘れて、でも、たまに、この本を、読み返したいな、なんでだろう 何を書くかより何を書かないかなんて、ピンと来たことがなかったけど、なるほど、ぎゃふん
  • 2026年1月20日
    黒い雨
    黒い雨
    地名、固有名の異常な多さ=あくまでも生活者からの目線 声と戦争 逃げ惑う人々 大量死と大量生をつなぐ被爆者による鯉の養生 おそらく一度だけ、そして最後の最後に目にする清らかさ たったこれだけでこんなにも生きたいと思う その反転が希望へと間歇泉 白い虹が七彩になるアイロニーとしての、しかしそれしかない祈り
  • 2026年1月15日
    平和と愚かさ
    抽象的な議論に頭を引き摺られていると時折、そして唐突に、平和への祈りのような言葉があらわれる。胸を衝かれる。 考えることで逆に無防備なった考えない領域が、敏感に、その祈りに触れる。その体験は痙攣に似ている。 文体が内容となり、それらが螺旋状に上昇し、最後には、何かのヒントのようなものが、目の前に転がっている気になった シーシュポスの神話の不条理な人間との対比で、平和なことは、同時に愚かでもありうるということとの緊張関係にどれほど自覚的であるべきなのか、考えたい、なぜなら、暇だから
  • 2025年12月30日
    いま批評は存在できるのか
    いま批評は存在できるのか
    三宅香帆の批評の開き方が不十分だという批判が森脇松田に共通していた。固有名を示し、歩けるようにするところまで開いてないと、その先を辿っていきづらいというのが、例の、読者を舐めてる発言へと繋がったのかしらん、三宅はYouTubeやデビュー作でそもそも語っておるが、やはり本の中で示されるべきなのか? 森脇氏は、一方で、批評活動の全体で示すものと述べてもいる 本を読もう!というのが結論として書かれても興醒め感はあり、とんでもなくおもろいものに出会って打ちのめされれば勝手に自分から読むようになると思うから、森脇氏の感じに近い。本を読もう!はパフォーマティブに示されるよね、というのが森脇の感じだけど、奇しくも三宅、松田両氏は一見新旧の対立軸として仕立てられてるものの、コンスタティブな示し方を志向しているように見える点で一致しているのでは 最近、三宅香帆のエビデンスに関する論争などがあり、森脇氏の件でのキャンセルがあり、東が三宅を批評家と認めていなそうな雰囲気が出たり、このイベントから一年、今改めて読み違和感が繋がったりもした うんぬん、このイベントに連なる若手批評家MEETS東浩紀などを入り口に、今年一気に批評に興味が湧き読み始めた。イベントは消えてしまったので、縁もありこの本を手にし、年末も年末に読み終えることとなった。ありがとうゲンロン
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