くりーむ "キャッチャー・イン・ザ・ライ" 2026年8月24日

くりーむ
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@cream
2026年8月24日
キャッチャー・イン・ザ・ライ
キャッチャー・イン・ザ・ライ
ジェローム・デーヴィド・サリンジャー,
J.D.サリンジャー,
村上春樹
小学生以来でしょうか、読み直しました。 前読んだときは、白水社から出ている野崎孝さんの訳だったとおもいます。 途中まで、なんか退屈な感じだなあ、とおもって読むのに時間がかかってしまいました。 最終盤、21章あたりから急に面白くなってきて、そういえば昔読んだときも途中退屈におもっていたような気がしてきました。 それでもやっぱり、そこまでの部分も昔は楽しめていたような気がすることには、私自身の感性がなんらかの意味で変性してしまったことを認めなくてはならないのかもしれません。 たとえば、昔の私は、ホールデンが感じている、インチキなもの、について、いま私がするよりももっと親しみと共感をもって、憤ったり・気分悪くなったりできていたような気もします。だから、私は、そういうホールデンなるものへの共感或いはその土壌を(感性を!)、失ってしまったのかもしれない、とちょっと残念な気分になりました。 しかしその一方で、最後の部分はいまの私にもある種の共感を齎しました。フィービーとミスタ・アントリーニとの会話は、つまるところ、ホールデンに対するこういう問いかけのように読めます: あなたが、何かを嫌っていたり・否定的な感情をもっているのは、あなたらしい価値判断の結果なのではなくて、条件反射的に起きているだけなのではないか?。 これは恐ろしいことです。私が考えるに、価値判断というのは、他から私を切り離す、アイデンティティの確認の最も基本的な手立てだからです。しかしさらに一方で、これを、思春期におけるアイデンティティの問題に還元してよいかどうかは、ちょっとわからない・もう少し見るべきものがあるような気もします。
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