
しまりす
@alice_soror
2025年4月2日

246
沢木耕太郎
読んでる
引き続き自身の娘さんとの心温まる日常、ディック・フランシス『奪回』、長岡出身のヨットマン多田雄幸から依頼の新潟講演「行形亭(いきなりや)」にて話は冒険で最後はを冒険のシジフォス」植村直己について、帰路中に読んだ植村直己について長尾三郎『マッキンリーに死す』とラインホルト・メスナー『エヴェレストーー極点への遠征』、芹沢博文の例会不参加につきお詫びに会費だけでもと自宅まで娘を連れて、米長邦雄の「濁り」について、藤原新也「乳の海』、中公にてジャーナリズム論、映画『カイロの紫のバラ』、『一瞬の夏』苦心してつけた題名が実はこの連載を始める2年前に高安国世の詩集で存在していた(大岡信の「折々のうた」より判明)、ロバート・キャパの伝記翻訳について翻訳の大家の永井淳に研究社の新英和大辞典を薦められる、ジョージ・ウィンストン『オータム』を聴きながら今後の視界の晴れない見通しに思いを馳せる、吉行淳之介論の執筆につきの彼の著書を雑読『湿った空乾いた空』もともとは小野実の『何でも見てやろう』を素材とした異国論が連載化したもの「異国への視線」、相手の既知のことだけでなく知りえない意識の上に乗せてもいないことを引き出せるような優れたインタヴュアーである吉原敦子さんのインタヴューを受ける『馬車は走る』を取り上げるにあたって、原稿用紙に意味をなさない抽象的な図形を悪戯書き→執筆前の儀式のようなもの、4日間の鹿児島の養蜂家取材『たくさんのふしぎ』「ハチヤさんの旅」、銀座の飲み屋帰りのタクシーの運転手談:子供は3歳までの可愛さをもって親孝行を既に終えている
「ジャーナリズムの熱狂」p.294-296
「永野一男刺殺事件、日航機墜落事件、三浦和義逮捕劇」の年
「『異様』だったのは、事件そのものであるより、マスコミであるかのようでもあった。」
ジャーナリストとはなにか。ジャーナリストの数だけあるが、伝える価値があると思われる情報をできるだけ早く伝えようとする者と定義すれば、沢木は「伝える価値のある情報」とも「できるだけ早く伝えよう」とすることとも無縁と語る
「自分に興味のある対象を、自分とその対象との関係を完結させるためだけに書いてきた。伝えるべき相手である読者への視点がまったく欠落している。……ジャーナリズムというものに必須の、『いま』という時代に対する信仰心を欠いている。ジャーナリストとは、『いま』という時代に爪痕を残すために、永遠を断念する者……しかし、私はやはり、永遠とまでいかないにしても、時間に耐えられるものを書きたいという思いを捨て去ることができない……私はジャーナリズムに身を置きながら、常にジャーナリズムからの逃走を試みている者」
