
ジクロロ
@jirowcrew
2026年8月30日
朝のピアノ 或る美学者の『愛と生の日記』
キム・ジニョン,
小笠原藤子
読んでる
"4 悲しみに暮れる必要も理由もない。"
少なくとも、理由はあるように思えるーーふとそう思う自分がいる。自分の主観がある。
そう思えるのは、今このときに、自分が悲しみに暮れていないからだろうと思う。
そもそも著者と同じ「悲しみ」を感じることすらできない、その持続のほどもわからない。
これは著者の悲しみを否定しているわけではなく、主観と主観の向き合い方というのは、やはりはじめに否定があるような気がする。
一人きりで向き合わなければいけない課題を背負うとき、そのような自分に言い聞かせるべき言葉が必要となるのかもしれない。
その終わりの見えない持続を断ち切るためのまじないとして。
少なくとも、自分が悲しみに暮れるときが来たとき、必ずこの言葉を思い出すだろうと思う。
それはこの言葉が、著者の一人きりの苦しみから記されたものであるということが、著書の全体を通してしっかりと伝わってくるから。
必ずかどうかはわからない。
「必ず」と信じたい主観が、今ここにある。
たぶん思い出すだろうと思いなおす。
その揺らぎが認められているような気がして、救われた気持ちににる。
これがこの本に書かれていることじゃないかと思う。

