
のん
@norie1010saran
2026年8月30日
暇と退屈の倫理学
國分功一郎
読み終わった
読み終わるのに3ヶ月かかった。
もう一度読まないと恐らく結論までの過程をちゃんと消化できないと思う。
全部読んで最後に残った感想が「結果よりそれに辿り着くまでの過程が重要だ」というものだ。何かをするにあたって心の底からマジにれて楽しめたかが重要だ。
-ハッとした引用-----
たとえば、「資格がなければ社会では認めてもらえない」「資格をとっておけば安心だ」という世間の声。この大きく鳴り響いている声に耳を傾けていれば、苦しさから逃れられる。
そうして、資格取得の決断を下す。決断してしまえば本当に快適である。資格試験の奴隷であることはこの上なく楽だ。しかも、世間からは「一生懸命頑張っているね」とめてもらえる。というか、周囲はめる以外にない。
ハイデッガーはそうしたあり方を指して「狂気」と言ったのだった。それは、好きで物事に打ち込むのとは訳が違う。自分の奥底から響いてくる声から逃れるために奴隷になったのだから。
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資格だって、勉強するのが楽しいと感じれたら自ら進んで奴隷になる惨事は起こらない。
パーティーの例に関して。葉巻もあったし高いお酒もあった。でもそのパーティーはとても退屈だったとあった。退屈だったのは楽しめなかったからだ。葉巻、貴重なお酒をを楽しむ術を知らなかったからだ。
楽しむにも訓練がいる。
だから勉強がいる。勉強は楽しむための訓練だ。知っているものが多い程、より世界が鮮明にワクワクして見える。
そして自分が何に対してガチでマジで楽しいと感じているのか、自分を研究すると良い。
最近、魚豊さんの「ひゃくえむ」というアニメ映画を見たけど、これと同じものを感じた。短距離走選手の主人公は走る理由を「人のために走る」「自分は早いから走る」「記録のために走る」と述べる。でもなんだかしっくり来ない。紆余曲折あり最終的に辿りたいた答えが「ガチになるため」「楽しいから走る」というすごくシンプルなものだった。でも、誰にもどんな考えにも揺さぶられない確固たる答えを見つけ出した。
「ガチになる」から逃げないように生きていきたい。
