
Ayako
@aya_rb
2026年8月30日

私の女の実
ハン・ガン,
斎藤真理子
読み終わった
また読みたい
韓国文学
わたしがこれまで読んだハン・ガンは『別れを告げない』『少年が来る』『菜食主義者』なんだけれど、前の二篇は歴史というものを背負い、国として負った傷を見つめた物語で、しかしこの短編集は個人の傷や暗い記憶を描いているんだなあ、とぼんやり思いながら、ハン・ガンのあとがきまでもがまるでひとつの掌編のように読み終えた。
最後の『線路を流れる川』の、ずっと痛みが疼くような気持ちのまま、桜庭一樹さんの解説と斎藤真理子さんの訳者あとがきを読み、これがハン・ガンの初期の作品を集めたもので、このあとに『少年が来る』『別れを告げない』が書かれたことに改めて気がつき、斎藤さんの「……ハン・ガンはこうして個人の抱える闇、あるいは個人を取り巻く闇をとことん見つめたからこそ、後年の『少年が来る』や『別れを告げない』を書けたのだ」という言葉が心に沁みた。
ハン・ガンが書き、桜庭さんが言及しているように、過去が現在を助け、死者が生者を救うのならば、歴史を軽視し捻じ曲げることに躍起になり、死者さえも利用しようとする現在を変えるために、文学が露わにする傷や痛みを、読者として恐れずに受け止め続けていくこと、受け取ったものを言葉にして分かち合うこと伝えることをやめないこと。
わたしにとってハン・ガンを読むことはパワーがいる読書ではあって、読み終えた後に湧いてくるものを言葉にするまでも含めてとても消耗するんだけど、筋トレしてぐったりと寝たあとに筋肉が少しずつついていくように、消耗のあとに必ず何か心の層が厚くなるような、そんな気がする(実は筋トレはしませんが……でも毎晩のヨガはそんな感じかも)。
文学を読んで、その感想を言葉にして記すのは、瞬間瞬間で吐き捨てるように呟いて全世界にポストする行為とは根本的に違うと信じたい。








