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@dccxxiv___
2026年8月31日
西巷説百物語
京極夏彦
読み終わった
再読
鍛治が嬶
(船幽霊の後)
野狐
林蔵と又市が上方から姿を消してから十六年後
(帷子辻/天火の後)
p.206
人は哀しくて哀しいと言う訳ではない。哀しくて泣く訳でもない。
人は、泣くことが出来るから哀しくなるのだ。哀しいと表現出来るから哀しくなれるのだ。
可笑しいから笑うのではない。
笑うことが出来るから可笑しく思えるのだ。
哀しいとか嬉しいとか楽しいとか苦しいとか、そうした感情は、内から湧き出るものではない。人と接することで、他人に対して表現することでやっと明らかになるものなのだ。
p.610
「此処がええのや。此処にはな」
お妙も居る。
一緒がええのやろ。
その方が淋しくないやろ。
あの世でゆっくり詫びたらええわ。
お妙は許してくれるやろう。優しい娘やったから。
此処で朽ちるとええ。わっしも一緒に朽ちるから。此処で一緒に朽ちるから。
朝日が差した。
みるみる明るくなる。
何てことはない。
陽光に照らしてみれば忌まわしき関寂野もーーー。
ただの野っ原だ。
p.611
大坂を出よう。
陽が昇るから化け物は退散だぜ。
林蔵は差し込む朝日を見詰めて。
眼を細めた。
朝の光は、少ォし眩し過ぎるで、
わっしは一人で向こうに行くわと言い残して、靄船の林蔵は踵を返し、果ての知れぬ荒野の果てのその先に向けて、一目散に駆け去った。これで終いの。
金毘羅さんやで。
ほな、さいなら。