@sotaono
2026年9月3日
黒後家蜘蛛の会1
アイザック・アシモフ,
池央耿
p29
「『わたしは生涯に数えきれないほど何度も人があんなふうに笑うのを聞いたよ。かく言うわたしも、何度ああして笑ったかわからない。あれは会心の笑いだ。咽喉から手の出るほど欲しがっていたものを、他人の負担において手に入れた時のしてやったりという会心の笑いだよ。この世の中に、ドアの向こう側で聞いても、あの笑いの意味を解せる者がいるとしたら、それはこのわたしを措いて他にない。わたしの耳に狂いはない。ジャクスンは何かわたしのところから盗っていったのだ。そして、快哉を叫んでいたのだ。』」
p36
「「ヘンリー。きみが実に行届いたサーヴィスに努めているこの方たちに、わたしからあらためてきみを紹介しよう。……皆さん、ヘンリー・ジャクスンをご紹介いたします。」」
p38
「「あの男の心の平和だけでございます。」ヘンリーは穏やかに言った。」
p46
「「ドクター・ドクター・ステイシー。」ドレイクは重々しく口を切った。「あなたは何をもって、あなたの存在を正当となさいますか?」」
p56
「「わたしの友人で、医科大学で教えている男のことを考えていたのだよ。そこの学生たちは、世の中で正当に学位と呼べるのは医学博士、M.D.だけだと言っている。彼らに言わせるとPh.D.とは贋博士(Phony Doctor)のことだというわけなんだよ。」」
p68
「「自分をさんざん笑いものにした人たちにでございますか?」」
p71
「「『イリアス』の冒頭の一章を片づけたよ。こういうんだ──
"並びなきギリシャの総帥アガメムノン
アキレスめとめ向かっ腹の強談判
丁々発止の口諍い
アキレス怒髪天つく勢い
座を蹴って陣屋の内へ疾く退散"」」
p76
「「あなた、そう言うけどね、噓は身を守る手段としてなかなか有効だよ。周到であればね。ところが、たいていの場合噓ってやつは悲しいかなそこまではいかないんだ。」」
p82
「「きみはアガサ・クリスティの読みすぎだよ。」」
p83
「「きみは立派な<ブラック・ウィドワー>じゃないか。それどころかきみはこの会はじまって以来、唯一の皆勤賞だよ。」」
p85
「「けれども、普段の場合でしたら、あれが嫌いかと訊かれれば、わたくしは嫌いではないとお答え申し上げるだろうと存じます。厳密に申しますと、これは噓でございます。しかし、わたくしはあのようなおたわむれなど問題にはならないほかの理由で、トランブルさまが大好きでございます。ですから、厳密な意味で本当のことを申し上げますと、わたくしはトランブルさまが嫌いだという含みになりまして、実際には大きな偽りになってしまいます。それ故、トランブルさまが好きだという真実を伝えるために、わたくしは嘘を申します。」」
p86
「「いえ、そんなことはございません、ゴンザロさま。言葉を正確に聴く人は稀でございます。文字どおりの真実は、多くの場合、そこに噓を含んでおります。そのことは、常に周到に文字どおりの真実のみを話す人間が誰よりもよく知っているのではございませんでしょうか?」」
p90
「「いつまで経ってもCがない、すなわち、Long time no C(see)。」」
p91
「「こういうんだ──
"アガメムノンの夢の一計功薄し
須臾にして麾下の将兵意気低し
罵詈讒謗はテルシテス
諫言するはオデュセウス
さあお立合いギリシャの軍勢の船づくし"」」
p118
「「"行け、小さき書物よ、わが幽居より/われ汝を流れに打ち捨てん……疾く去れ"」ホルステッドが口の中で呟いた。「ロバート・サウジーだよ。」」
p121
「「おいおい。」ルービンが叫んだ。「ヘンリーをぼくたちから取り上げないでくれよ。」「ご心配なさいますな、ルービンさま。」ヘンリーは慌てる様子もなく言った。「わたくしはここのほうが楽しゅうごさまいます。」」
p125
「「さて、こういうんだ──
"メネラーオスは非力の武将
パリスは逃げ腰目にもの見しょう
ヘレンを賭けた一騎打ち
そこへ女神のアフロディーテこの勝負預かりましょう"」」
p139
「「『行動が物を言う』んだよ。」アヴァロンが言った。「ああしていれば、こうしていれば、と言ってみたところではじまらない。」」
p154
「愚かなるかなりリュキア人
ゼウスの威を借り一矢報いる敵の陣
トロイの信義形もなし
そもパンダロスの勇み足
神かけた誓いの和平破れて残念閔子騫」
p155
「「ヘンリーの言うことに間違いはないからね。」ドレイクが言った。「彼がからたまに言う以上、こいつは人畜無害だよ。」」
p156
「「恥をかくというのは、他愛もないことですな。」」
p158
「「言い換えると、人は自分を騙すってことですな。」エルドリッジが口を挟んだ。「そのとおり。」ルービンは言った。「人間は皆騙されたがっているわけですよ。」」
p158
「ルービンはすかさず言った。「ドクター・エルドリッジ。あなたは何ももって、あなたの存在の事実を正当となさいますか?」「わたしが真実と誤謬とを区別することに努めている事実によってです。」」
p159
「「誤りを知った時、わたしは可能であればそれを正そうと努めます。ところが、それは必ずしも容易なことではありません。」」
p180
「「いえ、どんな場合にも、それは常に一つの可能性でございます。いつもそのことを頭に置いて、用心しなくてはならないのでございます。ジェファースン大統領の言葉を思い出しましたのも、実はそこなんでございます。」」
p187
「「いい参考書だよ、コロンビアの百科事典は。一巻本の何でも事典としては世界一だね。ブリタニカよりよっぽど役に立つ。アイザック・アシモフなんかにページを割いているのは無駄というものではあるがね。」「誰だって?」ゴンザロが尋ねた。「アシモフさ。ぼくの友だちでね。SF作家なんだが、こいつが病的な自惚れ屋なんだ。パーティにこの百科事典を担いでいくんだよ。で、こんなふうに言うんだ。『コンクリートって言えばね、コロンビア百科事典のわたしの項の、ほんの二四九ページ後に実に行届いた説明が載っているよ。ほら、これだ。』で、やつは自分の項を見せるのさ。」ゴンザロは笑った。「まるできみそっくりじゃないか、マニー。」「そんなことをやつに言ってみろ、ぶっ殺されるぞ……ぼくが先に殺していなければだがね。」」
p208
「「ただ指さしただけで、言葉であれ何であれ、何を指さしているかの説明がないといたしますならば、その指が示しているのはただ方向だけでございまして、それ以外の何を明らかにしているわけでもございません。」」
p210
「「たまたま、皆さまそれぞれに違う道筋を辿られました。わたくしはただ、残った道を行ってみただけのことでございます。」」
p237
「「わたくし、そのようなむずかしいことではあるまいと存じます。これはわたくしの日頃からの持論でございますが、すべてが甲乙つけ難い時には、一番簡単な説明が、一番よろしゅうございます。」「オッカムの剃刀だね。」アヴァロンが言った。」
p238
「「<ブラック・ウィドワーズ>の皆さまがでございます。皆さまが謎を解明なさるのです。わたくしはただ、落穂拾いをいたすだけでございます。」」
p243
「「今は自由の時代でございます。」ヘンリーは言った。「人それぞれが好きなようにする時代でございます。わたくしは、これがいいのでして。」」
p258
「「いや、そうでもないんだ。何度かそんな音を聞いたっていうやつはちらほらいたよ。問題は、誰も何とも思っていないということさ。音には気づいていても、うるさいとは思わないんだ。ニューヨーク人はそこまで音に鈍感になっているんだよ。爆弾を叩きつけたって知らん顔じゃあないのかな。」」
p278
「「とにかく聞いてもらうよ──
"勇気と技とを武器となし
ディオメーデースは行くところ敵なし
神々すらも刃の錆
軍神アレースに気はすさび
胴一本息の根止めるも荒げなし"」」
p306
「「それはきみが最後の作品だと言ったから、ほっとして賞めたまでさ。ところがよく聞いてみれば何のことはない最新作じゃないか。」」
p327
「「言っておきますがね、アトウッドさん。ヘンリーはこうやって給仕をすることが域外だという顔をしていますが、どうして、彼の推理はまさに快刀乱麻ですよ。」」
p333
「「サンダーズ氏はビショップの駒にメッセージを隠すのは傑作だとお考えになったのでございます。」」
p369
「「どなたもお気づきでなかったとしても不思議はございません。わたくしのように、給仕のことを考えたりする人間はめったにいるものではごさまいません。」」