
鈍獣
@whale_in_da_room
2026年9月4日
京都の平熱ーー哲学者の都市案内
鷲田清一
読み終わった
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@ 八文字屋
愛し抜き、ときに憎みもした京都で得た機微だ
このセンテンスに出逢うためにこの本を読んでいたのだ
“ 出来事は、それが痛いものであればあるほど、身に刻まれた記憶として、内でいやというほどこね回される。こね回されているうちに、それがまるでじぶんのすべてを規定してきた核のように感じられてくる。けれどもそれは、記憶が、よくできた「物語」として編みなおされるプロセスでもある。これにはちょっと用心しておいたほうがいい。
記憶は、油断しているとすぐに、よくできた「説明」にすり替わるからだ。「説明」にすり替わった記憶はもはや記憶ではない。そこにはわたしそのものよりも、ありそこねたわたしのほうが映しだされている。だから、よくできた記憶、辻褄のあった記憶のその脇に、まるで隠し眼だけをぬっと出してそれをのぞいているわたしがいる、と言ったほうがまだ近い。”
