サブレとポッポの往復書簡 "世界99 下" 2026年9月5日

世界99 下
世界99 下
村田沙耶香
下巻読了 以下、ネタバレを含みます。注意。 人間にとって負担となるあらゆる物事はピョコルンに押し付けることが出来るようになった、前編最後に語られたいわゆる『リセット』後の世界が後編の舞台です。 そこでは、人間が本来持っているはずの喜怒哀楽の感情のうち、怒や哀のような負の感情やエネルギーの強い自己主張を表出することが、ある種のタブーとされていて、それが当たり前の感覚として根付いています。ウエガイコク、ラロロリン人、クリーンな人、かわいそうな人、これら人間同士、区別はあっても差別はもう存在していません。人々は互いに、かつてのラロロリン人差別や暴力的な恋愛関係、DVといったようことは勿論、誰かを悪く思ったり疑ったりするといった負の感情を持つこともなければ、その気持ちを誰かとぶつけ合うこともない。なぜなら、都合の悪い事柄を、次々にピョコルンに押し付けることが出来る世界になったからです。 人が人にとって都合のよいものだけを選び、不都合なものを外側に追いやって、そもそも見えなかったこと、なかったことにする。これは考え方によっては、ユートピアともいえる世界かもしれません。 最初は、人間が都合良く生きるためだったピョコルンの存在意義は、いつの間にか、人間が都合良く利用されないためにと、いつしか変容していきます。 よもやこうなってしまうと、白藤さんや匠くんがそうであったように、自分自身を貫き通す、自分を生きることを良しとされなくなり、生きることが困難になります。三章の匠くん、そして白藤さんの描写が、それらを物語っています。 最後には、全ての記憶や価値観が均一化された世界となり、人間が人間として生きることよりも、自分を持たず、ただ愛され続けるために、均一化された人間に生涯媚び続けることが最適解とされた世界。そこは、人間としての個性や違いがないものとされる世界。言い換えれば、前編の世界が否定される世界。 かつては、空子も利用されるだけの母や、苛められるクラスメートをみながら、こうはなるまいと複数の世界、複数のペルソナを駆使して空っぽなりの人生を歩んできたはずなのに、最後に採った選択が、こうはなるまいとずっと避け続けてきた、都合良く使われて、誰かに媚び続ける生き方というのは、何とも皮肉な結末だとも感じました。 最終章、すでに全て均一化された『記憶』がの調整が当たり前となった世界で、身内の家族から怖がられても自身の『記憶』や『表情』を決して手放さず、自分を生き続ける白藤さんと、ピョコルンに生まれ変わり、『表情』も『色』も消えかけている今の世界において、『目がちかちかするから』と『色』を心地よく思わない空子、物語の最後にそれぞれの世界99の対比を、世界の見え方を通じて描いているのが、物語の序盤で二人が初めて出会った『雨と晴の境目』のシーンを彷彿とさせて、読了してディストピア特有の空虚さが残る中にも、何だか少しだけよかったかも、とも思えました。 そして、自分にとっても久し振りの長編小説となりました。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved