プールに降る雨 "曖昧な弱者の時代" 2026年9月5日

曖昧な弱者の時代
映画『急に具合が悪くなる』の感想で、ホワイトボードに描かれた「周縁に追いやられた人びと」から、共和党支持者にインタビューしたルポ『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』を想起したということを書いたら、日本での類似する状況を論じた本書をすすめられた。 上下・左右・新旧の格差という社会的な背景から昨今の状況が説明されていて、以前からどうしてそうなるのか謎だったネトウヨとかミソジニストとか現政権支持者も一定の理路があってそこに行き着いているのだなということは納得できた。データに基づかない論考はいきおい「ではないか」とか「だろう」という憶測の文末が多用され、共感できる部分もあれば、そっすかねと感じる部分もあったが、全編を通して図式的に論じられるので頭の中がばちばちっと整理されてすっきり感は得られた。すすめてくれてありがとう。 以下、まとめ。 貧困層や高齢者、文化的マイノリティといった、リベラル左派が認定する「明白な弱者」に対して、困窮を感じながらも支援を受けられず憤懣と報われなさをつのらせた者を「曖昧な弱者」と位置付ける。 第1章ではひろゆきが「曖昧な弱者」に支持される背景を、第2章では山上徹也のTwitterアカウントの分析を通じて彼が犯行に至った動機を、第3章ではTikTokの関連動画の分析を通じて「石丸伸二現象」の背景をそれぞれ考察する。 第4章。2024年10月の総選挙前後のTwitter分析を通して、世代間格差の問題を焦点に、「ネオリベラリズムを支持する弱者」という矛盾した層を描き出す。 “そこには従来の見方からすると、二つの意味での顚倒があると言えるだろう。  第一に従来は、高齢者こそが弱者であり、現役世代や若者世代は強者に当たるものと考えられていた。しかし彼らからすれば、「既得権益」の上にあぐらをかいている「既成権力」としての高齢者は、むしろ強者であり、それを支えるために税制や社会保障制度を通じて搾取されている自分たちこそが、実際には弱者だということになる。  第二に従来は、競争政策を支持するのは強者であり、弱者は保護政策を支持するはずだと考えられていた。しかし彼らからすれば、「オールド連合」による保護政策は彼らを保護してくれるものではなく、逆に搾取するものであり、だとすれば誰も保護されることのない自己責任の競争社会のほうが、むしろ安楽だということになる。  こうしたことから彼らは、自らを弱者として認識するとともに、しかしそうした認識にもかかわらず、保護政策を拒否し、競争政策を支持することになる。そこに現れてくるのは、従来的な「弱者のためのリベラリズム」でもなければ「強者のためのネオリベラリズム」でもなく、 「弱者のためのネオリベラリズム」だと言えるだろう。  それはいわば、ジリ貧になっていく社会を彼らが生き延びていくための世界観だ。イノベーションが進まず、生産性が上がらず、それゆえに賃金もなかなか上向かず、一方で税と社会保険料の負担がじわじわと増していくなかを生き延びていくためには、何よりもまず減税が望ましい。また、社会保障も自分たちを保護してくれるものではないのだから、給付全体の削減が望ましく、投資や副業で少しでも収入を増やしていくしかないのだから、金融所得課税の強化などもってのほか、ということになる。彼らが置かれているこうした苦境の中から生まれてき たのが、「弱者のためのネオリベラリズム」だと言えるだろう。” p.100 第5章。積極財政と減税を訴える財務省解体デモに集った人びとを、「失われた30年」に閉じ込められながらも「弱者のためのネオリベラリズム」にも乗れず、労働運動からも市民運動からも取り残された「大きな政府」ポピュリズムを志向する存在であると考察する。 第6章。左派とも右派とも一概にいえない政策を掲げる参政党が、所得分布の中央値に占めるロウアーミドル層(「真ん中」の人びと)の不満を掬いあげ票を集めた現象から、リベラル派が見過ごしてきた問題点を指摘する。 第7章。「曖昧な弱者」が生まれ、かれらが「明白な弱者」に対して敵意を抱く背景を政治と経済の両面からより詳しく論じる。左右の文化的対立を上下の経済的対立(「出口の見える分断」)に置き換えることで、「曖昧な弱者」と「明白な弱者」の両者が救済される対策を講じると同時に経済格差の是正をめざす方法、すなわち、「承認の政治」をより強化し、「再分配の政治」を再構築する道を提言する。 “こうして一九九○年代半ば以降、「承認の政治」のそれまでの遅れを一気に取り戻すかのように、女性や外国人などのマイノリティ、すなわち文化的弱者としての「明白な弱者」への支援が盛んに行われるようになる。  しかし一方でこの時期は、やはり「日本型福祉社会」の崩壊に伴い、経済的弱者としての 「曖昧な弱者」が大量発生した時期でもあった。「再分配の政治」のひずみから生み出された人たち、とりわけ不安定就労者だ。  このように日本では、「再分配の政治」のひずみと「承認の政治」の遅れとが重なったこと で、経済的弱者としての「曖昧な弱者」の発生と、文化的弱者としての「明白な弱者」の救済 という二つの現象がほぼ同時期に起きることになった。  その結果、庇護が突然失われた前者の人たちは、庇護を突然与えられた後者の人たちを羨み、 嫉視することになる。「自分たちは守られないのに、なぜ彼女らだけが守られるのか」という具合だ。” p.173
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