
チョム
@abb_20260521
2026年9月5日
本が読めない33歳が国語の教科書を読む
かまど,
みくのしん
読み終わった
再読した
わたしは物語を含めいろんな本を読んできているけれど、読めない本のジャンルというものはあるし、そういうものを読みたいと思わないので手に取らない。もっぱら小説が好きで、架空の物語ばかり読んでいる。
小学生の「国語」という科目で教科書のなかの「文章の塊」に触れ、それを楽しめるかどうかが、物語を、ひいては読書を好きになるかどうかの分かれ目だと思っている。わたしは国語の教科書に掲載されているいくつかの物語にはまり、教科書を飛び出して図書室に置いてあるさまざまな物語の単行本を読み漁り、大人になった今でも書店で本を手に取る。
だから、本が読めないみくのしんさんの感覚がわたしにはわからなかった。
けれど本書は、本が読めないみくのしんさんの読書の様子をかまどさんと共に見守ることができる。本が読めない人が、読書の途中でどんな壁にぶつかり、なぜ「読めない」と感じてしまうのかがわかる。
本書の主役であるみくのしんさんは本が読めないけれど、彼が読んでいてわからない文にぶつかり立ち止まったとき、隣にいるかまどさんがフォローを入れてくれる。解釈を教えてあげるわけではなく、感性に素直な読み方を、それでいいと肯定しながら見守っている。みくのしんさんの読書に対する恐れを、かまどさんが即座に取っ払ってくれるのだ。
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みく「腹の中で『こいつ、分かってねえな〜』とか思ってない?」
かま「そんなこと絶ッッッ対に思わない。つまんないこと気にしてないで自分らしく読んでくれ。」
(p23)
みく「こんなことばっかやってたら、周りの優等生にバカにされるだろ。」
かま「その人たちには、こんなに楽しい時間を作ることはできないから。これはこれでいいんだよ。」
(p47)
みく「読めない漢字があるのに、いい調子なはずがないだろ。」
かま「いいや、絶好調だね。漢字は覚えれば誰でも読めるけど、ランプのフタを閉じる音は誰にでも聞こえるわけじゃないんだから。」
(p80-81)
みく「自分が成長してることに泣きそうになってる……。恥ずかしい……。」
かま「恥ずかしいことないだろ。一番羨ましい涙だぞ。」
(p158)
みく「本当に? ここで俺だけ『いい雰囲気だ〜』とか言ってんのバカみたいじゃない?」
かま「一人くらいそういうやつがいたっていいだろ。」
(p199)
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だからみくのしんさんは、自分のペースでゆっくりと、本を読むことができている。
本書の魅力は、本を読めないなりに一文一文ゆっくり追っていく様子をこうして隣で見守ってもらいながら、その感性ゆえにとんでもなく豊かな「本の読み方」を披露していくみくのしんさんの、その読書の様子にある。
みくのしんさんの読み方に対するかまどさんの反応の一部は次のとおり。
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「俺は、こんなに口いっぱいに頬張るような情景の味わい方したことないよ。」
(p27)
「息を呑みながら本が読めるなんて、最高の読書体験だな。」(p36)
「実況中継みたいな読書だな。」(p37)
「『やまなし』ってこんなに賑やかに読める本だっけ?」(p38)
「みくのしんって映画を観るように本を読んでるんだろうな。」(p39)
「この4文字で梨の甘さまでイメージするのか。瑞々しい読書だなあ。」(p57)
「みくのしんって景色を眺めるように本を読んでるんだ。」(p69)
「みくのしんって、本当にその場にいるように本を読むよな。」(p78)
「とうとう鼻まで使って本を読み始めたのか。とことん体験型の読書だな。」(p89)
「なんて大騒ぎの読書だ。」(p110)
「そのシーンとオーバーラップして見えるんだ。ドラマチックな読み方だなぁ。」(p122)
「マンガの主人公みたいなこと言ってるな。なんてアツい読書だ。」(p213)
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これだけでもう、本を読むことを楽しんでいるみくのしんさんの様子が伝わってくる。
そして、読書が習慣づけられていない人が、「読書をすること」を言葉で表現しようとしたとき、読書が習慣づけられている(文章慣れしている)人にはわからない感覚が表れる。
みくのしんさんが『山月記』を読んでいるとき、難しくてすこし長めの一文を句点まで読むことを、冒険ドキュメント番組によくある洞窟の中で水に潜り奥へ進むシーンに喩えているところがある。長い文章に慣れている人間には、そのような感覚を覚える機会はきっとないと思う。なので、読書ができるかまどさんも「多分大事なことを伝えようとしてる気がする。」(p151)と、落ち着いた説明を求めたのだ。
先に挙げたかまどさんの反応の一部は、みくのしんさんが読書中にかまどさんの思いがけない反応を見せたり感想を口にしたりしたときに表れる。そしてそれらは、ふだんから読書をしているわたしのような人間ではさらりと読み流してしまって到底そんな反応はしないな……と思うような、感性豊かなみくのしんさんの瑞々しい読書体験である。
本書の初版特典として、『かまど・みくのしんの立場逆転読書』という小冊子が付いており、かまどさんの読書をみくのしんさんが見守るという、本書の中身とは逆の読書体験を行っている。かまどさんはみくのしんさんのように、一文一文を追いかけてそのつど思ったことを口にしながらの読書ではなく、ただひたすら無言で文を追い、脳内で情景を想像し、(みくのしんさんの邪魔がなければ)無言で読書を終える。みくのしんさんの邪魔があったから「一応、最後まで目は通したよ。」「(前略)それで本当に読めてんの?」「読めてねえよ。」(特典p12)となる。ふだんから本を読む人ならわかる、読書とはこういうものだ、とわたしも思う。
それでも、みくのしんさんにとっては「かまどの『山月記』は、俺のと全然違った」「そっちは読んだことない」(特典p12)となる。「本の読み方って、人によってこんなに違うの???」(特典p7)なのだ。そしてそれは、かまどさんや、読者であるわたしが、みくのしんさんの読書体験を見守っていて思うことである。
みくのしんさんの本の読み方って、自分とは全然違う。
国語の教科書なんて絶対に読んだことあるし、なかでも本書で題材にされた4篇は特に記憶にある作品群である。だから知らない物語では決してない。それなのに、みくのしんさんの目を通して再び触れた物語たちは、記憶のなかのそれらとはまったく別の様相を見せ、気づけばわたしもみくのしんさんと一緒になって一喜一憂しながら物語を楽しんでいる。
本書は、他人の読書体験を読書するという稀有な体験ができ、こんな読書の楽しみ方があるんだと読書の新たな可能性に気づかせてくれ、また今後も彼のさまざまな読書体験を見守らせてほしい……と思わせてくれる、そんな楽しい読書体験のできる一冊である。
かまどさんのあとがきに、本を読めるかまどさんが本を読めないみくのしんさんの読書を見守ることに対する心情が綴られている。学生時代に国語ができて、今でも読書ができる人にとってはかなり共感できる感情がそこにあるなと思った。

