
古
@hh_
2026年9月5日
金閣寺
三島由紀夫
読み終わった
名作だったもう1回じっくり読み返したい
やっぱりなんで燃やしたのかははっきりとはわからない
ずっとなぜ溝口が金閣寺を焼いたのかを考えながら読んでいた。自分の解釈だと世界や考え方を明と喑で二分して考えた場合、溝口はもともと暗で生きていた。これは小学時代に海軍学校の生徒の短剣に切り傷をつけたり、有為子への曲がった愛情、親への態度から感じられる。そこに金閣寺という絶対的な美が現れ、さらに鶴川という溝口の闇を光に変えていた存在がいたことで明の世界へに引っ張られ、そこが目指すべきところになっていた。ただ柏木という悪、ひねくれを体現したかのような友人の登場により再び暗の世界に引っ張られ、そして鶴川の死によって明の世界への導き手が消失したことが溝口の堕落に繋がったと思う。元あった鶴川の喪失、金閣の焼失により明の世界から完全に分断された。はじめは柏木に畏怖の感情を抱いていた溝口だったけれど、金閣を燃やすと決意したあとからは、逆に柏木からおそれの表情を読みとっており地獄よりもさらに地獄に到達する予兆を感じた。この点は溝口が柏木の邪悪性を上回った時点を示唆していると思う。話の初めの方から言及があった「南泉斬猫」はずっとよくわからなかったけど、終盤の溝口と柏木の対話、行為と認識の話で自分なりになんとなくわかった気がした。
溝口を取り巻く人物について考えると鶴川と柏木は対になっているのかなと思った。溝口を暗に引きずり込んだ大きな要因である吃音への接し方が1番わかりやすい。鶴川が吃音を気にしないと言ったことで、溝口は吃りを無視すること=自分を抹殺することという考えから脱却できた。しかし柏木の自身の内飜足に対する捉え方が溝口を吃音と自身の同一視に翻させたと思う。柏木は内飜足が自身を自身たらしめるものであり、人との交流の際に相手対自分の間に必ず内飜足を通す、もっというと相手対内飜足という構図に持ち込むようである。柏木は溝口に「吃れ吃れ」と言ったり、第三者に吃音持ちであることを開示しにいったりと積極的に溝口と吃音を結びつけ、溝口の精神の独立を阻害、吃音という溝口視点での憂鬱に目を向けさせることを強制していた。
もっと考察したいと思ったポイントもたくさんある。まず鶴川の考え。柏木と溝口の交友を咎めていた一方で、自分は柏木と文通していた。さらに溝口視点で暗を明に変える存在だったはずが、鶴川は地震について「暗い心も持っていた、ついぞ明るさを知らなかった」と言っている。じゃあ彼は溝口の言動をどう捉えていたのか?
あとは老師の考え。溝口が米軍将校相手の娼婦を流産させたあとや、自分の女遊びを目撃されたあとなど、溝口が老師との対話を恐れある時は望んだ場面で、老師はいつも通り接した。やさしさ、戒め、金閣の保護、自身の投影などの解釈が考えられるから、それももっとじっくり読んで考えたい。
1番難しいのは溝口の中での金閣像の変化。女性を目の前にした時になぜ金閣は出現するのかや(俗世との断絶を禅心が訴える?でも辻褄があわないかな)、途中の金閣は外は綺麗だけど中は闇を抱えているのような考えの起源、その考え自体の変化など、そして1番はやっぱりなんで燃やしたのか。答えはないと思うから、またじっくり読み直す機会があったら考えたい。
読み終わってから記憶に残っている解釈を書き出しているだけだから、読んでいる途中はもっといろんなこと考えていたしあーでもないこーでもないってなっていた。その考えを残し忘れたことが悔しい。ただ今思い出せたこのかけらが次読む時の解読の楽しみに繋がればいい。自分は今まで読んできた本の系統や好きなストーリー的に、人間関係が人格形成に大きな影響を与えると考えがち。だから、溝口の交友関係に重きを置いて考察をしていると思う。それを深めるでもいいし、景色や溝口の心情吐露から再度考察するでもいい。とにかくまたの機会にじっくり読んで、自分なりの解釈を納得できるかたちでまとめる。また焼きにくる。
