
本屋lighthouse
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2025年4月6日

ナラティヴの被害学
阿部幸大
読んでる
「そうしなくてもよいにもかかわらずそうすべきだから応答(respond)するという倫理的な能力(ability)、すなわちresponse-ability」(p.60)、「被害性の収奪や被害者との過度な同一化を避けながら、いったいどのように応答しうるのだろうか?」(p.61)、「ベッカの自責の念は倫理的な応答可能性へと――他者から要求され押し付けられたものではなく、部外者自身の内面からわきあがる応答可能性へと――昇華する」(p.63)、「部外者による歴史の再構築が当事者性の盗用というリスクを不可避的にともなう行為であるのなら、中動態の採用は、むしろこの小説が応答可能性の倫理に自覚的であることを示唆しているように思われる。みずからが疎外されている問題への応答を求められたとき、部外者は応答する側とされる側の両方の主体的位置について考えなくてはならない。当事者の経験に応答せよという喫緊の必要と、その本質的な実現不可能性との緊張関係が、そこにはある」(p.82)









