ナラティヴの被害学

66件の記録
- あずき(小豆書房)@azukishobo2025年5月21日読み始めた私たちはある出来事を、なぜ・どのように起こったのか、という、ナラティヴ(物語、ストーリー)の形式で受け取る(実際に体験することはできないので)。そして正義感の強い人ほど、無批判に被害者と加害者という構造を作り出してしまうように思う。 ここで大事なことは、ナラティヴという知の形式そのものが批判対象ではないということだ。ナラティブを批判的に、自覚的に、相対的に、分析する力が求められる。 もう一つ大事なことは、「何のために」分析を行うかということであり、著者にとってそれは「暴力の否定」だという。 しっかり読んで考えたい。
- はるにれ@Elms11302025年5月15日気になる出版社(文学通信)のブログで第1章が読める。 著者は「わたしにとって人文学の究極目的は暴力の否定である」と言い切って、次のように書いている。 「われわれは誰しも、思考したり、発言したり、行動したりするたびに、そのつど被害性をまとったり加害性をまとったりすることを避けられない。われわれはそのような暴力と非暴力のあいだの、被害と加害のあいだのスペクトラムをたえまなく移動しているのであり、したがって、つねに非暴力の側に立つことは構造的に不可能である。」 「暴力とは、一部の乱暴者だけがふるうものではない。常識人たるわれわれもまた、いとも簡単に加害性に連座してしまいうる。そのことについてクリティカルに、そしてラディカルに考えてゆくために、まずわれわれ自身を暴力の、加害の側に、立たせる必要がある。」 明快で潔い。この気構えを持って、読書をしたい。
- つつじ@m_tsutsuji08152025年4月26日読み終わったパラダイム自体は既知だったんですが阿部氏が批判したいのはその"歴史を修正主義的ナラティヴとして再構築すること"だった 個別の話として ①"医学政治的(メディコポリティカル)な医師による生権力の行使"というのが面白かった 医師の力は"人びとを適切な機能で生きるよう強制するタイプの権力"に堕しやすいから気をつけた方がいい ②"アメリカ人の中ではアメリカ人はベトナム戦争の勝者であり被害者である"???????
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月12日読み終わった本書は各種文学作品の読解を試みた論文集で、たいがい「じゃあそれがなんの役に立つの?」と言われてしまいがちなものでもある。しかし冒頭にて阿部が提示した「人文学の目的は暴力の否定である」ということ、そして「被害者と加害者というわかりやすい二元論に陥ることを避け、我々全員が持たざるを得ない加害性に向き合うこと」を念頭に置きながら本書を読み、かつその実践を自らの生活において試みることによって、はじめて本書の持つ意義は十全に発揮されることになる。 なぜその語られ方が採用されたのか。その語られ方によってなにが強調され、なにが隠蔽されたのか。その批判的まなざしを他者に向けることで、おのずと自らの語りに対してもその意識が向くようになる。私はなぜ語るのか、なんのために語るのか。私の語りはなにを強調し、なにを隠蔽してしまうのか。私のそのナラティヴは、私が意図した効果を世界にもたらすのか。「正しい」側にいる/いたいと自負する者にこそ、本書によって自省を促されてほしい。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月11日読んでるまだ読んでる戦争に負けたことによって奪われた自信は、別の戦争に勝つことによって取り戻すことができる。というのが、アメリカが採用し続けているナラティヴであるらしい。であるならば、トランプもその流れのなかにいるということになる。戦争が指す対象は比喩的なものも含めて考えてもいいだろうけど、いずれにせよトランプは各種の「戦争」をしかけアメリカをグレードアゲインするつもりなのであって、その影響というか結末というかははっきりと見えている。 第8章では映画『トップガン』シリーズを軸に、アメリカの映画が上記のナラティヴを採用していることを示しているが、日本の場合はどうなのだろうか。日本の戦争映画のナラティヴに多いのは「若くして散った命(と追いかけられなかった夢や悲恋)」で、これもまた自らを戦争の被害者とするためのナラティヴだ。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月9日読んでるまだ読んでる今日は本屋大賞の発表日で、しかし本屋大賞の本がまったくと言っていいほど売れない(問い合わせすらない)本屋なので完全に忘れていて、各種作業をこなしていたら疲れ果て、結局本を読む。 ケアというものが直接的になされるのではなく、間接的になされることが持つ可能性、あるいはケアをする者される者両方に対する負担の軽減、といったようなことが書かれていて、なんとなく『違国日記』の最終盤を思い出した。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月9日読んでるまだ読んでるウルフ『ダロウェイ夫人』についての章までたどりつく。クラリッサとセプティマスにはあきらかに類似性があり、共鳴的な関係性を結んでいる、と感じていて、それは著者の立場ともほぼ同じなのだけど、トラウマ理論をもとにした解釈的にはそうではなかった(=クラリッサはセプティマスに対して加害性がある、という解釈)らしく、ほええ〜となる。クラリッサがインフルエンザ大流行(1918頃)の体験者であり生存者であるという設定は、エマ・ドナヒュー『星のせいにして』とも結びつけて考えられそうな予感。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月6日読んでる「そうしなくてもよいにもかかわらずそうすべきだから応答(respond)するという倫理的な能力(ability)、すなわちresponse-ability」(p.60)、「被害性の収奪や被害者との過度な同一化を避けながら、いったいどのように応答しうるのだろうか?」(p.61)、「ベッカの自責の念は倫理的な応答可能性へと――他者から要求され押し付けられたものではなく、部外者自身の内面からわきあがる応答可能性へと――昇華する」(p.63)、「部外者による歴史の再構築が当事者性の盗用というリスクを不可避的にともなう行為であるのなら、中動態の採用は、むしろこの小説が応答可能性の倫理に自覚的であることを示唆しているように思われる。みずからが疎外されている問題への応答を求められたとき、部外者は応答する側とされる側の両方の主体的位置について考えなくてはならない。当事者の経験に応答せよという喫緊の必要と、その本質的な実現不可能性との緊張関係が、そこにはある」(p.82)
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年4月5日読み始めた「生物界は騒がしい』はちびちびじっくり読むことにして、急ぎこちらを。やはり引用したいところがたくさんあるが、端的にひとつだけ。 わたしは、人文学の究極目的は暴力の否定であるという信念で研究している。(p.19)
- なかちきか@susie_may41412025年4月3日読み終わった読み始めるなり面白くて鼻血が出そうになった。「被害学」は、作品を読み解くだけでなく、身近な問題にある「ナラティヴ」をどう捉えたらいいかに役にたつ枠組みだと思った。実践してみたい。
- 本屋lighthouse@books-lighthouse2025年3月17日読んでほしい予約受付中プルーフをもらって第1章を読む。本書がどのような目的で書かれているかを説明している章だが、ここだけでも我々が世界に対してなすべきことや果たすべき責任について真剣に考えることができる。プルーフは部分的に飛び飛びで収録されているのだが、これは順番通りにすべて読みたい。ということでいったん終わり。4月上旬〜中旬にかけて入荷します。発注数増やすのでみんな読んでほしい。 https://books-lighthouse.stores.jp/items/67c3d08fb363bc43eae986a9