
プールに降る雨
@amewayamanai
2026年9月7日
タイム・シェルター
ゲオルギ・ゴスポディノフ,
寺島憲治
読み終わった
イザベラ・ハンマードの著作で本書の引用箇所を読んだとき、それっていまのことかもと、うすら寒い思いをしたのだった。
“ブルガリアの作家、ゲオルギ・ゴスポディノフの二〇二〇年の小説『タイム・シェルター』において語り手は、歴史は事後的にしか歴史とならないことを指摘しています。第二次世界大戦の始まりについて語り手は次のように言います。「おそらく一九三九年に一九三九年は存在せず、人は頭痛と不安と恐怖を抱きながら目を覚ます。そんな朝が続いていただけなんだ」。” 『見知らぬ人を認識する』p.10
最初、全然頭に入ってこなくて、やはりSFは合わないのかと途中で読むのをやめかけた。が、思いとどまり、訳者あとがきとほかの人の感想を読んで概要を何となくつかんでからふたたび読み進めた。
精神科医ガウスティンは、アルツハイマー症・認知症の治療のためのクリニックを開院する。その治療法とは、さまざまな時代を再現した部屋で、患者にもっとも幸福だった過去を思い出してもらうというものだった。好評を博したそれは、やがて一般利用客にも開放され、さらに拡大して欧州各国の国家プロジェクトになり……。
読みながら混乱した理由は、ガウスティンが時空と虚実のあわいを行き来する存在として描かれるうえに、そこにクリニックの手伝いをする、作者の分身ともいえる「ぼく」の思索と回想、さらに患者の体験などが代わるがわる差し挟まれる構成のためだった。しかし、このように時間とメタ構造の境界をあえて融解させ、読者を振り回す書き方をすることによって、ゴスポディノフは患者の変容した認知機能を主観的に再現しようとしていたのかもしれないと、あとになってから思ったのだった。
戻る時代を決める国民投票が行われる第四章は、欧州の現代史をうっすらとでも知っていたほうが理解しやすい。もしこれが日本で行われるとしたたら、どの時代が選ばれるのか。将来に希望が見出せた高度成長期か、浮かれていたバブル期か、はたまたいっきに戦前まで戻って、こんどは戦勝国を目指すのか……。
“一九三九年九月一日に、ウィスタン・ヒュー・オーデンは、ニューヨークで目覚め、 こう日記に書いている。
Ch.がぼくに裏切りをしている悪夢の夜の後、頭痛で目が覚めた。新聞各紙は、 ドイツがポーランドを攻撃したと書いている………………
さあ、ここに、本当の始まりのなかに、すべてがそろっている──悪夢、戦争、そして頭痛。” p.31
“ねえ、分かるかい、いつの日か、それもすぐ近いうちに、多くの人びとが、自分の意志で記憶を「失くす」ために、すすんで過去に戻って来るようになるから。ますます多くの人びとが、元に戻って洞穴に隠れたいと思うようになるぞ。しっかりした理由があるわけじゃないけれど。ぼくたちは、過去という爆弾を避けるシェルターを準備しなければならないね。お望みなら、それをタイム・シェルターと名づけよう。” p.61
“一九六八年にはまだ一九六八年は存在していなかった、と思う。よー、今、おれたち生きているこの時はさあ、偉大な六八年でよ、歴史に残るんだぜ、なんて、当時、誰も言ってなかった。すべては、それが起きた数年後に起きるのだ・・・・・・。すでに起きたことを起きるようにするためには、時間と物語が必要で・・・・・・、かつての写真を現像すると、薄暗い暗室のなかで画像がゆっくりと浮かび上がるように、遅れてやってくる・・・・・・。おそらく、一九三九年にも一九三九年はなく、頭痛と不安のなかで目覚めた朝があったのだ。” p.347
“ある歴史的事件が実際よりもずっと昔のことのように思われるのはどうしてなのか、 ぼくらは、そんなことは、ともすれば意識することすらない。ぼくが生まれたとき、 第二次大戦は、ほんの二十三年前のことでしかなかったのに、いつもまったく別世紀のように思えたものだ。
気をつけろ、歴史ってのは、バックミラーに見えるよりも、いつもずっと近いんだ ぞ・・・・・・ってガウスティンならこんなことを言いそうだな。” p.374
これは、やはり、いまのことなのかもしれない。

