
ジクロロ
@jirowcrew
2026年9月7日

新装版 島
オールダス・ハクスレー,
片桐ユズル
読んでる
わたしがこうであるとおもっているわたしと、じっさいにこうであるがままのわたしーーいいかえれば、悲しみと悲しみの終り。だいたい、わたしがこうであるとおもっている人間が耐えなくてはならない悲しみの三分の一は、さけることができない。
(中略)のこりの三分の二の悲しみは自分でつくったものだから、宇宙とは無関係で、不必要なものだ。
(第七章)
想像上の「わたし」は「悲しみ」であり、
ほんとうの「わたし」は「悲しみの終わり」。
この表現にぐっとくる。
そしてその「終わり」が来ないということ、それは「さけることができない」からではなく、きっと「つくったもの」のなかで、もっとも精巧で解体不能である悲しみが誰にでも一つはある、という直感が自分にはある。
たぶんその「悲しみ」は愛すべき個性であり、
「こうであると思っているわたし」の、かけがえのきかない唯一の美学でもあると思う。


