
読谷 文
@fumi_yomitani
2026年9月8日
オービタル
サマンサ・ハーヴィー,
小澤身和子
読み終わった
なんという美しい小説だろう。
自分は六人の宇宙飛行士の中の誰に近いか考えると間違いなくアントンだ、と思うくらいに、読書中幾度も、訳もなく涙が溢れだしていた。
あふれる言葉で、あらゆるシチュエーションで描写される地球の美しさは、言葉の宇宙線となり流星群となって私を射抜いた。
自然が織りなす地球の美しさと、人の一生はおろか人類のそして地球の歴史ですら、宇宙暦で見ると一瞬の瞬きに過ぎないという、強烈な儚さの対比に目が眩む。
何か事件が起こるでもなく、淡々と、かつ圧倒的な筆力で描かれる16回の夜明けの景色と、六人の宇宙飛行士たちの内面が融合した、印象的な小説だ。
彼らと共に、南極上空でオーロラの光の塔の爆発を見た。
チエと一緒に、宇宙遊泳を覚えたマウスを抱きしめ宙返りをした。
ピエトロと共に巨大台風の行方を心配し、ショーンと共に「ラス・メニーナス」の絵画を逐一見分した。
宇宙飛行士といえば、知力体力その他全ての能力において人類を代表するスーパーエリートに違いないが、これまで描かれてきた天才≒奇人タイプとは異なり、彼らも私たちと同じく悩んだり考え込んだりする一人の人間なのだ、という描かれ方をしていたのがよかった。
✴︎
敬愛する書評家の冬木糸一さんのブログにある一節が素晴らしくて、この小説を読んでいる間中にずっと思い出していたので、以下に引用する。まさに読書の本質を突いた文章ではないかと思っている。
「こういってしまっては何だが、サイエンス・ノンフィクションを読んだところで短期的に何か良い影響が出るわけではない。宇宙のはじまり、ビッグバン宇宙論について学んだところで大半の人にとってそれは実用として使える知識ではなく、年収は上がらないし飲み屋でぺらぺらと語りだしても尊敬されるわけではない(たぶん)。それでも宇宙の成り立ちについて「有力な仮説を知っている」ということはその人の視点を地べたから引き上げ、見ることのできる景色を一変させるものだと思う。
本を読んでいる人の方が年収が上がるとか知的だとかいろいろ言う人間もいる。たくさん読めと。だが、本をきちんと読み込んでいけば年収がどうだなんてクソくだらない、人間がその短い歴史の中でつくりあげた一時的な尺度を重視する狭い思考から開放してくれるだろう。」
冬木糸一 「基本読書/サイエンス・ブック・トラベル: 世界を見晴らす100冊」より
https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2015/04/12/110002
✴︎
訳者あとがきによると、著者のサマンサ・ハーヴィーは、J・L・カーの『ひと月の夏』(小野寺健訳)という作品を読んで感銘を受け、このような田園詩的小説を書きたいという構想を持つようになったという。
そしてコロナ禍の時期に、インターネットを通じて宇宙から見た地球の画像を眺めていた際に、具体的な本作へのインスピレーションを得たそうだ。
まさに「宇宙の田園詩(スペース・パストラル)」という言葉がぴったりの美しい作品だ。
ある作品によって感銘を受けた作家と、そのインスピレーション、膨大なリサーチを経て、こうした偉大な作品が新たに生まれてゆく、という循環もまた、素晴らしく尊いものだと感じた。
生涯で一番好きな小説のひとつに出会えた幸福を、読後しばらく経った今なお噛み締めている。

