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読谷 文
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@fumi_yomitani
海外文学とノンフィクションを読むのが好きです。 長めの感想はnoteに載せています。
  • 2026年10月9日
    毒殺村 二〇世紀最大の「夫殺しカルト」
    20世紀初頭のハンガリーにおいて、史上類を見ない連続毒殺事件が発覚した。その被害者数300人以上。 被害者はたいてい年老いた夫で、加害者はほとんどがその妻だった。 本書はアメリカ人のフリーランスライターがこの事件を追った、迫真のノンフィクションだ。 概要だけ聞くと、どれだけ極悪非道な事件なのかと思うだろう。 しかし本書を読み進めていくと、すべてのエピソードに既視感を覚えるのだ。 冒頭の献辞「出口を探し求めたことのあるすべての女性へ」に胸を突かれるのだ。 事件の舞台となったナジレーヴ村は、出口も入口もひとつだけの隔絶された貧しい寒村で、他所者を警戒するひどく閉ざされたコミュニティだ。 ほとんどの者が重労働かつ危険極まりない農作業に従事しており、日に14〜16時間ほど働かねばならない。 テレビ、ラジオ、電話はなく、無料の義務教育を12歳で終えると直ちに労働力となることを求められ、読み書きできない者も多かった。 女は未婚か既婚か行き遅れのいずれかに分類され、結婚は早ければ早いほどよしとされる。 結婚が意味するのはあくまで農地の相続に関わるものであって、当人同士の愛に基づくものではない。 女が独身のままでいつづけることは、周りからも身内からも差別や迫害の対象となるため、村で生きていく限りはほぼ不可能な選択肢だ。 結婚した女は日常的にに夫からの暴力に晒されているが、家庭内暴力=ドメスティック・バイオレンス=DVという概念はまだなく、瑣末な出来事としてスルーされ、事件になったりはしない。 家長たる男が身内をどんなに酷い目に遭わせようとも、それが神から与えられた特権だと信じている。 避妊という概念も、性と生殖に関する権利=リプロダクティブ・ライツという概念もないため、養える以上の子供を妊娠しても、悪いのは女だとされ暴力を受ける。 女たちは助産師に協力を求めるか、または自らの手で堕胎を試み、それが叶わなければ、出産後に赤子を殺める。 村人同士は密接に固まって暮らしているため、柵越しに隣家の状況は筒抜けだ。 どうしたって日常的に暴力を目にせざるをえない。 どうだろう。地獄すぎないだろうか。 しかし、これが特殊だともまったく思わなかった。 世界中で似たような状況はいくらでもあっただろうと容易に想像できるからだ。 朝ドラでいえば、「おしん」では泉ピン子演じるおしんの母が、堕胎をする為に真冬の山形の川に浸かっていた。 今季から始まった、宇野千代をモデルとした「ブラッサム」でも、主人公の父の傍若無人ぶりが記憶に新しい。 ✴︎ ヒ素を用いた毒殺自体は、ナジレーヴが初めてではなく、それ以前から存在していた。なぜならそれが彼女たちにとって最も入手しやすい道具だったから。 帯にもある本文中のアトウッドの——何とも空恐ろしく背筋を凍らせる——言葉「蠅取り紙でしょ。人気があったのよね!」のとおり、ある程度普及していた殺害方法だったのだ。 ではなぜ、ここまで大規模な毒殺事件がナジレーヴで起きたのか。 もとより暴力が日常的にあった場所に、第一次世界大戦と、まともに働かない牧師による宗教的ネグレクトともいえる状況、道徳は薄れ年配の女たちが規律となっていった村——という何重ものトリガーが仕込まれてしまった。 帰還兵による暴力とアルコール依存。 これもまたあらゆる場所で見聞きする話だ。 戦争という巨大な暴力装置が、帰還後にも家庭内で再生される。 戦争によって障害を負い、働けなくなり家でじっとしているしかない夫。 戦時中に女だけの力で地域と仕事をまわしてきた妻。 労働力・経済力こそが夫の価値だという社会で、働けない夫はあからさまにお荷物扱いされる。 鬱憤が溜まる。酒に溺れる。酔った勢いでその鬱憤を晴らす。多くは妻相手に。 地獄だ。 その地獄から逃げ出したいと心から願い、手段があって、仲間に誘われたら? 私なら間違いなくやるだろう。 ✴︎ 本書ではナジレーヴの事件以外にも、殺人事件における男女の傾向の違いや、他の女性による殺人との比較などを論じている。 その中で紹介されていた司法心理学者アンナ・モッツの著書の中の言葉が胸に響く。 「彼女たちは、タブロイド紙が書きたてるような、非道な化け物などではない」 「実際、その他大勢であるわたしたちと大差はない。彼女たちの犯行は往々にして、誰もが身に覚えのある感情が——愛し愛されたいという切なる思い、親になったことのいらだちと恐れ、心に巣食う恥や自己嫌悪といった感情が——こじれた結果なのだから」(p.178) ✴︎ なんとも救いのない、辛く苦しい史実だった。 ハンガリーでは忘れ去られ、一族は恥として葬り去っていた話。 ふとしたきっかけでこの話を耳にした著者が興味を持ち、膨大な取材の末にこうして一冊の本にまとめてくれた。 そして翻訳を経て今私の手にあるこの本を、読めて本当によかったと思う。 世界中の人全員読んだらいいと思う。 人間が耐え難い暴力とストレスに日常的に晒され、追い詰められた結果がどうなるのか、詳らかにしてくれたこの本を。
  • 2026年9月23日
    積読の流儀
    積読の流儀
    実に面白く読んだ。 巨大な帯に巨大な文字で書かれた「本を買え、天に届くまで積み上げろ。」の文言とともに示される〈愛書家七つの習慣〉は、愛書家の方々には殊に切実に響くであろう。 本書は、骸骨のアイコンと、朝顔の写真、美味しそうに焼けた日曜日のパンでおなじみの、中野善夫先生による初のエッセイ集である。これがもう名文のオンパレードであった。 最初の方から、片づけ二大巨頭と称し、やました氏・こんまり氏の片づけ本を例に出し、(「蔵書家はその名を呼ばず、眉を顰めて「あの人」というこんまりである。」p.7)至極真面目に(ゆえにユーモアたっぷりに)片づけに対する蔵書の保持について反証していく。 これがもう那須与一のごとく的を射ていて、読者はそうだそうだ!と叫びつつ、ときに爆笑の渦に巻き込まれる。 「しかし、あなたはまだ若い。買って四十年経ってから読む本があることを知らないだけである。永遠とはそんなに短い時間ではない。」(p.8) 「手に取って読め」の章でのエピソードには、心からの共感と同情と悲哀で、声を上げて笑ってしまった。 「本を読むときに、蜜柑やポテトチップスを食べながらなどというのは論外」 「本を読む前には、必ず手を洗い、余裕があれば風呂に入って歯も磨き、机の上の本をそっと手に取って45度ほど開いて息を殺して活字に目を走らせていた」(p.14) ほど大切にしていた蔵書なのに、「本の雑誌」の取材で来た方などに、本の背の部分を指でごしごし擦られたり、ハードカバーの本の「のど」部分をぐいぐいと押しながら、ぐいと本を広げられてしまう。「90度しか開かずに読み終えた私の本を。」(p.15) なんと悲しすぎる話ではないですか? また「蔵書の限界」の章では、本棚がいっぱいになって新しい本を買えずに鬱々としているうちに、次第に、本棚に余裕もないような人間がレストランでおいしい食事をしてもいいのだろうかとか、新しいコートを纏う資格があるだろうかとか思い悩むシーンがあり、誇張であるかもしれないにせよ、その表現力たるや側から見ていて本当に笑ってしまうのだが、その中の一文「新しいことを始められない人間は急速に老いていく。」(p.115)には、切実にハッとさせられる。 この、本棚の有限性及び読書の身体性を打破するために、中野先生は粛々と蔵書の電子化を進められていて、その方法であったり、執筆環境の構築のことなどまでが詳細に書かれており、それを読むのも面白い。 さらには、中野先生の幼少期の話から翻訳を始めた頃の話、そして混合水栓の交換や牛皮紙作成、水耕栽培や黄色の朝顔などに果敢に挑んでいく様子、ご自身について思うことなど赤裸々な話もあれば、現実と異界が混然一体となった摩訶不思議な世界が描かれている話もあり、非常にバラエティと示唆に富んだ一冊になっている。 本当に面白かった。 読書家、愛書家の皆さまにおかれましては、必読の書ではないでしょうか。
  • 2026年9月8日
    オービタル
    オービタル
    なんという美しい小説だろう。 自分は六人の宇宙飛行士の中の誰に近いか考えると間違いなくアントンだ、と思うくらいに、読書中幾度も、訳もなく涙が溢れだしていた。 あふれる言葉で、あらゆるシチュエーションで描写される地球の美しさは、言葉の宇宙線となり流星群となって私を射抜いた。 自然が織りなす地球の美しさと、人の一生はおろか人類のそして地球の歴史ですら、宇宙暦で見ると一瞬の瞬きに過ぎないという、強烈な儚さの対比に目が眩む。 何か事件が起こるでもなく、淡々と、かつ圧倒的な筆力で描かれる16回の夜明けの景色と、六人の宇宙飛行士たちの内面が融合した、印象的な小説だ。 彼らと共に、南極上空でオーロラの光の塔の爆発を見た。 チエと一緒に、宇宙遊泳を覚えたマウスを抱きしめ宙返りをした。 ピエトロと共に巨大台風の行方を心配し、ショーンと共に「ラス・メニーナス」の絵画を逐一見分した。 宇宙飛行士といえば、知力体力その他全ての能力において人類を代表するスーパーエリートに違いないが、これまで描かれてきた天才≒奇人タイプとは異なり、彼らも私たちと同じく悩んだり考え込んだりする一人の人間なのだ、という描かれ方をしていたのがよかった。 ✴︎ 敬愛する書評家の冬木糸一さんのブログにある一節が素晴らしくて、この小説を読んでいる間中にずっと思い出していたので、以下に引用する。まさに読書の本質を突いた文章ではないかと思っている。 「こういってしまっては何だが、サイエンス・ノンフィクションを読んだところで短期的に何か良い影響が出るわけではない。宇宙のはじまり、ビッグバン宇宙論について学んだところで大半の人にとってそれは実用として使える知識ではなく、年収は上がらないし飲み屋でぺらぺらと語りだしても尊敬されるわけではない(たぶん)。それでも宇宙の成り立ちについて「有力な仮説を知っている」ということはその人の視点を地べたから引き上げ、見ることのできる景色を一変させるものだと思う。 本を読んでいる人の方が年収が上がるとか知的だとかいろいろ言う人間もいる。たくさん読めと。だが、本をきちんと読み込んでいけば年収がどうだなんてクソくだらない、人間がその短い歴史の中でつくりあげた一時的な尺度を重視する狭い思考から開放してくれるだろう。」 冬木糸一 「基本読書/サイエンス・ブック・トラベル: 世界を見晴らす100冊」より https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2015/04/12/110002 ✴︎ 訳者あとがきによると、著者のサマンサ・ハーヴィーは、J・L・カーの『ひと月の夏』(小野寺健訳)という作品を読んで感銘を受け、このような田園詩的小説を書きたいという構想を持つようになったという。 そしてコロナ禍の時期に、インターネットを通じて宇宙から見た地球の画像を眺めていた際に、具体的な本作へのインスピレーションを得たそうだ。 まさに「宇宙の田園詩(スペース・パストラル)」という言葉がぴったりの美しい作品だ。 ある作品によって感銘を受けた作家と、そのインスピレーション、膨大なリサーチを経て、こうした偉大な作品が新たに生まれてゆく、という循環もまた、素晴らしく尊いものだと感じた。 生涯で一番好きな小説のひとつに出会えた幸福を、読後しばらく経った今なお噛み締めている。
  • 2026年8月19日
    六人部屋の十三年間
    入院病棟で繰り広げられる、病人同士や家族間、見舞人たちの人間模様を、鋭い観察眼で書かれた名著。人間の本性ここに極まれりといった、こわーい話もまあまあ出てくる。 同時に、知られたくないだろう筆者の愚痴や叫びといった内心がこれでもかと書かれているのがよい。 番外編の、健康に見える街の人たちを見て、初めの頃は呪詛にも近い思いを抱き、やがて目に見えぬ世界の人への関心に向かい、最終的に「みんな元気で、どうか元気で、誰も病気になりませんように」という祈りに変わってゆくところが素晴らしく、涙した。 病院の前で立ちつくす人を、ただよけて通る人々の優しさ、単にぼうっとしているのだとしたらどんなによいだろう、と想像する優しさに、胸を打たれた。
  • 2026年8月12日
    檻の中のルフィ 闇バイトを生んだ者たち
    わずか288ページとは思えぬ内容の濃さに驚愕。ルフィ事件が大々的に報道された記憶があるのは京都事件〜狛江事件からだが、それはまさにルフィグループ末期の「断末魔」と言える状態だった。 そこに至るまでの何年にもわたる組織的な特殊詐欺スキームの立ち上げ〜構築してきた背景や、特殊詐欺→強盗致傷事件に変化していく様子が、著者による現地取材、裁判傍聴、手紙のやり取りにより網羅され一冊の本に纏められておりすごかった。まさにNetflixドラマのようだった。 ルフィグループの幹部が摘発された遠因ともなった、幹部の現地妻の言葉「フィリピン人はバカじゃない」や、「(捜査機関の手柄というよりは)俺たちは身内に騙され売られただけ」のくだりが印象に残った。 かけ子をしていた山田に対する裁判長の言葉「あなたの能力を社会のために役立ててほしい」が沁みたし、本人にも伝わっていると信じたい。残る幹部2人の渡邊・今村の裁判はまだ始まっておらず、今後の行方も気になる。 本書刊行イベントの「闇バイト撲滅委員会 〜『檻の中のルフィ』出版記念〜」も合わせて鑑賞。裁判傍聴での被告人の様子や、実際の手紙、担当弁護士さんの話もあり、より理解が深まる。 社会に居場所のない実行役が、詐欺の幹部に初めて褒められ認められて心酔してしまうが、幹部たちにとっては単なる使い捨ての駒としか思っていないという、この対比がどうにも辛すぎた。
  • 2026年8月3日
    女の子未満
    女の子未満
    「悪い血」ですっかりファンになってしまった鈴木涼美さんの自伝的エッセイ 同世代な事もあり、桃の天然水とかフロムエーとか魚民とかの固有名詞が発するあの頃の空気感にどっぷり浸りつつ読んだ。本書でも変わらずの斬れ味を堪能した。
  • 2026年7月12日
    ハロー、ベイビー
    ハロー、ベイビー
    ここまで不妊治療そのものを中心に据えた文学は初めてではないだろうか。当事者として、書かれている治療の辛さや心境の一言一句が痛いほどわかった。 日本での不妊治療は菅政権時代に保険適用になったとはいえ、それでも高額な治療は言うなれば「一回数十万円のくじ引き何回引けますか」という世界だ。そうまでして果敢に治療に挑んでも成功の保証はなく、身体・財布・精神を否応なく追いつめてしまう。韓国にあっては、周囲からのプレッシャーは日本以上だと想像される。 同じ病院に通い、共通の目標を持つ者たちのコミュニティは、相手の成果を100パーセント喜べるわけでもない。 そんな場所に小さく巻き起こった波紋は、不穏な予感を読者にちらつかせながら、やがて思いもよらない大きな渦となってゆく。嵐に巻き込まれながらも、最後に女たちが見せるいたわりの姿勢には、大いに胸を打たれた。 読了後は何とも言い難い感慨におそわれ、しばらく現実に戻れなかった。 小山内園子さんの訳文はもちろんのこと、訳者あとがきも本当に素晴らしかったです。
  • 2026年6月23日
    雪の如く山の如く
    雪の如く山の如く
    現代の中国で異なる漢字の「リーリー」という名を持つ6人の女性を描いた短篇集。 最初の短篇「ただ座りたいだけなのに」は、90年代の旧正月に「座席なし」の切符で帰省する大学生・詹立立(ジャン・リーリー)の物語だ。 大混雑の極めて劣悪な環境のなか、まさに「掃き溜めに鶴」のような人物との出会いと交流が描かれるのだが、最後の最後で背筋が凍る。この本はこういう本です、と宣告されたようで、暗澹たる気分になる。 「雪山」は、友人の結婚式に出席する彼氏に同行した巫童(ウー・トン) と、旧知のおばさんの姜麗麗(ジアン・リーリー)が、互いに全く縁のない地方都市で偶然にも再会する物語だ。書かれている期間はたった2日足らずなのに、2人の過去の関係が次第に明かされてゆくにつれて、数十年の重みを共に過ごしてきた感覚になる。それは決して楽しいだけのものではなかった。 極めつけは最後の「年始の挨拶」である。 年始の挨拶に恩師を訪ねる両親と娘の話だが、始めから不穏な空気が漂いまくっている中、執拗に家族の背景の描写が積み重ねられる。最後に一気に畳み掛けられる予想外の事態に気絶させられる。かなり胸の悪い悪夢だった。 ✴︎ 訳者解説を読むと、より細かな背景と補足とが丁寧に書かれていて、なんというか改めて絶望みが増すのだった。解説にある通り、世界的ベストセラー「82年生まれ、キム・ジヨン」に通じる物語で、女性が生きていく上で見せられる世界がこれでもかと盛り込まれていて、どこの国でも同じだよな、と翻訳文学を読むにつけいつも感じさせられる。 生きていく上でしばしば感じさせられる苦味走ったものが繊細に描かれていて、本当に見事な文章だった。作者と訳者に敬服する。
  • 2026年5月24日
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
    読み終わっちゃった……。 すっごく楽しくて、いつまでも読んでいたかったから、寂しい〜〜😭😭😭 詳細な感想はnoteに↓ https://note.com/fumi_yomitani/n/n7a09220af2e0?sub_rt=share_b
  • 2026年5月21日
    台湾漫遊鉄道のふたり
    台湾漫遊鉄道のふたり
    2026年国際ブッカー賞受賞(Lin King訳) 第75回全米図書賞・翻訳部門受賞(Lin King訳) 第10回日本翻訳大賞受賞 ってどんだけすごいんですか、この作品!?
  • 2026年5月19日
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 上
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 上
    上巻読み終わった! こんな展開全然予想してなかったから胸アツ! 泣いちゃう……!! 詳細な感想はnoteに↓ https://note.com/fumi_yomitani/n/n7a09220af2e0?sub_rt=share_b
  • 2026年5月14日
    gururiのぐるり
    gururiのぐるり
    ときどきSNSで見かけていた、「雑貨と本 gururi」の店主さんによる日記とエッセイ。 今夏、谷中からほど近い場所に移転されるとのこと。 店主さんの半生からお店の開店に至るまでの道のりが、短い文章で簡潔に書かれているものの、内容があまりに劇的で、驚き、涙した。 自分の経験と照らし合わせながら読んだ「再び体調を崩す」の章。 病を得た人が一番ダメージを喰らうもの、それは「再発」だ。もう治った、自分は元気だ、と思って生活していたのに、ひとたび病の影に捕まえられるや、一瞬で奈落の底に突き落とされてしまう。 そこからの店主さんの克服に向けた姿勢がすごかった。 「転機」の章で今のお店につながるくだりは、こちらまで一緒になってドキドキした。 一番最後の「おみやげ話」。 さらりとした筆致で日常の出来事が描かれているのだが、二度、三度と、読むたびに涙が溢れてきてしまう。 たまたまオトメツバキの美しさに目を留めた二人の、通りすがりの会話。 こういう文章を名エッセイというのだろう。
  • 2026年5月4日
    アニータの夫
    アニータの夫
    まず装丁がすごくお洒落で、目を惹く。 南米を思わせる力強いアニータの顔の絵に比して、タイトル・著者名がシンプルで強めなゴシック体で配置されている。 他には何にもない。 なんて潔い表紙なんだ。 真四角に配置された帯の文字は、アニメのルパン三世のタイトルみたいに、タイプライターの打鍵音が聞こえてきそうだ。 本文を読むに、千田はなぜ横領に手を染めたのか? 二度の離婚歴があり自身の家庭がなく、職場では天下り役人が幅を利かせていて出世は望めない。通っていた将棋道場も、賭け将棋をしたことによりやめてしまう。 そんな虚しい日々を送る中でスナック通いを始めて、消費者金融への借金返済が横領のスタートだったそうだ。 成果を上げても報酬に直結しないことが多い公的職員の報われなさゆえの横領は、実はあるあるだと聞くが、千田の場合はそれだけでもなさそうである。 金や物を与えないと愛を得られないと本気で信じていたようだし、あくまで虚構を誇張している歌謡曲の世界観を、現実の世界も同じだと真に受けている節がある。 千田によるモノローグは妙に自己憐憫まみれで臭すぎるし、アニータに宛てた手紙の文面も謎に上から目線で偉そうで、気持ちが悪くて仕方がない。 筆者曰く「千田は物事のコツを掴む特異な才能がある」とのことで、それゆえに複雑怪奇な公社の会計から莫大な額の横領を成し得たのであるが、人間の心の機微についてはまるで何もわかっていないように思う。 自分でも世間知らずという自覚はあったようだが、アニータから明らかにATM扱いされていて、度重なる金の催促に酒を飲まないと寝られないくらい悩まされていたにもかかわらず11億も与え続けたのは、盗んだ金を貧しい人々に配って回る石川五右衛門気取りの、薄っぺらい自己満足にすぎない。 千田は、公務員で釣りや山菜採りに長けていた父親を尊敬していたようだが、自分自身の人生の虚しさを自らの手ではどうすることもできずに、横領した金で実現しようとしていたように見えた。 (追記) 余談になるが、ここだけの話、本書読了後にメルカリで出品したら青森の方が買ってくだすって、余計に味わい深かった。 やはり読者の中には青森県の方が多いのかしら……?
  • 2026年4月7日
    ハムネット
    ハムネット
    悲劇「ハムレット」が書かれる数年前に、同じ名の息子が亡くなっていた—— この事実から紡がれる悲劇の誕生秘話を、ほとんど情報のない劇聖の妻・アグネスの視点から描いた圧巻の創作だ。息せき切るように次から次へと映像が目に浮かぶヒリヒリした描写が素晴らしく、いまだに深く長い余韻が残る。本書を原作としたクロエ・ジャオ監督による映画も楽しみだ。 パンデミックと出産、そして喪失を描いている点で、エマ・ドナヒュー著/吉田育未訳『星のせいにして』(河出書房新社)が思い起こされたが、本書裏表紙にドナヒューさんの推薦コメントが載っており、一人納得してしまった。
    ハムネット
  • 2026年2月2日
    成瀬は都を駆け抜ける
    成瀬シリーズ最終作。 相変わらず、西浦が出てくるエピソードではキュン砲に胸を撃ち抜かれる。 最終章では、琵琶湖疏水の美しさを背景に、完結編にふさわしくみんなが港で成瀬&島崎を出迎える様子に胸が熱くなり、ウルッときてしまった。まさかここまで泣かされるとは予想外だった! 私は森見登美彦を読んだことがないし、桃鉄もやったことないので、それらを摂取していたらもっと楽しめただろうけど、宮島未奈先生の趣味全開!!っぷりがすごく自由でいいなと思った。
  • 2026年1月24日
    一人娘
    一人娘
    読者はこの物語を読み終えたとき、「これはファンタジーだ」と思うだろうか。 物語の中で、小児科医ミレレスによってファンタジーではない現実の部分も示唆され、そのことがアリナの支えとなっていたことも事実だ。 アリナが悲観からの妄言を夫に対し口走ったように、協力的な夫のアウレリオが残念ながら少数派であろうことも、また事実だろう。 それでもアリナという一人の人間が、過酷な現実に振り回されて混乱し、疲弊し、葛藤しながらも、生命の生きようとする力を幾度も目の当たりにして心の平安を得るまでの道のりには、説得力があったように思う。 長編と言ってよい長さだったが、章が細かく、場面がパッパッと変わっていく様子は、やはり短編の名手ネッテルらしさを感じた。 (追記) 「メキシコの作家グアダルーペ・ネッテルは、容易に人間を信用しない。これまで邦訳されてきた幻想的な短編集では、冷徹なまなざしで人間を丸裸にし読者に耽溺したくなる不安と恐怖を与えてきた。」 星野智幸さんが本書の書評の冒頭にこう書かれていたように、「そうそう、ネッテル、まだまだやれるだろ?もっとくれよ、ネッテルの不穏ってやつをさあ!」と期待して読みすすめてゆくのだけど、(帯にもあるように)果たしてラストにはその期待は裏切られるのであった。それはもう鮮やかに。
  • 2026年1月8日
    虚弱に生きる
    虚弱に生きる
    自分の予想をはるかに上回る“虚弱”度合いに戦慄しながら読んだ。著者の幼少期の壮絶なエピソードの数々に絶句する。同時にそれらは決して珍しいものでなく、少なくない子どもが経験したであろうということが容易に想像できるのがまた辛い。 「運動会は恥晒し大会だった」という「体育の呪い」の章が心底辛すぎて泣いた。学校のある日の朝が恐怖となるほどの「喋れない苦しみ」とはいかばかりだろうか。 深い孤独による絶望と、健康に目覚めてからの探求と努力の姿勢は凄まじく、一切無駄のない研ぎ澄まされた文章に圧倒された。 直近の三年で著者が「楽しいし幸せだ」と感じられていることが、私もうれしい。
  • 2025年11月26日
    第七問
    第七問
    著者の母についての回想を中心とした第七章、滂沱の涙だった。 暴力、そして死について。 折々に煌めく美しい文章にハッとさせられる作品だった。
  • 2025年10月23日
    毎日酒を飲みながらゲーム実況してたら膵臓が爆発して何度も死にかけた話
    酒とは何か、酒飲みとは何かが語られている本だった。お酒ってメンタルや肝臓や膵臓をぶっ壊す恐ろしいものだと思っていたし今も思うけど、お酒に救われる人もいるんだな…と思った。たろちんさんには酒とインターネットがあって本当によかったのだなと思う。 何度も死にかけて大きすぎる代償を払って断酒してもなお「命より大事な酒」と言い切れるのが逆に凄い。 本人と同じかそれ以上に不安だったろう妻のいみちんさんのシゴデキぶりに感服し、「ブレーキランプ5回点滅」の場面で大泣きしてしまった。 村井理子さんのポストを見て、特典が読みたかったので電書で購入。書店でも面陳されているのを見かけた。いやー本当に凄い本だった。
  • 2025年10月14日
    激しく煌めく短い命
    まず装丁とタイトルに釘付けになる。 なんと美しいのか。 中学の入学式での2人の出会い方が抜群に詩情に溢れていてよかった。 京都の自然を背景に、あまりにも緻密にみっしりと描かれる中学生活の行事やテストなどの描写を読んでいると、未熟で劣等感の塊でしかなかった自身の中学時代にびゅーんと連れ去られて苦しくてたまらない。 第二部の再会編では、終盤に近づくにつれて幾度もギアが上がっていってテンションが振り回され、最後にはカタルシスの落涙。 タイトル出てくるのそこなのか!と意外に思いつつも、久乃にとって重要な場面に繋がるわけで、こう来るかぁ〜と唸らされた。 あえて登場人物を絞り、エピソードなども具体的には書かず、かなり削いで書いたのだろうなと想像するが、上下巻に分かれてもよいから、もっと久乃の実家でのドロドロが詳しく欲しかった!というのが個人的な感想。 たまに出てくる芯を食うような豪速球フレーズが心に刺さる。 大人になっても変わらず真面目で優等生な久乃が、その業界のその仕事に就いてそんなことするか?との違和感は感じつつ、まあ巨大な伏線でもあるからなぁとは思った。 この辺り文學界10月号の著者インタビューにも久乃の抑圧として書かれていたけど、であればこそ、その抑圧の詳細が欲しかったなと。
    激しく煌めく短い命
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