
Ayako
@aya_rb
2026年9月10日
読んでる
台湾語、という名称をめぐる議論、何かを名付けるということって本当にむずかしいと感じる。自ら名付ける、としても、そのときの自らとは誰なのか? 当事者性についても考えてしまった。なぜそう呼ぼうとするのか、その人の内面にあるものとの結びつきによるものだけれど、政治性を帯びるものでもある。政治性、ではなく、ただ個人の思想、アイデンティティとして受け取ることはできないのか。個人の思想はすぐ政治と絡めたものにされるからむずかしいのかな。切り離すことはやはり無理なのか。
著者が何度か言及するスピヴァクの議論について、もっと知ってみたい。





