
おしん
@chetrueshin
2026年9月9日

わからないので面白い
養老孟司,
鵜飼哲夫
大と猿イヌをつなぐ話がなんでそこまで行くかと思われるかもしれない。でもそういうものなのである。それを適当に考えを打ち切ってしまうから全体としての結果がおかしくなる。イヌを管理すれば、子どもがイヌに噛まれないで済む。現代人はすぐにそういう論理を使う。これを私はかつて「ああすれば、こうなる」と呼んだ。現代人はほとんどそれで生きている。子どもがイヌに噛まれることばかり考えている人は、農作物を食い荒らすサルのことまで、考えが及ばない。それでもイヌを徹底的に管理して、「自分は自分の責任を果たした」などと思っているのに違いないのである。
その意味で私は、ある種の責任感の強い人を信用しない。「きちんとやる」ことは大切だが、それは場合による。自然に対して、つまり全体がかならずしも理解できていないものに対して、「きちんとやる」ことは、しばしば別な大問題を引き起こす。あるていど人生を生きてきた人なら、それは常識としてだれでも知っていることであろう。
「本当の自分」という錯覚が、職業選択に影響していることは、若者たちが「自分に合った仕事」を探しているという調査結果からもわかる。私は三十年以上、職業として解剖学をやった。死んだ人をバラバラにするのが「自分に合った仕事」だなんて人は、世界中に一人もいるはずがなかろう。それが社会に必要だからこそ仕事が存在し、社会にとって必要だからこそ、人々は仕事をするのである。若者が「自分に合った仕事」なんてほざいたら、年寄りが怒鳴りつければいいのである。それができないとすれば、それは大人が仕事を「自分のため」と思ってやっているからであろう。そう思っている大人にフリーターを叱る資格なんぞない。
小学校一年生の私は、日本は戦争に勝つと信じていた。それが覆った以上は、教科書ていどで驚くわけがない。教科書が間違っているなら、先生はその部分に墨を塗らせればよろしい。それが私なりの「歴史的事実の尊重」である。私が現に体験したことだからである。教科書は間違うもので、人間も間違うものである。 それをいつ教えたって、早過ぎるということはない。教科書が正しいと思う癖をつけると、だまされた、だまされたと、他人のせいにする人が増える。教科書が間違っていたところで、「生きている」先生がいるではないか。先生が教科書の訂正の役目ができないで、なにが教育か。
戦争は物量で負けた。
色々考える体操ができた本である。
