kirakirapoppy "ぼくはイエローでホワイトで、..." 2026年9月11日

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2
「うん。テーマは『社会を信じること』っていうんだ」 何かめちゃくちゃ深淵な答えが返ってきたことだけはわかった。が、ホームレスの避難所問題と社会をじることがどうつながるのかはわたしにはわからなかった。 「いいテーマだと思うけど、それがどう日本で起きたこととつながるの?」 「ちょっと想像してみて。ものすごい巨大な台風が来ていて、雨風も激しくなって、ここに入れてくださいってホームレスの人が訪ねてきた、その避難所に自分が勤めていたとするでしょ。そこで『ダメです』って言った人のことを僕は考えてみた」 「うん...?」 「避難所にいないと危険なぐらいの嵐だよ。そんなときに『あなたはダメです』って追い返したら、命にかかわるとわかってる。その人に何かあったら自分のせいだ。そんなの嫌だよね」 「それは、絶対に嫌だよね」 「だったら、どうしてその人はダメって言えたの?」 確かに、人間にとって誰かが自分のために亡くなるかもしれないという状況は究極の心の負荷だ。誰だってそんな重荷を負う決断は下したくない。だったらなぜ追い返すことができたのだろう。 「たぶん、その人はそのとき自分のことは考えていなくて、というか、自分のことを考えていたとしても、それは避難所にいるほかの人たちとか、一緒に働いている人たちが自分のことをどう思うかということを考えていて、なんていうか、うまく言えないんだけど、本当には自分のことを考えてなかったんじゃないかな」 あの出来事の後で、日本のネットでは「日本人は自分のことばかり考えて他人のことを考える余裕がなくなっている」みたいな主張が散見された。が、息子はちょっと違うことを考えているようだ。 「避難所にいるほかの人たちとか、そこで働いている人たちは、みんなホームレスの人を受け入れたくないはずだと考えたから、追い返したんじゃないかな。ライフ・スキルズの授業で、先生が『社会とは、早い話が、あるコミュニティの中で共に生活している人々の集団』って言ってた。だとしたら、ホームレスを追い返した人は、避難所という社会を信じていない」 社会を信じる、と息子は言ったが、それは社会に対する信頼と言い換えることもできる。 これはより大きなスケールでの「社会」にも拡大できると思った。ホームレスの人を受け入れなかった避難所は、メディアや一般の人々からも激しく非難されることになった。そうなることを予見できなかった避難所の職員は、社会を見誤っていた、というか、見くびっていたのだ。 逆にその職員が、社会の人々も自分と同じように感じるはずだと信じることができれば、社会には必ず自分の決断を後押しする人々もいると信じることさえできれば、たとえ規則や慣習がどうなっていようとも、現場や個人の判断で誰かの命を守ることはできるはずなのである。
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