ごうき "破局" 2026年9月13日

ごうき
@IAMGK
2026年9月13日
破局
破局
遠野遥
「その上、私は自分が稼いだわけではない金で私立のいい大学に通い、筋肉の鎧に覆われた健康な肉体を持っていた。悲しむ理由がなかった。悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ。」  最近の大学生の少し翳りのあるリアルな恋愛物語を思い浮かべていたこと、それからYouTubeやXで活動している批評家が批判していたことから興味を持ち読んでみたが、終始「物語による印象」というものに欠ける作品だった。つまり、話の展開を、読んでいる途中ですら記憶できないのである。それはこの作品の主人公である「私」が平坦な生活のうちに、徐々に壊れていくからであろう。この作品の良さは、その展開と文体、それからモチーフが一致していることにある。  まず、この作品の最も大きな特徴はその文体であろう。この作品は主人公の一人称視点で語られるが、とてもファクトを感じる。実際に起こっている物事にのみ着目し、それを社会的規範に則って処理していく。それは自分の感情に対してもそうで、ある種自分をも客観視しているような、一人称でありながら三人称の視点を持った、そんな感じの印象を受ける。これが主人公の確固たるキャラクターを、強固な肉体という設定とともに形成する。こうした事実ベースに徹底したものの見方と処理の仕方が、「冷たい視点・文体」を実現し、現代的な人間だとの評価を受けたのだろう。 主人公は元カノと肉体関係を持ったことにより「破局」していくわけだが、この「大学生の性行為」という破局のための装置にも、この文体が馴染んでいるように見える。  作者は夏目漱石の文体に影響を受けたと話しており、漱石の作品をよく写経するらしいが、それは漱石のユーモアあふれる文体だとか教養溢れる文体だとかいうよりも、どちらかというと言文一致の点で成功しているように見える。非常に端的な文章だ。  また、堅牢で静的な私と、性欲によって徐々に変わっていく動的な彼女との対比も効いている。  ただ、これを読み、作者の思想、即ちこの作品が書かれた必然性はどこにあるのだろうか、と思った。本作は人物一人一人のセリフが長すぎて環境の時間経過を感じられないといった、極めて「作り物」感のある作品だと強く感じていたが、その箱庭的な世界を作者は何を思って構築したのか、その箱庭を通して読者に何を伝え・問いかけたかったのかが分からなかった。芥川賞選考員の奥泉光氏は本作について「主人公の欠落が一体何なのかと、思考を誘う力が弱い感じがした。」と述べているが、私も似たようなことを思う。私は作品を構成する(と私が勝手に思っている)形式-構成-思想のうち、思想に大変興味があるので、そこがぼんやりとしていたのが、少し残念だった。とはいえ、作品を評価する際には「どれだけ思想が優れているか」「どれだけその思想が深いか」を推し量ることは非常に難しいし、あくまで小説は文章による芸術なのだから、批評の場では形式や構成を重視することが多いのだろうなあ、と思ったり。
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